第20話 死者蘇生?ビバ個性!

 厚い雲が覆う空の下、等間隔に建造された墓地に両側を挟まれたレンガで舗装された1本の道を、3人の男たちが歩いている。その男たちは露希あらわきの暗部と称され、以下の役職名で通っていた。


 運送屋トランスポーター

 闇医者サージャン

 交渉人ネゴシエーター


 彼ら3人を知る者たちならば、皆一同に驚くことだろう。

 何故、暗部が3人も集まっているのか?何かよからぬ事でも企てているんじゃないだろうか、と。


 男の1人、運送屋は大きなクーラーボックスを乗せた台車を転がしている。静寂と安寧に満ちたその場所で、死者の眠りを妨げるには充分な車輪の大きな音をゴロゴロと響かせる。

 レンガ造りの道の先にある白基調な洋風の建物に男たちが辿り着くと、それを見越してか大量の雨粒が降り注いできた。

 早く中に入れてくれと言わんばかりに交渉人は呼び鈴を鳴らす。カランカランと心地の良い音色を鳴らし、白い外観に反した黒い扉がギギギと重い音を上げて開いた。


「ヤァヤァようこそお越しくださいましタ。……アナタ方を招きたくは無かったですガ」


 扉の先には黒いスーツを纏い、はね上げ式のサングラスを身につけた細身の男が佇んでいた。


「相変わらず怪しい格好してるね。【葬儀屋アンダーテーカー】」


 運送屋は葬儀屋と呼ばれた男の身なりをジロジロと眺める。


「その名前、未だに呼ばれなれませんネ。それにしても御三方が揃って此処“セレモニア新園にいぞの”に集まるとは……ビダハビットの件以来ですカ?」


 セレモニア新園。文字通り露希市内の葬儀を担う場所である。広大な敷地内には霊園が広がり、天気の良い日には墓参りに訪れる客も少なくない。代々世襲制であり、基本的には直径の長男が社長を務めてきた。名前は変われど新園家は古くからここ露希の葬儀を執り行ってきた。希宗派による葬儀の変化に柔軟に対応しており、火葬は勿論、土葬も可能である。言ってしまえば外国人移住者向けプランだ。


 グローバル意識を持ち、安心安全良心な葬儀屋。そんなセレモニア新園にも裏の顔が在る。


 裏社会の隠蔽工作場だ。

 葬儀屋と称される故、主に死体の偽装。秘密裏な処理。痕跡を一切残さない遺体の解体を行っている。

 少々値は張るが、安全かつ機密性の高い拷問所(勿論非合法)を提供するサービスも展開している為、裏社会では特に重宝される場所なのだ。

 その分秘匿性も高いため、裏社会内でもある程度の地位が無ければ、セレモニア新園の裏の顔を利用することは出来ない。


 その全てを統括している露希の暗部の一角、それが“葬儀屋”なのだ。


 そして、セレモニア新園現社長兼葬儀屋の肩書きを持つ、貼り付けた様な笑顔のこの男が“新園キイル”その人である。


「父が亡くなリ、葬儀屋の地位を引き継いだわけですガ……運送屋に闇医者、そして交渉人であるアナタ方3人が此処に集まるということは……エェ、エェ分かりますとモ。ボクは碌でもない面倒事に巻き込まれてしまうのですネ」


「悪いが現在進行形で巻き込ませてもらってる」


「ですよネー」


 悪びれる様子もなくに巻き込んだ旨を伝える闇医者に、葬儀屋キイルは呆れと共に現状を飲み込んだ。

 葬儀屋は厄介事を持ち込んた一同の顔を一瞬見た後、部屋の隅に立てかけてあるパイプ椅子を、徐に4脚ガラガラと引きずりながら並べた。


「おいおい、せっかくの大理石の床が傷付くだろう。俺たちはお客様でしょ?ほら、客間に通すとかさぁ」


「此処はボクの私物だからいいんでス。それに一銭も払っていないアナタ方をお客様と言うのは難しいですネ」


「言うねぇ」


「売れない作家と違ってコチラは選ぶ権利がありますのデ。それで……」


 ――――ボクの仕事はなんでしょウ?


