第14話 悪夢

 俺は死にたくない。生き伸びて金を手に入れる。そうだよ、俺は大金を稼ぎに来たんだ。

 それがなんだこのザマは?いったいどうしてこんなことになっちまったんだ?俺はいつから道を誤った?



 *



 俺は氷雨組の元構成員だ。そんな俺に1本の仕事の電話がかかってきた。

 手振柘榴てふりざくろ、どうやら一介の研究者らしい。前金まで払われた彼女の依頼は自分でも怪しいことは分かってる。だが、氷雨組の事実上の解散によって路頭に迷っている俺には食いつかなきゃ行けない。お嬢には悪いが俺にオヤジの敵討ちは務まらない。“ビダハビット”なんて都市伝説を信じろという方が難しい。

 何より襲撃の惨状が全てを物語っていた。壁に飛び散る大量の血液、ねじ切られた同胞の四肢、そして首の無いオヤジの死体。アレをたった1人でやったとしたのなら、きっと束になっても敵わない。あの時ほど自分がその場に居なくて良かったと胸をなで下ろしたことは無い。俺は自分の命を大切にしたいのだ。


露希あらわき第2研究所……ここか」


 自動ドアを通り抜けた俺を待っていたのはクライアントの手振柘榴その人であった。それにしても自ら出向いてくるとは。研究者というのは存外暇なのかもしれない。


「まさか来てくれるとは思わなかったよぉ。怪しかったでしょ?」


「えぇ、まぁ。でも現状を考えると受けざるを得ないんですよ。カタギの仕事は今更出来ません」


「うんうん、その意気や良し。腐っても漢だねぇ、君は。じゃあ早速仕事の内容を説明しよう。ほら、着いてきて」


 氷雨組が崩壊した今、俺自身任侠と名乗るのは烏滸がましいのかもしれない。だが手振柘榴の言う通り腐っても漢だった俺を前に、億さず話しかける彼女の態度は正直拍子抜けだった。社会的に悪人に属する相手には恐怖するのが普通だろう。俺は出会って間もない手振柘榴という女に俄然興味を抱いた。


 案内された場所はどこの会社にでもあるような会議室。柘榴はブラインドを下ろし部屋に鍵をかけ人払いをする。他の研究者には知られたらまずい内容なのだろうか。


「さてと……まずはこれ前金ね」


 そう言って彼女は分厚い紙封筒を渡した。中には札束が入っていた。振込ではなく現金。俺は改めてこの仕事の危うさと怪しさを理解する。


「前金を現金で30万円。もし、この仕事が終わったら追加で70万円。1日で100万を稼ぐって考えたら悪くないでしょ?」


「……えぇ。その分、貴女の研究に対する不信感も募りますが」


「そういうことも割り切ってこの仕事引き受けたんでしょぉ?前金を手に取った時点で君は私の小間使いだからねぇ。あー、逃げようたって無駄だよぉ。君のことを社会的に抹殺できる用意はしてある。有難いことに使ってる情報屋インフォーマーが優秀でね。君の住所から血縁関係に至るまでまるっと把握済みだよ!」


「ハッ!まるでヤクザだな。逃げ道の無くなった者から搾取する。貴女、こっちの世界でも上手くいってたんじゃないですか?まぁいい、どの道俺に選択肢は無い。早く仕事内容を教えてくださいよ」


「ふふふ。立場もよく理解してもらったようだし、本題に入ろうか」


 搾取される人間は職業柄数多く見てきた。肉体、精神の自由を相手の手中に収められるこの感覚。実体験は別物ということを嫌でも認識させられる。俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。


「君の仕事はぁ……“深夜に私を襲うこと”」


「ハァ!?」


 俺はこの時人生で一番素っ頓狂な声をあげたと思う。

 いったい何を言ってるんだこの女は?馬鹿と天才は紙一重というヤツだろうか?どちらにせよ、俺の足りない頭では理解出来ない。


「一般人にも分かるように説明して欲しいんですが」


「あっ、そっかぁ!確かにこの一言だけだと私がアブノーマルな性癖を持つ変態サンみたいだよねぇ!でも大丈夫。安心して、これも研究の1つだから」


「研究の1つ?夜中に男に襲われることが?」


「都市伝説の中にはさ、悪事を見過ごせない物好きもいるんだよ。それを誘き出すためのマッチポンプってこと」


「研究者にこんな事を聞くのは野暮かもしれませんが、都市伝説なんて本当にいると思ってるんですか?」


 そんな冗談交じりの俺の言葉に彼女は一瞬にして真顔になる。その瞳は覗き込む人間を反射すらしないほどドス黒い。魅入られたら2度と戻って来れない底なし沼を彷彿とさせる。俺は底知れぬ恐怖を感じ、その場から身動きが取れなくなる。


