第22話 スカウトは一服の前で

 セレモニア新園にいぞので遺体を巡る物語が繰り広げられている一方、駄菓子屋 九判こばんでもまた、ひとつの企てを興じようとする人物がいた――――。


 店主もその家族も居ない九判には箒が塵を払う音だけが聞こえる。学校帰りの子供が菓子を買いに訪れるにはまだ早い時間、都市伝説バードマンこと田中鳥夫たなかとりおは任された店番をしていた。パチンコにのめり込み、都市伝説の威厳どころか、生物(?)としての尊厳さえかなぐり捨てた果てに行き着いたこの場所で、彼はせかせかと金銭を稼ぐ日々を送っている。

 時刻は15時。書き入れ時を前に、鳥夫が一服しようと茶を準備している最中、その人物は唐突に現れた。


「店長さんいますかぁ?」


 鳥夫は驚き、声の方へ振り向く。逆光によりシルエットしか見えないが、声色で女性ということが分かる。1歩、また1歩と店内に踏み入れる度にその姿が明らかになっていく。

 軽くパーマのかけられた腰まである長い髪、全体的にカジュアルにまとめられた女性的な服装、微かに香るアザミの匂い。女性から見ても女性らしい彼女は、本人でさえ気付かぬうちに鳥夫の眼前に立っていた。


「へぇ、凄いねぇ。ここって


 その言葉を聞いた瞬間、鳥夫は頭で考えるより体が先に動いていた。

 鳥夫は腕を真上に上げ空を掴み、懸垂の容量で身体を地表から高速で持ち上げる。宙を掴んでいた手を開き、勢いの乗った身体は女の頭部の上を30cm程高く滑空し、玄関前に膝を着いて着地する。鳥夫の高速移動で生み出された大気は強風を呼び起こす。品物は宙に舞い上がり、女の髪は気流に逆らうことなく、激しくなびく。商品棚は吹っ飛び建物に突き刺さり、品物は宙に舞い上がり四方八方へ飛び散る。一瞬にして店内は、目も当てられない惨状ありさまとなってしまった。

 しかし女の瞳は都市伝説を捉えて離さなかった。鳥夫が店先を陣取り、鋭い眼光で女を睨む。射殺す様な視線に視線に女はニヤリと吊り上がった笑みを返した。


「まるで下手くそが投げた紙飛行機だねぇ。私を水平に超えた後に直角に降下する。その過程で出来た突風は目眩しにもなるねぇ。さらに出口を塞ぎつつ逃げ道を確保……。立ち位置で明確なアドバンテージを取ってくるなんて、流石は私が愛した都市伝説だねぇ」


「君は一体何者だ……!?」


 鳥夫の頭の中は未だ未だ状況を整理出来ていない。ただ唯一本能だけが、目の前の女から大音量で警鐘されている危険信号を感じ取っていた。

 女はゆらりと鳥夫に向き直り、赤い瞳を爛々と光らせる。


「初めましてぇ。私は手振柘榴てふりざくろ。露希で君みたいな都市伝説を研究してるんだぁ。なるべく手荒な真似はしたくないからぁ……素直に同行してくれると嬉しいなぁ?」


「随分と怪しいご職業だね……!僕は君と違って、今は真っ当な職に就いてるんだ。店番として怪しい者を客と認める訳にはいかないな!」


「失礼だなぁ……。私はここに客として来たこともあるんだよぉ?」


「なにっ……?」


 鳥夫の緊張が解けた一瞬を柘榴は見逃さなかった。スリットからちらりと顔を覗かせたレッグホルスターからリボルバー拳銃を取り出し、鳥夫に向けて引き金を4度引く。本来の銃とは違い、銃口からの発火は確認できない。それどころか音も何処か空虚である。咄嗟の発砲に反応できなかった鳥夫に、ダブルアクションで放たれた3発の弾丸が命中した。