 その瞬間、部屋の空気が一瞬にして変わった。

 原因は一目瞭然。無論、葬儀屋だ。

 死者を尊び、魂の行く末を見守る慈悲深き導き手である彼の足元には、ずるり、ずるりとがまとわりついていた。骸が動く度に、鈍く、重い骨の軋む音が響き渡る。その音は決して声を上げるはずの無い屍たちが、現世うつしよに残した無念を訴える怨嗟の声にも聞こえた。

 それらは葬儀屋を中心に、白塗りの部屋全体に広がっていく。清らかな水面に汚泥が侵食していくかの如く、寸国で部屋中を染め上げた数多の骸は、皆一同招かれざる客に空虚な瞳を向けた。


 金切り声を上げ、卒倒してもおかしくない現実離れした光景を前にした3人だが、各々の振る舞いは以前変わらず、むしろ見慣れたものだと言わんばかりの表情を浮かべている。

 そして、闇医者が口を開いた。


「葬儀屋……いや、新園キイル。先代の葬式の時にもやらかした、そのとやらを止めてくれ。貴様のソレで、雇った坊主が裸足で逃げ出しただろう?」


「すみませんネェ。そちらの大文豪様のご冗談が、あまりにも可笑しかったものですかラ」


 葬儀屋が驚いた途端、先程まで蠢いていた骸の海が、嘘のように消えて無くなっていた。


「……難儀な個性だよ。貴様の感情が昂ると、他者に自分の感覚、それも理屈では到底説明できない第六感シックスセンスを共有してしまうとは」


「自分でもほとほと困ってるんですヨー。第六感、ボクの場合は霊視や死者との会話。所謂霊感と言われるモノですが、他者と共有してしまうボクの体質と相まって、何度築いた関係が壊れたものやラ……」


「ポーカーフェイスに見えて実は感情的だもんな。お前に初めて彼女ができた時、家に呼んだら“共有”しちゃってフラれたんだもんな。ププッ!」


「お黙りなさイ交渉人!!男だったら誰でも緊張するでしょうガ!!」


「お前がセレモニア新園ここに呼んだのが悪いんでしょーが。救われた魂の倍以上の怨念が彷徨いてんだろ?おかげで、鹿意外はここに立ち寄ったりしないぜ?」


「……まァ、事実そうなんですけどネ。馬鹿ビダハビットの時は困りましたヨ。セレモニア新園にいた骸の7割を葬り去ったのですかラ。残っている骸はこの建物内部のみでス。先程見せたモノたちが全てでス」


「結果として良かったんじゃないのか?お前も困ってただろ」


「あのですねェ。ボクは葬儀屋ですヨ?死者の魂を安らかに天へ導かなくてはいけないのでス。あんな化け物に力任せに召された魂が安寧の地へ導かれると思いますカ?全て消え去っただけでス。何処にも行けず消滅した魂に行く宛ては無イ。地獄行きよりもよっぽど悲惨でス」


「俺たち生きてる人間にはあずかり知らない話だな」


「その価値観が死後自分の首を締めるのですヨ」


「困った時の神頼みが、俺の宗教論だ。最期の時は死神にでも祈るさ」


「ハァ……やはり、交渉人アナタとは話が合いませんネ。さて、無駄話はこれくらいにしましょウ。運び屋が持ってきたソレ、“死体”ですよネ。押し付けられる面倒事も察しましタ」


「ご明察通り!君に頼むことは2つ。彼の声を聞いて欲しい。そして、彼の遺体を保管して欲しい」


 葬儀屋の目には初めからクーラーボックスの中身が映っていた。決して透視やマジックでは無い。彼の持つ第六感がその正体を死体と告げている。

 端的に言えばそれは。クーラーボックスの内部から発せられた禍々しい死者の念を、多少なりとも霊感を有している者が知覚してしまえば、失禁をしながら気絶してしまうだろう。魂を繋ぎ止める凄まじい憎悪の鎖を前に、中の遺体がこの世を呪って逝った事実は葬儀屋の目には明らかだった。


「見なくても分かりますヨ。随分と凄惨な最期を迎えたようですネ」


「そこも含めて、彼の声に耳を澄ませようよ。生きている私たちがさ」


「では、付いてきて下さイ。どうぞ奥へ」


 葬儀屋は踵を返し、セレモニア新園の奥にあるスタッフルームへと歩みを進める。

 普段なら忙しなく働いている従業員も、今は誰一人として居ない。露希暗部の秘匿会合の為、葬儀屋が予め人払いを行っているからだ。ひっそりと静まりかえったスタッフルームに、革靴の床を打つ音が壁に深く反響する。残響時間の長さは、人気ひとけの無さを一層際立てた。


 がらんどうなスタッフルームを抜けた彼らを待ち受けていたのは、大きな鉄の扉だった。扉は【MORGUE】(遺体安置所)と表記され、重々しい3つの南京錠で施錠されている。葬儀屋は、腰にぶら下げていた鍵の束から、一際目を引く装飾の施された物を選び、鍵穴に差し込んだ。

 ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ。

 鍵が解かれる度に響く冷たい音色が嫌に耳に残る。

 全ての鍵を開けると葬儀屋は振り返り、3人に目配せを送った。闇医者が一度だけ頷くと、葬儀屋は再び扉に向き直り鉄の扉に手を掛ける。そして扉を力任せに思いきり引いた。

 扉はギィギィと見た目通りの鈍い鳴き声を上げる。


「ようこソ。死者の簡易宿泊施設カプセルホテルへ」


 葬儀屋は薄ら笑いを浮かべながら扉の先に進む。

 室内はひんやりとした空気で充満されており、本能的に生きた者の住む世界では無いと感じる。


「カプセルホテルとはよく言ったもんだ。なかなか洒落が効いてるじゃないの」


「事実ですヨ。此処にいる方々も時が来れば安息地へ導まス。身寄りの無い人間が多く、上手くいっているとは言い難いですガ」


「“ビタハビットの遺体”も此処に保管してるの?」


「馬鹿言わないで下さイ。こんなに置いていたら命が幾つあっても足りませン。御安心ヲ、今も変わらず厳重に保管していまス。アナタ方とボク、氷雨組壊滅の手助けをした我々4人しか知らない例の場所でネ。それより今はコチラでしょウ?ホラ、そっち持って下さイ」


 クーラーボックスに敷き詰められた保冷剤を退け、頭部の無い遺体を2人がかりで持ち上げる。死後硬直はとうに過ぎ、解硬かいこうが始まった遺体の筋肉は既に機能を止めている。完全な脱力による重量感は、人も何れは肉の塊へ変貌を遂げる在り来りだが触れざるべき事実、言わば諸行無常を物語っていた。

 枕飾りなど付いていない無機質な台に乗せられた遺体を前に、闇医者は資料を読み上げた。


田淵陽介たぶちようすけ。年齢34歳。頭部が無いため顔の確認は出来なかったが、遺留品に免許証があったから分かった情報だ。死亡推定日時は4月17日の早朝4時頃。運送屋がたまたま死体を見つけて運んできた。本題はここからだ。葬儀屋、これを見てくれ」


 そう言って闇医者が懐から写真を取り出す。葬儀屋はサングラスのレンズを上げ、じっと写っている人物の顔を見る。そして、眉間に皺を寄せながら口を開いた。


「この男……氷雨組関係者ですカ?」


「俺の見立てだと、こいつは元構成員だ。おそらく壊滅をきっかけに半年前に組を抜けてる」


「小指くっついてますけド」


「ヤクザが全員指切ってる訳じゃない。それに、当時の氷雨組は構成員1人なんぞに構ってる余裕はなかった筈だ」


「まぁ衰退は目に見えて明らかだわなぁ。そいつは繁華街の荒れっぷりで一目瞭然だ」


「確かに。交渉人が繁華街にいるって時点で荒れてる」


「え、俺が基準?」


「聞きましたヨ。綺麗なオネエサンがいるお店で夜の交渉うんたらかんたら……」


「え、なんで知ってんの?もしかして俺のプライベート筒抜け?」


「そこの女好きが暴れているのは大変遺憾だが、今は後だ。葬儀屋、ここからは貴様の仕事だ。田淵陽介との会話は可能か?」


 葬儀屋は遺体を一瞥すると、少し考え込む素振りを見せる。そして数秒の沈黙の後、少し困った表情を浮かべ闇医者の問に答えた。


「死後1週間程度なら霊魂も離れていないでしょウ。なにより残留思念がとてつもなく強イ。最初に忠告しまス。いくらボクの力で霊を見慣れているアナタ方でも、彼を直視する時に掛かる精神不可は計り知れなイ。覚悟はよろしいですネ?」


「彼のこと、拾って勝手に調べた手前、今更放り出すのも忍びないしねぇ。私はいいよ」


「運送屋に同じく。やってくれ」


「乗りかかった船だ。わざわざ警察に掛け合って隠蔽もした。どのみち、お偉いさんには情報報告しなきゃなんだ。完璧な仕事……頼むぜ、葬儀屋さん」


 3人の返答は可。葬儀屋は、無言で田淵陽介の遺体に向き直り、先程はね上げたサングラスのレンズを元に戻した。葬儀屋の視野は黒く彩度を落とし、意識を遺体に集中させる。


 死者との会話。それは、感情的に第六感を共有しても成立しない。生者である3人を死者の魂に認識させる。葬儀屋は、互いを認知させるパスを繋ごうとしているのだ。感情で共有できることは視覚のみ。何故ならば、葬儀屋が無意識の内に不必要な過程を飛ばしているからだ。ただでさえ共有は脳に過度な負荷を与えてしまう。それ故、彼は感情に任せた第六感の共有を視覚だけに無意識に留めている。