「都市伝説はる。絶対に存るんだよ。その事実は何人たりも捻じ曲げることは出来ない。そんなことは私がさせない」


 俺は手振柘榴という女の本質を理解した。都市伝説への執着。ある種の“愛”とも言える激しく、狂気に満ちた感情を垣間見た俺は、自分の置かれている状況が如何に危ういかを気付かせられる。


「それにこの都市伝説、少しは君にも関係あるんだよぉ?」


「なに?」


 一転して元の感情豊かな笑みを浮かべる柘榴の意味深な発言に俺は顔をしかめる。関係がある?いったいどんな?


「悪事を裁く都市伝説……“ビダハビット”をお誘いするんだからぁ。改めて伝えるけど、君の仕事はエサだからね。逃げちゃダメだよぉ?」


“上手い話には裏がある”。ことわざというものはどうやら本当らしい。結果として最悪の状況に最悪の形で身を投じてしまった。

 だが、所詮都市伝説。俺は未だにその存在を認められない。認めてしまったら氷雨組が、オヤジが、なによりお嬢が不憫ではないか。まだヤクザ同士の抗争で殺された方がマシだ。名誉の死と語り継がれるのだから。

 けれど都市伝説なんて曖昧で不明瞭なモノに殺されたらそれこそ何も残らない。名誉や地位は人が人に向き合う事で初めて生まれる。だから俺は都市伝説を認めない。


「エサでも何でもやってやろうじゃねぇかぁ!」


 俺は自分の命が大切だ。仇討ちなんて柄じゃない。お嬢には悪いが氷雨組には残れない。

 それでも俺は任侠だ。腐っていても任侠なのだ。俺には世話になったオヤジの死を無価値のままで終わらせることは出来ない。

 これから起こる恐怖を引き離す様に俺は大声で手振柘榴の仕事を引き受けた。



 *



 時刻は夜の2時を迎えた。丑三つ時と称されるこの時刻に都市伝説を誘き出す。随分とご丁寧に整えられた舞台だ。


「4月になったけどまだ肌寒いねぇ」


 この舞台を作り上げた手振柘榴はビダハビットが来るかもしれないと言うのに緊張感を感じられない。イカレている。この言葉を目の前の寒さに体を震わせてる女に使うのは間違っていないだろう。


「奴は、ビダハビットは本当に現れるのだろうか?」


「確率は高いよぉ。布石はもう打ったからねぇ。研究者足るもの事前の準備は怠らないのさ」


 俺の質問に彼女はさも当然のように答える。その布石とやらが何かは知らないが俺としては出てきて欲しくはない。


「そうだ!君はさ、なんで氷雨組がビダハビットに襲われたか知ってる?」


「さぁ?ヤクザなんて何処で恨みを買っているか分からない職業です。第一、俺はビダハビットなんて認めていない」


「君も頑固だねぇ。で、話を戻すんだけど君たちの組長さん、氷雨貞宗ひさめさだむねさんが“人身売買”をしようとしたって噂があるんだよ。それも十代の女の子ね」


 ?いったい何を言ってるんだこの女は?氷雨組は賭博意外に手を出すことは禁止されていた。何より、その掟を誰よりも遵守していたのは氷雨貞宗その人の筈だ。

 俺の身体は結論を出す前に手振柘榴の胸ぐらを掴んでいた。


「氷雨組が人身売買なんて腐ったことをするわけねぇだろうが!!次トンチンカンな事を抜かしたらぶっ殺すぞ!!」


「うっ……!!は、離してくれるかなぁ?私は事実をいったまでだよぉ?それにぃ、君は氷雨組の末端だったんでしょぉ?知らないことの方が多いんじゃない?」


「テメェ!ナマ言うのも大概にしろよ!?」


「ていうかぁ、君は氷雨組と縁を切ったんじゃないのぉ?それなのにそんなに必死になってどうするのさぁ」


「もういい、ぶっ殺す!!」


 俺が拳を振り下ろしかけたその時、妙な歌が聴こえた。童唄わらべうたの様な曲調は心の何処かにある懐かしさを感じさせる。徐々に大きくなる歌声が身体を、脳を、胸の奥を逆撫でる。耳に届いたワンフレーズで俺はある確信を突いた。