「ッ…………?痛、くない?」


「床、見てみなよ」


 鳥夫が視線を下に向けた先には、何の変哲もないBB弾が転がっていた。


「安心安全自然にも優しいバイオBB弾だよぉ。驚いたぁ?」


「こんな子供騙しで……!」


「でも気は反らせた」


 鳥夫が視線を戻した先に柘榴の姿は無かった。直後彼の顔面に痛みが走る。なすがままに攻撃を受け、鳥夫は仰け反ってしまう。

 鳥夫を後退させた技は“蹴り”だった。本来ならば、体格差を考慮しても鳥夫の身体が仰け反ることは無い。柘榴の身長はヒール込みでも165cm弱。一方鳥夫は180cmを優に超えている。一般的な男性と女性に置き換えたとしても、鳥夫の優位性は覆らない。

 が、柘榴は逆にその体格差を利用した。その為の布石は既に撒かれていたのだ。


 1手目はBB弾。鳥夫の身体に当たったBB弾は、彼から見て“右側”に落下していた。この時点での鳥夫はまだ柘榴の持つ銃が、モデルガンであることすら認識していない。


 2手目は視線。『床、見てみなよ』という柘榴の言葉で鳥夫は真下に視線を向けた。視界の端に映ったBB弾を目で追ってしまった時点で、彼には大きな隙が生まれる。


 3手目は柘榴の言葉。鳥夫は自分に向けられていた銃がモデルガンだということに気付き、一瞬冷静さを欠いた。さらに意識を逸らす為に柘榴は『でも、気は反らせた』と、わざと状況を鳥夫に伝えた。その言葉で我に返った鳥夫は前を向くしかない。


 そして最後の布石は柘榴本人だった。柘榴は声をかけた時点で鳥夫の左側、丁度死角になる位置に身体を運んでいた。肉食動物である猛禽類である鷹を模した彼の目は、横ではなく前に付いている。単眼視野の割合が低い彼の目を誤魔化すには十分だった。それに拍車をかけたのが20cmという身長差。これだけの要素があれば、死角からの攻撃が当たるのは確実だろう。


 柘榴の計算し尽くされた戦い方は、完全に鳥夫を翻弄していた。鳥夫には未だ何が起こったのかさえ理解出来ていない。彼には痛みにくちばしの付け根を抑え、必死の形相で柘榴を睨みつける事しか出来ないのだ。


「人中を狙ったつもりだけどぉ、君の顔は鳥だったから外れちゃったかなぁ。でも痛いでしょ?痛いのは嫌だよねぇ……だから素直に付いてきてくれないかなぁ。ていうか、私すごくなぁい!?バードマンだよ!?都市伝説だよ!?生物的にも人知的にもぶっ飛んだ存在を蹴っちゃたんだよぉ!!あははははぁ!背徳感やばいなぁ!!」


「……君は、都市伝説を舐めてるんだな」


「舐めてるぅ?舐めてるわけないじゃん!!私は!愛!してるんだよぉ!!私は君たちの事を知りたい知る為には何が必要だと思う好奇心でしょ好奇心を育むのは愛……。つまり全ては愛から始まるんだよぉ!」


 育ちきってしまった狂気を前に、鳥夫の羽毛が逆立つ。仮に自分が捕らえられたとして、何をされるかは分からない。だが自分がここで食い止めねば、より多くの都市伝説が彼女の餌食となる。

 生存戦略が防衛本能を上回った鳥夫の次の行動は、真っ直ぐ柘榴に突っ込むことだった。


 それは実に鳥類的な行動であり、本能的でもあった。日本で起こるバードストライクの確率は約2パーセント。だが、その2パーセントが時として飛行機を墜落させることもある。元来空は鳥の領域。それを示すかの如く、エンジンに身を投じる鳥たちの姿は、生命の輝きと呼ぶに値する。