 つまり言語や思考を共有するためには、飛ばした過程をしっかりと組み上げなくてはならない。無意識に出来ていることを意識して行う。無論、それに伴う疲労、集中力は計り知れない。

 さざなみ立つ水面が、段々と静けさを取り戻す様、葬儀屋の意識が周りに溶け込んでいく。空気が、世界が、意識が葬儀屋と一体化する。


 そして葬儀屋の目がゆっくりと開いた。


「……来まス」


 葬儀屋がそう告げた途端、田淵陽介の遺体が黒いもやが吹き出す。靄同士が混ざり合い、輪郭を形成していく。凄まじい臭気が4人を襲う。暴力的で毒々しい甘い香りは、胃酸の逆流を促し胸を焼く。やがて彼らの目の前に現れたのは、希薄かつ白と黒で構成された田淵陽介だった。


「……遺体から出ていた靄、あれ合計何グラムかわかりまス?」


「21グラムだろ。魂の重さってヤツか。ハハッ、どうやら本当に田淵陽介が降りてきたみたいだなぁ」


「御託はいい。この猛烈な甘い香りは鼻につく。……今にも吐きそうだ。」


「ここまで強烈な臭いも久々ですヨ。早く終わらせましょウ。

 ――――田淵陽介サン……アナタ誰に殺されましタ?」


 言葉に反応したのか、靄状の田淵陽介はカッと目を開く。焦点が定まらないのか、視線が左右非対称に飛び交う。眼球が眼窩内で縦横無尽に動く様は、霊魂となった田淵陽介が改めて異質な存在であることを再確認させる。

 ひとしきり暴れ回った瞳は、スロットマシンの如く一回転した後、ギョロリと4人を見据える。


『オレが殺された……?』


 さも喋れることが当然の様に言葉を発した田淵陽介の一言目は、 自身が死亡したことへの疑問だった。最期の瞬間を覚えていないこと。それが死を味わったショックによって引き起こされた記憶の混濁なのかどうかは生きている者たちには知る由もない。


「エェ、アナタは深い絶望、憤り、その他諸々負の感情を抱え込んだまま殺されてしまったのでス。今の貴方は所謂霊魂。そこのがアナタの身体。分かりますカ?」


『は?これが俺の身体……?いや、確かにそう見えるが……なんだこれは……?』


「肉の塊だなんて……言葉選んだ方がいいんじゃないのぉ?」


「霊魂ショック療法のひとつでス。ワザと下品な言葉を使ってるんですヨ」


「初めて聞いたんだけどその治療法」


「ホラ、見てくださイ」


『そうだ……!俺は、殺された……!た、確かに頭を……少女に……潰されて!?アァァァァァァァ!!!』


 田淵陽介の霊魂は頭を抱え絶叫した。身体を震わせる度に、靄状の肉体からドス黒い液体が飛び散る。重力に逆らわず床に落ちた液体は、ほんの一瞬だけ煙を上げて消滅する。白紙に一滴の墨汁を垂らした様に、その場には黒いシミが残った。


「どうでス?思い出せましたカ?」


『ハァハァハァ……!!なんでだ!なんでこうなった!!』


 田淵陽介に葬儀屋の言葉は届かない。ただひたすらに、自らの陥った悲劇に嗚咽をあげ、咽び泣くだけだった。

 そんな現状に痺れを切らしたのか、交渉人は陽介に歩み寄った。田淵陽介の体液が交渉人の身体に触れる。その度に皮膚から肉の焼ける音が響き、浅黒い跡が残る。それを意に介さず、交渉人は落ち着いた口調で陽介に語りかけた。


「陽介さん。貴方がいくら嘆こうが、死んでしまった事実は変わらない。今を受け入れないと、貴方が流した涙の様に事実も何もかも霧散してしまう。けれど、我々に貴方の身に降りかかった全てをお話頂ければ、貴方無念を晴らせるかもしれない。何度も言うように、話して貰えればですが」


『……あぁ、分かった、よく分かったよ。


「まずは貴方の決断に乾杯。では改めて。貴方の身の上話を聞かせて頂きましょう」


 そして田淵陽介は軽い霊魂からだになってしまった顛末について、重い口を開いた。氷雨組を抜けたこと。金に困り、露希第2研究所から高額な仕事を受けたこと。そして、謎の少女に殺されたこと。辿々しい口振りではあったものの、陽介はその身に降りかかった災いを伝えた。