 俺はこの歌を聴いたことがある。いや、露希に住むなら1度は耳にするあの忌々しい歌が何処からともなく響き続けているのだ。



 ビダハビットがやってくる。

 悪事聞きつけやってくる。

 鼓動鳴らしてやってくる。

 B、D、H、A、B、I、T。

 ビダハビットがやってくる――。


 俺の身体中を鳥肌が覆い尽くす。このまま留まり続けていたらマズイ。

 全ての細胞が全身全霊で危険信号を送っていると言うのに、俺の膝はガタガタと震え、足の裏が地面にくっついて離れない。歯はカチカチと小刻みに音を立てている。

 そんな俺を嘲笑うかの様に、遂に歌声は俺の真後ろから聴こえてきた。


「……ッ!!」


 鬼が出るか蛇が出るか。はたまた本当に都市伝説か。まだ動く首を使い不格好な体制で振り向く。

 俺の目に写り込んだものは、だった。

 フッと身体の力が抜ける。相手が女だから緊張が解けたのか?いや、違う。

“ビダハビットが女かもしれない”という俺の予想していない状況が目の前に広がっていたからだ。


「おい、手振柘榴さんや。ビダハビットってのは女だったのか?」


 俺の質問に返答は無い。俺は先程まで押し倒していた相手の方を見る。

 そこに手振柘榴は居なかった。


「あんのクソアマァァァァ!!」


 俺は深夜だと言うのに声を荒らげ怒りのままに叫ぶ。逃げやがった。捨て駒か実験材料か、自ら選んだはずの立場に無責任な怒りをぶつける。

 落ち着け、理不尽には慣れている筈だ。俺は冷静になるため、大きく深呼吸をする。まだ涼しい春の夜の空気が俺の肺を満たす。


「ふぅ……さて、アンタはいったい何者なんだ?」


 目の前にいる女がビダハビットかさえ不確かなのに、説明もなく逃走した柘榴にツケはいずれ払ってもらおう。俺が生きていたらの話になるが。

 問題はこの女が何者なのかということだ。


「お嬢ちゃん?であってるのか。アンタがビダハビットなのか?」


 俺の問いかけに推定ビダハビットの反応は無い。対話が出来ないのか?

 おそらく逃げた柘榴は今この状況も監視しているんだろう。弱者な立場にいる俺には逃げ出すことも不可能だ。

 いや待て、柘榴が逃げたということは目の前の女はビダハビットで確定してよいだろう。コイツが氷雨組を何人も相手にし、生き抜いた張本人なら俺も生きては帰れない。


「どうしたもんかな……!!」


 死が目の前に現れた時、人の反応はそれぞれだ。激情に身を任せ喚き散らすか、恐ろしい程冷静になり死を迎え入れるか。

 俺はどうやら後者だったらしい。

 格上の相手と戦う時、弱者の行動はたった一つ。

【不意打ち】この一手のみだ。窮鼠猫を噛む。この一点に賭け俺は走り出す。


「うぉぉぉぉぉ!!」


 現代社会で生きている俺は、勇気を振り絞るめ間抜けにも声を出しながら突進する。

 幸いビダハビットは動かない。強者故の対応に憤りつつも狙った状況に持ち込むことが出来た。

 いける!拳が届く!


「オラァ!!」


 確実に捉えた。そう確信した時、ビダハビットは宙に舞っていた。俺の拳が当たったからではない。

 ヤツが後方に一回転をして逃げたからだ。鮮やかに俺の攻撃を交わし着地したビダハビットは、俺を馬鹿にする様な表情でこちらの様子を伺う。

 不意打ちに失敗した俺とビダハビットの状況はイーブン。いや、イーブンと言うには程遠い分厚く高い壁が目の前にそびえる。


「バケモノかよ……!」


 賛辞にも似た俺の言葉を前に、ビダハビットはケタケタと嘲笑う。

 苦笑いを浮かべる俺の心を見透かすようにヤツはゆらりとした動きで臨戦態勢に入る。あの構え、ボクシングか。

 懐かしいな。ボクシング経験のある俺は一目で見抜いた。ヤツの構えが素人であると。俺もすかさずスタンダードなヒットマンスタイルで迎撃の構えをとる。攻守に優れたこの型ならまず間違いはない。技術面は俺の方が上。後は、しびれを切らしたビダハビットが飛び込むのを待つだけだ。