 鳥夫は最短距離で最高速度の突進を柘榴に叩き込むため、彼がとった行動は、“クラウチングスタート”だった。


「へぇ、バードマンなのに最後に頼るのは両足?面白くない冗談だねぇ」


「都市伝説は人から生まれる存在……決して冗談では無い、本気だッ!」


 足に力を入れ一気に放出し、地面を蹴る。この時人は足を前後に動かさなければならない。

 だがバードマンは空を飛ぶ。足を動かす必要もなければ、手を振る必要も無い。ただに身を前に投げ出せばいい。矢の様に鋭く真っ直ぐな前傾姿勢は、鳥夫の空気抵抗を極限まで減らす。シンプル故に無駄を省いた突進は正しく生命バードストライクきだった。


「速――――」


 柘榴が言葉を紡ぐ前に、鳥夫の肉体は突っ込んでいた。木造の壁を突き破った鳥夫は土煙を上げながら、裏庭で身体を急停止させる。手の中には何かを捕らえた感触がある。


(やったか……!?)


 勝利を確信し見つめた腕の先には、


「なっ!?」


「ダメだよぉ。女の子の服を剥ぎ取っちゃあ。正面に向かってくることさえ分かっていれば、いくら速くても誰でも避けられる。私としてはぁ、まだ空中でちょこまか動いてる方が戦いにくかったかなぁ」


 振り向いた鳥夫は銃口と目が合う。


「そんな安っぽいモデルガンで僕は――――」


 プラスチックの擦れる乾いた音を最後に、鳥夫の意識は途切れる。彼の眉間に突き刺さっていたのは小さな注射針だった。


「対異生物用麻酔弾。鳥類ベースで作ってみたけど案外効くもんだねぇ。モチーフがある分薬の調合も簡単だったしぃ。それに私はBB弾しか撃てないなんて言ってない……って、もう眠っちゃったかぁ」


 ピクリともしない鳥夫を前に、柘榴はモデルガンのシリンダーを開き、排莢する。地面に落ち空になった薬莢は心地の良い音を立て地面に転がった。


「あー、そうだぁ。これを買った時に店主も と約束事したんだっけぇ。別段銃に興味は無いんだけどぉ、約束事は守らなきゃねぇ……」


 柘榴は軽く咳払いをし、誰に聞かせるでもなく呟いた。


「私はマテバが好きなの……で、合ってたっけぇ?」





「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 時刻は17時。セレモニア新園から帰ってきた錆谷十語さびやとうごを待ち受けていたものは、散乱した商品と壁に大きな穴が空いた九判の無惨な姿だった。


「いや、ちょ、え?何これ何なの?何がどうしてこうなったの?ていうか、鳥夫はどうしたんだ!あいつ腐っても都市伝説だろ?これ放り投げてパチンコでも行ったのか!?」


 状況をまったく整理出来ていない十語はただ大声を上げて、現状に頭を抱えることしか出来なかった。

 その時、彼のスマートフォンに1本の電話が入る。非通知に設定された着信番号、そしてタイミングが良すぎることに軽く舌打ちしつつも、その着信を受け取った。


「はい、どちら様でしょうか」


『ご無沙汰してますぅ。手振柘榴ですぅ』


「ああ、手振さんでしたか。情報ら上手く扱えているようで。て、ご要件はなんです?ちなみに、先程当店は臨時休業に入りました」


 客だった相手に対しても、苛立ちを隠すことなく嫌味を言える素直さは、時として交渉の役に立つのかもしれない(接客としてはNG行為ではあるが)。


『実はそちらで雇っている田中鳥夫さんでしたっけぇ?彼に実験に協力してもらおうと思いましてぇ、勝手ながらお借りさせて頂きましたぁ!あ、店は私のせいじゃないですよぉ?鳥夫さんが暴れちゃったせいですからねぇ!口座に100万円振り込んで置いたのでぇ、ご確認下さぁい。それでは、またの機会にぃ』


「あ、おい!ちょっ……き、切りやがった……!!」


 十語は耐えに耐えていた堪忍袋の緒が切れる音を感じた。そして、ありったけの声量で天高くこう叫んだ。


「あんのクソアマァァァァァァァァァァ!!!」


 その日駄菓子屋九判では、男女の怒鳴り声と釘を打つ音が夜通し響き続けたらしい。

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