『――――俺の覚えている限りの出来事はこのくらいだ』


「質問ですが、手振柘榴てふりざくろと顔を合わせたのはその1回だけですか?」


『そうだ。詳しい素性は分からないが、全く掴みどころの無い女だった。二度と逢えないが、2度も会いたくはないな……。もっと会いたくない相手は俺を殺したあの少女だ。あれはなんなんだ!?まるで……』


「まるで?」


『ビダハビットの様だ……!俺は氷雨組の惨状の跡しか見ていない。けれど、俺も、あの時逝った親父も、組の連中も……俺と同じ恐怖を味わったんじゃないかと思う……!いや、そうに違いない!あれは!あの少女が!!ビダハビットだ!!』


 その瞬間、田淵陽介を象った靄が泥のように崩れ始めた。恐怖に引きつった顔がビダハビットと連呼しながらその身を溶かしていく。鼻につく香りがまた部屋中に広がっていく。


「……ッ!?葬儀屋!!」


 交渉人は思わず葬儀屋の方へ振り向く。葬儀屋は脂汗をかきながら、口元を抑えていた。青白い肌は一層彩度を下げ、今にも死んでしまいそうだった。


「すみませン……!そろそろ、限界でス……!!」


 そう告げた途端、葬儀屋は前のめりに倒れる。それと同時に田淵陽介の霊魂は溶け落ち完全に消滅してしまった。

 たった今、死人が感情を露にしていたとは思え無い程静まり返った部屋には、葬儀屋の荒い呼吸音だけが響く。部屋中にこびり付いた黒い焼痕だけが、田淵陽介が現世に呼び出された事実を物語っている。

 運び屋と闇医者は、未だ浅い呼吸の葬儀屋に肩を貸し、椅子に座らせ、水の入ったペットボトルを手渡した。葬儀屋は大きく喉を鳴らしながら水を飲み込む。あの憎たらしい笑顔は今や見る影も無くなっていた。

 ようやく落ち着いたのか、葬儀屋は額を手で拭い状況の説明を始めた。


「流石に、この人数の共感をそれなりの時間は堪えますネ……」


「お疲れ様だよ。私が死体を運んだ甲斐もあったね。で、交渉人の考えていた通り、手振柘榴が何やら企てていることは確かだね。都市伝説の研究だっけ?よくそんな趣味まがいの研究に費用が降りるねぇ」


「それだけ柘榴が優秀なんだろうよ。副業で八脚馬はかくまの保険医、更にやっこさんは生体研究の博士号を取ってることも調べて分かった。そりゃ多少の我儘も通るわけだ。たが、柘榴はどうやってビダハビットに辿り着いた?」


「田淵陽介の話から推測するに、ビダハビットがただの噂ではなく、真実の存在であると確信していた。いくら都市伝説の研究をしているとは言え、残っている資料は伝承に過ぎない。民俗学者を喜ばせる様な事柄しか書いてない筈だ。尚且つ、ビダハビットは現代の都市伝説、資料なんてある筈が無い。いよいよ手振柘榴の思惑が分からなくなってきた」


「……目を背けちゃいけない事実はもうひとつありまス」


「あぁ、この話に出てくるビダハビットが本物であれば」


 ――――怪崎鳴子かいざきめいこに人殺しをさせてしまったことになる。


 十代の娘が縛られるには、あまりにも重すぎる殺人という枷。願わくばビダハビットの名を借りた別人であって欲しい。その場に居た誰もがそう思った。


「ようやく自由の身を手に入れたと言うの二、彼女は苦難の人生に立たされていますネ」


「鳴子ちゃんはだからな。この調子じゃ、本人の覚悟が出来るまで時間は待ってくれそうに無いな。とりあえず、今は鳴子ちゃんのことより柘榴の方だ。俺は改めて調べ直す。最悪、本人にコンタクトも取らなきゃいけないなぁ……」


 交渉人はこれから訪れる面倒事の数々を考えながら、煙草に火をつける。煙は肺に入れず、唯ふかす。彼の一連の行為が、ひとつの現実逃避であることを知っている運送屋は、軽く交渉人の肩を叩き囁かな激励を送った。


「アッ!?」


 突然葬儀屋が大声をあげる。葬儀屋にしては珍しい素っ頓狂な声に驚きわ3人は思わず葬儀屋に目線を向けた。


「皆さン、これ正門前の監視カメラの映像なんですけド……とてもタイムリーなお客様方でス」


 葬儀屋のスマートフォンに映っていたのは、学生服を来た3人の少年少女たち。その中の一人は件の中心人物、怪崎鳴子だった。

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