第24話 真・鳥夫転生
小難しい書籍が並んだ本棚、様々な物が乱雑に積み上げられた机、部屋にこびりついた珈琲の香り。生活臭漂うこの部屋で、
柘榴には知識も力もある。都市伝説という存在を初めて知ったその日から、都市伝説の為に己を鍛え上げてきた。目的の為のプロセスをひとつも踏み外すことなく、彼女は歩んできた。そんな彼女にも、一つだけどうにも出来ないことがあった。
運。
柘榴には圧倒的に都市伝説と巡り会う運が無かった。書物や伝承、有識者には巡り会えた。だが、当の都市伝説には全く遭遇しなかったのだ。いや、それは必然だったのかもしれない。
彼女は都市伝説を愛している。
人の想像や噂によって産み落とされる不純に満ちた存在は、疑うこと無く本能のままに生き急ぐ。包み隠すことに慣れ過ぎたこの世界で、唯一嘘をつかずに自分と向き合ってくれる都市伝説に彼女は歪な愛情を見出したのだ。彼女の留まることを知ら無い探究心は、全て都市伝説への愛から来るもの。都市伝説を捕まえ、被検体として殺害しても、彼女はそれを『愛してる』の一言で片付けてしまうだろう。だからこそ彼女は、都市伝説に出逢う事の無いよう世界から烙印を押されたのだ。
だが今はどうだ。柘榴の目の前に在るモノは、巡り会えないことが必然とさえ称された都市伝説だ。
必然さえ超越するナニかが
*
「都市伝説バードマン。固有名は田中鳥夫。配偶者無し、子も無し。駄菓子屋
「いや、それ拉致っていうんじゃ……」
「
「それ絶対一方的に柘榴さんが許可降りたと思ってるやつじゃないスか。実験っていっても何をするんです?」
「これなーんだ?」
「血液……スか?」
「せいかーい!正確に言うと“ビダハビットの血液”」
「えっ!?いや、待ってください!ビダハビットに会ったんスか!?
「ところがどっこい、
「余計意味が分からないんですけど」
「敷島ちゃんはさ、ビダハビットって何だと思う?」
「……露希にいたとされる無敵の都市伝説。
「あの歌も元を辿れば少し違うんだよ」
そういうと柘榴は小さく歌い始めた。
悪さこく子見つけ飛んでくる。
地面震わせやってくる。
悪い子いねか?いたら心の蔵食っちまうぞ
身体一飲み食っちまうぞ
歌い終わった柘榴は、一呼吸置いて亜姫を見つめる。
「音神様……。それがビダハビットなんスか」
「んにゃ、あくまでもこの歌が土台になってるだけだねぇ。だいたい童歌に英語が入るって時点でなかなかぶっ飛んでるでしょ?」
「確かに」
「音神様って言うのも“お咎め”を
「音神様は分かりましたけど、どうしてビダハビットはこの歌を?」
「さぁねぇ、私は本人じゃないからどうも言えないけど、ヒーローになりたかったんじゃないかなぁ。音神様は悪人を食らう、ビダハビットは悪事を裁く。結果やっている事は同じでも、ビダハビットの歌詞の方が耳障りはいいでしょう?音神様という呪縛に対して彼なりの抵抗だったんじゃない?」
「抵抗……。音神様とビダハビットには何らかの関係があったんスか?」
「あくまで私の憶測に過ぎないから深読みは禁物だよ敷島ちゃん。事実があるとすれば、ビダハビットが最初に確認されたのは16年前だ。私が都市伝説に魅入られたのも……っと無駄話が過ぎたね。実験に移ろう」
柘榴は慣れた手つきでビダハビットの血液を注射器で吸い出す。先刻まで凍っていたのが嘘のように、血液は注射器に溜まっていく。
その過程で亜姫は気付いてしまった。血液の1滴1滴が脈動している。例えでも比喩でもなく確かに血液は生きているのだ。原理は分からない。だが目の前の光景が、ビダハビットが生きていることを亜姫に確信させた。
「ここまで見た敷島ちゃんには、私が次にどうするかもう分かるよねぇ?」
「バードマンにビダハビットの血液を投与……」