 ひりついた緊張感が俺たちを包む。俺の汗の1滴が地面に零れ落ちた瞬間、ビダハビットが猛スピードで距離を詰めた。


「速いっ!?」


 やつのスピードは俺の予想を遥かに超えていた。プロボクサーであってもここまで、全身のバネを使うことは出来ない。人間を超越した、まさに伝説と言わざるべき身体能力。

 驚異的な力で繰り出された左のジャブ。ジャブと言うにはあまりにも荒々しいその拳を俺はバックステップで交わす。


「次はっ!」


 俺が次の攻撃に体制を立て直した時、俺の目の前にあるのは少女の拳だった。


「ガッ!!」


 鼻筋に鈍い痛みが走る。それだけならまだ耐えられた。顎でもテンプルでも無いのに衝撃が脳を揺らす。まるでスピーカーに直接耳を当て、直で爆音の音楽を流されたようだ。

 キーンと耳鳴りが俺を支配する。。

 音が遠くへ行く。

 足元がふらつき俺は腰を着いてしまった。

 それが功を奏したのか、フィニッシュの右ストレートは当たらなかったようだ。

 見上げる俺。見下ろすビダハビット。俺は勝てない。いや、人間は都市伝説には勝てない。

 遂にアドレナリンで麻痺した俺の足がガクガクと震えを取り戻す。


「なななな、なぁ!?待ってくれ!!俺はわざとアイツを!手振柘榴を襲ったんだ!!だから悪いことはしてねぇ!仕事だったんだ!!」


 周りなど関係なく涙を流しながら俺は懇願する。ビダハビットは、都市伝説は存在する。人を遥かに凌駕する上位存在。股の間が温かく湿っていくことなどお構い無しに謝り続ける。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 俺は死にたくない。生き伸びて金を手に入れる。そうだよ、俺は大金を稼ぎに来たんだ。

 それがなんだこのザマは?いったいどうしてこんなことになっちまったんだ?俺はいつから道を誤った?



 *



「うわぉ!頭をグーパンで砕いちゃうのぉ!?絶対やばい音したよぉ!!ていうかグロォ……。流石、成人男性相手でもその力があれば余裕だねぇ。さて、この実験でようやく鳴子ちゃんがビダハビットって確信ができた」


 先程までビダハビットが戦っていた場所をドローンを使い眺める柘榴の心はひたすらに昂っていた。本物の、憧れのビダハビットが蘇ったことに対しての狂信的な思いが彼女の身体を支配している。


「鳴子ちゃんも可哀想だよねぇっ!知らないうちに人殺しになっているんだからさぁ!あははははは!!」


 夜に木霊する女の笑い声は誰に気付かれるでもなく夜の闇に消えていく。


「はぁ、はぁ、はぁ、笑いすぎてお腹いたぁい!都市伝説転生の瞬間に立ち会えるなんて研究者冥利に尽きるよぉ!ハァ……身体がぁ!心が昂って堪らない!我ながら興奮し過ぎだよねぇ?でも仕方ないでしょ!?あんなの見せつけられちゃったらぁ!!誰だって濡れるよォ……!」


 柘榴は紅色し、熱を帯びた顔を歪ませながら甘い言葉を吐く。研究対象に向ける母性にも似た愛なのか、恋慕による愛なのか本人でさえ定かではないだろう。

 どちらにせよ愛に変わりは無い。手振柘榴はビダハビットを愛しているのだ。

 口元をニンマリと歪ませたまま、彼女は胸のポケット探る。彼女が手にした小瓶には静かに脈打つ血液が入っていた。それを照らすかの様に雲の隙間から月が顔を出す。青白く淡い光に包まれた小瓶を眺めながら柘榴は口角をさらに上げた。


「これで実験はフェーズ2を無事迎えることが出来る。ふふふ……鳴子ちゃんの血液、大事に使わせてもらうからねぇ」


 柘榴は小瓶を月明かりにかざすし、愛おしそうに口付けをする。ガラスに反射した柘榴は、恍惚とした表情を浮かべていた。

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