第12話 呪いは救い

「いらっしゃい……あぁ、しずかちゃんか。昨日の今日じゃあ、情報はないよ」


十語とうごさん、こんにちは。お気遣いなく。今日は駄菓子目当ての客なので」


「そうかいそうかい、閑ちゃんも物好きだね」


 山田閑は八脚馬はかくま高校の生徒会長である。物静か且つ凛とした立ち振る舞い、何よりその美貌は他者を寄せ付けない美しさがある。

 そんな彼女は、詩音の従兄弟である錆谷十語の経営する駄菓子屋、九判こばんの常連客だ。


「そうだ、詩音が八脚馬に入学したんだよ」


「えぇ、存じております」


「なんかあったらさ、気にかけてやってよ」


「それは十語さんがすることでは」


「それもそうか」


 閑が手に取ったのはシガレットを模したチョコレート。

 スマートフォンを眺め、接客する態度がまるで見えない十語の元に差し出す。


「ん、またソイツか。閑ちゃんも飽きないねぇ。はい、120円」


「このお菓子好きですから」


「“親父さん”に近付きたいってのもある?」


「……」


 山田閑。本名“氷雨閑ひさめしずか”。

 半年前に壊滅した【氷雨組】の組長、氷雨貞宗ひさめさだむねの一人娘である。所謂ヤクザの一人娘だ。貞宗が閑の身を案じてか、彼女は表向きには一般人ということになっている

 氷雨組は賭場を仕切ることが主な収入源だった。薬や売春等には一切を手をつけない。そんな、絵に書いたよう“任侠”であった。

 しかし、言い換えれば時代錯誤。氷雨組の勢力は全盛期に比べかなり縮小していた。それでも、露希あらわきだけは守り通す。旗揚げ当初に掲げられたその誓いは守られ続けていた。


「十語さんってデリカシー無いですよね」


「よく言われるよ。職業柄、交渉は得意な筈なんだけどな」


「……別に。父に近付きたい訳じゃないですよ。私は知りたいんです。何故


 半年前、一夜にして氷雨組の誓いは破られた。構成員、幹部、そして組長である貞宗の死亡により氷雨組は事実上の壊滅をした。公には内部抗争または、対立組織による襲撃と報道された。

 だが、露希の暗部では“ビダハビットによる粛清”との噂が実しやかに囁かれていた。無論、暗部筆頭の氷雨組組長の娘である閑は、その力を駆使し事実確認を行った。残された構成員も面子に泥が塗られたままではいられない。喜んで閑の駒になった。

 だが、結局今の今までビダハビットの確信的な情報は得られていない。噂は噂のままで、氷雨組が壊滅した現実だけが閑の目の前に広がっている。


「閑ちゃんはさ、ビダハビットに復讐したいの?」


「さぁ、どうでしょう。父が亡くなった後も私は不自由なくそれなりに暮らせていますし。母は子供の頃に出ていきましたが、境遇を考えれば仕方の無いことと割り切れます。父の職業が世間様に大手を振って歩けるようなものでは無いことも分かっています。私自身、苗字を偽って暮らさなければいけませんから、氷雨組という肩書きは私の人生を根本的に邪魔してた。ハッキリ言って父の存在は迷惑でした。唯一遺った父の腕を見ても、葬儀で火葬された時は涙ひとつも出なかった。寧ろ氷雨と言う呪縛から解き放たれて嬉しかったのかも知れません。けれど……」


「けれど?」


「私は腐っても氷雨の女、いや氷雨の人間です。落とし前を付けなくては、残された方々が不憫で仕方ない。それが現当主である私の役目です」


 閑の黒い瞳から、何者にも染められない意思が感じ取れた。

 誰に何を言われようとビダハビットに報いを与える。十代の女子高生が本来持つべきでない、いや決して持ってはいけないドス黒く、冷たく静かに燃える覚悟。その禍々しいさは人の感情において1つの美の境地とも言えるだろう。


「親父さんにさ、生前言われたんだよ」


 彼女の意思に向き合った十語は、眉間に皺を寄せ軽い咳払いして語り出した。


「『俺は長生きが出来ると思っちゃない。父親らしいことも何一つ出来ないだろう。だから、せめて氷雨の肩書きは閑に背負わせたくない』ってさ。親父さんは閑ちゃんにこれ以上修羅に身を落として欲しく無いんだよ」


「だから、いつも曖昧な情報ではぐらかしていたんですか……!」


 感情の乗った声を閑は発する。

 その言葉には怒り、失望、悲壮感が篭っている。


「残念ながら、情報は本当に無い。ただ、親父さんの言葉は紛れもない事実だ」


 閑は口を閉ざす。

 言葉は呪いだ。発した側も受け止める側もボタンの掛け違いひとつで物事は思わぬ方向に進んでしまう。

 交渉ネゴシエーション的には失敗か。十語は心の中で呟く。


「遺言か何かは知りませんが、私にとって今の父の言葉が1番迷惑でした……!死んでも私の障害になるとは思いませんでしたねっ!!」


「親が子を思う気持ちに違いはない。ただ俺は親父さんの言葉を伝えただけだ。恨まれる筋合いは無いし、君が望めばこれからも情報は伝えよう」


「……ッ!えぇ、是非。十語さんのご助言は謹んで受け入れます。失礼します」


 そう言って閑はローファーをカツカツと鳴らし九判を後にする。店内にまた静寂が戻る。

 十語は胸ポケットからソフトタイプの煙草を取り出しその1本を咥え火をつける。フゥーと彼の息が漏れた後、煙が店内を曇らせた。


(助言をしたのは俺じゃなくて親父さんだっての!)


 そんな憤りを飲み込むように十語は煙を肺に流し込む。


「ビダハビット……お前は本当に面倒臭いことをしでかしてくれたよ。こっちの苦労も少しは考えてから死んでくんねぇかなぁ」


 誰に聞かせる訳でもなく、十語は悪態を付く。半年前の関係者としての立場は、思った以上に重荷になのだ。まして、閑に気付かれてしまえば全てが壊れてしまう。この重荷も煙になって何処かに飛んでいってしまわないだろうか。

 どうにもならない現実から思考を逃避させ十語はまだ先の余っている煙草の火を消した。


「おにぃただいまー……って煙草クサッ!!」


「お邪魔しまーす!クッサ!!こんなんじゃお客さん来ませんよ!?」


「2人して臭いって言わないでくれない?女子高生に言われるのは3倍増しでツラいんですけど」


 詩音と鳴子めいこの罵声が今はありがたかった。それが、十語を非日常から日常に戻す。十語がになれるのだ。

 言葉は呪いの反面、救いでもある。何気無い言葉が淀んだ心を浄化してくれるのだ。

 だが、それはそれ。これはこれ。


「はい、君たち店主を怒らせちゃったね。詩音はドーナツ無し。鳴子ちゃんは今日は正規料金の3倍で払ってね」


「「そ、そんなぁ!!」」


 ハッハッハッハッと大人気ない笑い声を出しながら、十語は今日も駄菓子屋としての自分を保つ。己のとがから目を背けられるこの時間を噛み締めるように。

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