「そういうことぉ!採取した分は20ml。そのうち5mlを彼に投与する。ただでさえ他者の血液は毒物。それがビダハビットのモノだったら一体どうなってしまうんだろうねぇ!」
「死ぬかもしれないんスよ!?」
「私の愛の糧になれるなら彼も本望でしょ」
柘榴はさも当たり前の様に答えた。自分の行いを正当化するためではない。葛藤の欠片も無く、さらりと『彼の為になる』と返答した彼女は、本気でそう信じてやまないのだ。
手振柘榴は他の人間と圧倒的に歯車が噛み合っていない。戸惑う、躊躇すると言った精神の線引きが彼女には無いのだ。本来越えるべきでは無いボーダーラインを、彼女は愛という免罪符を掲げて、まるで私がルールだと言わんばかりに意図も容易く踏み抜いていく。
この女マジでイカれてる。亜姫は心の底からそう思った。
「眠ってる鳥夫くんには悪いけど、少々苦しい思いをしてもらうかなっ!」
容赦なく血液の入った注射器を柘榴は鳥夫に打ち込む。ゆっくりとだが確実に、ビダハビットの
投与されて10秒。何も起こらない。20秒、まだ変化は見当たらない。30秒……。
突然鳥夫の身体が1度大きな痙攣を引き起こす。それと同時に鳥夫の目が見開いた。
「ここは!?お、お前たち……僕に何をしっ……!!ギャァァァァァァァァァ!!」
室内に絶叫が響き渡る。鳥夫の肉体は小刻みに震え時おり大きく仰け反った。その度に手足についた拘束具が、鳥夫の身体の動きを制限し大きな音を立てる。金属音は彼の苦痛を一層際立て、如何にこの実験が残虐なものであるかを無理矢理脳に伝えてくる。
「……ッ!」
亜姫は思わず目を瞑ってしまう。これ以上鳥夫の苦しむ姿を彼女には受け入れることが出来なかった。
一方柘榴は真逆の反応を示した。叫び過ぎてもはや血を吐くことしか出来ない鳥夫を前に、光が射すことの無い黒々とした目を爛々と輝かせ、大きく口を開けて高笑いをしている。
「凄い!凄いよぉ!君の体は今ビダハビットの血液に作り替えられている!人間じゃあ絶対に耐えられないよぉ!流石都市伝説!私の愛したモノたちぃ!ほら!ほらほらほらほらぁ!もっと私に愛させてよォ!!」
正気を失いそうになるこの部屋で、亜姫はひたすらに目と耳を塞いだ。息が詰まりそうな狂気に耐え続けていると、突然轟音と共に部屋が揺れる。
震える体を抱き締めながら、亜姫はおそるおそる目を開ける。彼女の目に最初に映ったのは床に倒れている柘榴だった。
「ざ、柘榴さん!?大丈夫ですか!?」
「痛っ……いやぁ、大丈夫、大丈夫。頭に本があたっただけだから。それより見てみなよぉ……!」
柘榴が指を指した先には先程まで鳥夫を拘束していた寝台が、真っ二つに叩き割れていた。うっすらと舞う埃の中に1体の都市伝説が立っている。
先程までとは違い、特に苦しんでいる様子は無い。だが一目見て分かる。鳥夫の肉体は著しく変化していた。
それは“翼”だった。4枚もの大きく真っ白な翼が鳥夫の肩甲骨から生えている。
呆然としている2人を一瞥する。その瞳には感情の色は見えなかった。怒りも悲しみも無い空虚な視線を向けるだけだった。
興味を無くしたのか、鳥夫は2人から目線を逸らす。すると大きく胸を膨らませ、耳を
ビリビリと空気に振動が伝わる。その証拠に柘榴愛用のビーカーが割れ、破片が四方に飛び散った。そのまま鳥夫は駆け出し、全面に貼られた窓ガラスをその身でブチ抜いた。破片とともに鳥夫が真下へ落下していく。
柘榴は割れた窓ガラスに駆け寄り外を覗き込んだ。その瞬間大きな黒い影が柘榴の真横を横切った。すぐさま柘榴が影を追うと、そこには上空を旋回する鳥夫の姿があった。
「あっはぁ!!飛んでるぅ!飛んでるよぉ!!バードマンすごぉ!?手も足も使わず、翼を使って飛んでるぅ!!それも2枚じゃなくて4枚!どうなってんだよぉ!最ッッッッ高かよぉ!!!あははははははっ!!」
