第13話 夢

 その晩、怪崎鳴子かいざきめいこうなされていた。どうにも寝苦しい。まだ、4月だと言うのに心做しか暑い。 もしかしたら、風邪だろうか。それとも採血によるストレスだろうか。胸の奥からほのかに熱を感じる。

 嫌に早い鼓動と身体の熱を冷ますため、鳴子は台所に向かう。 鳴子は一人暮らしをしているため、彼女の他に気配は無い。ヒタヒタと暗い部屋に鳴子の足音が響く。

 水道の蛇口に手をかけようとしたその時。


「あれ……?」


 その言葉を最後に鳴子の視界は暗転した。


 *


 私は夢を見ていた。そして自分が夢の中にいることを認識できた。けれど“明晰夢”の様に自由に動けるわけではない。自分が認識しているこの時間を、空間を、漠然と夢だと把握出来る。ただ、それだけの“夢”であった。

 ぼんやりとした私の意識は、徐々に身体の感覚を取り戻していく。つま先から足。足から腰。腰から体。そして各感覚器官を認識する。

 まだ仄暗い私の視界は夜の住宅街を捉える。おそらく見知った道だ。夢は情報の整理とどこかで聞いたことがある。だからこの夢の舞台は露希あらわきなのだろう。

 硬いアスファルトの地面は足の底から冷たさを伝える。


(私、裸足だ……)


 素足で地面に立つ嫌悪感も、夢の中なら気にならない。私の身体は意志の伝達を介さず勝手に走り出す。夜風の肌寒さは胸の内に籠る熱を冷却してくれる。そして目の前に広がる風景は加速する。


(私こんなに足が速かったっけ?)


 グングンとスピードを上げる私の身体はいったい何処に向かっているというのか。速度と比例して私の心に不安が募る。


(私の身体じゃないみたい)


 心臓が高鳴る。鼓動は早く、そして大きく身体の隅々まで響き渡る。自分の心音で胸が詰まりそうになったその時、私の身体は急停止した。


(ッ!な、なに!?)


 錯覚である筈の重力を感じる。勢いを殺すために身体の機能を最大限使って私の身体は地面に踏ん張る。列車や車の急ブレーキによって起こる等速直線運動を、夢の中の私は自分の肉体でやってのけたのだ。

 自然と前傾姿勢になり、脚だけでなく手を使い地面にしがみつく。速度と握力が合わさりアスファルトがえぐれる。人には突然出来ない芸当だ。


(映画みたいだ……)


 昔観たスーパーヒーローの様な動きに戸惑いを超えて感動すら覚える。身体は自由に動かない。けれど現実より自由だ。


 ――――ドクンッ!!


 体勢を立て直した私を襲ったのは今までで1番激しい動悸。走っていた時の何倍もの速度で心臓は動く。現実ではない筈なのに、急激な血流の流れでクラクラする。


(頭が痛い…!これ本当になんなの!?)


 そんな私をお構い無しに身体は驚くほど冷静に動く。膝をゆっくりと伸ばし、丸まった腰は直線を取り戻す。俯き、地面を捉えていた視線は上へ向かう。

 そして私は目の前のを認識した。



『――ッ!――――ッ!?』


(何か伝えたそうだけど……)


 言葉が分からない、というより耳に入らない。けれど怒っているように見える。姿も月の逆光で上手く見えないため目の前の相手を理解することが難しい。


『――ッ!!』


(えっ……)


 ナニかが叫び声と共に襲いかかってきた。殴り合いなんて当然した事ない私は夢だと言うのに思わずギュッと目を瞑る。

 けれど意味は無かった。瞼を閉じ、視界を遮る前に私の身体は宙を舞っていた。


(うわぁぁぁぁぁぁ!!)


 まるでジェットコースターを体感するように身体がクルリと一回転する。体操選手の様な後方転回は見事に地面を捉え着地する。


(ゆ、夢だよねぇ!?ていうか夢じゃないと私こんなこと出来ないよねぇ!!)


 私が驚いている間にも肉体と見知らぬ相手との戦闘は続く。次に仕掛けたのは私の身体だった。視界を上下左右に揺らしながら相手の懐に潜り込む。ボクシングのステップに近いその動きは主観で光景を見ている私の方が酔いそうだった。

 1手目は左手のジャブ。相手はそれを軽く去なす。が、それを見透かすように私の脚は既に一歩踏み込んでいた。距離を一瞬にして詰めた私の身体は2手目も左のジャブを繰り出す。ショートレンジを支配した拳は見事に相手の顔を捉えた。


(当たった……)


 ジャブにより仰け反った相手の視線に合わせ、3手目のストレートを叩き込む。

 しかしこの攻撃は外れた。体勢を崩した相手がその場に崩れ落ちたのだ。


『――ッ!!――――ッ!?』


(何か言ってるけど、聞こえない)


 私は必死に叫ぶ相手を見下ろしながら拳を構える。


(あれ、私なんでこんなことしてるんだろう?それにこれは誰?)


 思考が回らない。今は振り上げ拳をただ相手に下ろせば良い。上手くまとまらない頭の中で唯一この意思だけは感じ取れた。


『ッ!?――――!!』


 目の前の相手はまだ何かを叫んでいる。私にはその声が酷くノイズに感じて仕方ない。


(五月蝿いなぁ。静かにしてよ)


 そして私は声を荒らげるナニかに躊躇なく拳を振り下ろした。


 *


「あっ……!!」


 時計のアラームで目が覚める。先程までとてもヒロイックな夢を見ていた気分だ。寝惚けている身体をゆっくりと起こそうしたその時、


「いっったぁ!?」


 とてつもない激痛が身体中に響き、一瞬にして目が覚める。私は初めて感じる系統の痛みに困惑した。身体が痺れて動かない。私の身体だけ重力が変わったように感じる気だるさ。ああ、そうだ。私はこの痛みの名前を知っている。


「コレ筋肉痛だ!えっ、初めてだけどこんなに辛いのぉ!?」


 私は今まで身体のせいで過度な運動を制限されていた。つまり私にとって筋肉痛は資料でしか見たことがない痛みだったのだ。

 何故急に筋肉痛が?夢のせい?でも、内容は覚えていない。脳内でパニックを起こす私が最初にした行動。それは、


きょうさん、詩音しおんさん……助け……テ……』


 激痛の走る身体を無理矢理動かして友人に連絡を取ることだった。

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