鳥夫は2人の方へ戻ることなく、豪快に風を巻き上げながら生えたばかりの翼を使い、はるか遠くへ飛び去っていってしまった。
あまりの出来事に、亜姫にはこの一連の出来事を見つめることしか出来なかった。
「……柘榴さん、人って翼があっても飛べるとは限りませんよね?」
我に返った亜姫の行動は、柘榴を罵倒するでも軽蔑するでもなかった。
柘榴を不快にさせない為の言葉を選ぶ。これ以上の恐怖と狂気を受け付けることを拒絶した脳は、機能を生存本能ひとつに絞込んだのだ。最早亜姫は導き出された最適解を口にするだけの人形になっていた。
「人体を天へ舞い上がらせることに翼の有無はあんまり関係無いかなぁ。むしろ翼が有った方が不都合かも。内蔵の位置、肉体の構造、体積、質量、etc……。身体の構築から考え直さないといけないからぁ。問題点を挙げればキリが無い。だが重要なのはそこじゃない……」
「……?」
「飛べるか飛べないかじゃないんだよぉ……。人の肉体を持つモノが翼を手にしてしまった!この結果が重要なんだよぉ!バードマンは都市伝説。それ以上でもそれ以下でもない。敷島ちゃん、神様が描かれた絵画を見たことはあるでしょう?天使や神には有って人には無い器官が描かれてるよねぇ?アレ、どういう意味だと思う?」
亜姫は柘榴の目を見つめ、機械的に返答する。
「天と地、人と神を明確に隔てる象徴……それが翼。あのバードマンは翼を得た。つまり、神の領域に近付いたってことでいいですか?」
「うん、俗っぽい考え方ではあるけどねぇ。それでも高位の存在に昇華したのは間違いではない。いや、転生したと言うべきなのかなぁ。それに鳥類にも見られない4枚の翼。もはやファンタジーだよぉ。敷島ちゃんの言う通り、神様に近くなったのなら、人間性や感情は消えてしまった可能性が高いねぇ。あ、ギリシャ神話なら別かぁ。人の心を模そうとして、悪いとこばっかり再現してるもんねぇ」
「でも、どうします?バードマンは飛んでいっちゃいましたけど」
「私が発信機を埋め込み忘れると思う?ちゃーんと位置は分かってる」
そう言って柘榴はスマートフォンを開き、専用のアプリで鳥夫の現在地を確認する。どうやら、まだ遠くへは行ってないようだった。
「敷島ちゃん、とりあえず今日の実験はおしまい。この部屋片付けなくていいから帰っちゃってー」
「流石にガラスも飛び散ってますしこのままには……」
「大丈夫大丈夫!怪我させても悪いからねぇ。ほら、帰った帰った!給料、弾んどくから楽しんでね」
「分かりました……それでは失礼します」
*
半ば追い出される様に退出した亜姫は、廊下に出た瞬間全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。目の前で起こった異常な光景をようやく脳が処理し始めたのか、足の震えが止まらない。
(バードマン、ビダハビットの血液……あの女、予想以上にヤバいことをしてやがる……まずは、三馬鹿共に伝えなきゃな)
柘榴の異常性を垣間見た亜姫は、壁にもたれ掛かりながら一段ずつ階段を降りる。その度に恐怖が遠のいて行く気がした。普段なら数分もかからない道のりに数十分掛け、彼女は露希第2研究所の玄関を抜ける。
「スゥー……ハァ……」
大きく深呼吸をした亜希は、まだ自分の足が地に着いていることに安堵する。
それでも彼女は研究所に振り返ることは無かった。遠のいた筈の恐怖に、また身を焼かれるのではないかと思ったのだ。心の最奥まで突き刺さった恐怖という槍を、彼女が無視するにはあまりにも傷跡が深すぎた。
亜姫に残された選択肢は、この場所から早々に立ち去り、天ヶ原神社へ救いを求めることだけになっていた。
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