第9話 血は口ほどに物を言う
「メーちゃんおはよー」
「
席につき「ふぅ」とため息を着く錆谷詩音。昨日の夜の不安が顔に現れたのだろうか。
それを見て
「詩音さん、お疲れですか?」
「んー」
「だいぶ参っちゃってますね」
「昨日の夜、ちょっと眠れなくて。採血が不安なのー」
「ストレスかな?注射の前日は不安になりますもんねぇ」
身体の不調に関して鳴子の右に出る者は居ないだろう。
何せ15年もの長い月日、心臓に病を患っていたのだから。
「2人ともおっはよーって--あれ?詩音元気ないじゃん」
打って変わって今挨拶をした枝織響は、元気の塊そのものだった。というより浮き足立っていた。
「おはよー、キョーくん。朝から五月蝿い」
「おはようございます。響さんは元気ですねぇ」
「ふふふっ……昨日、俺に何があったか知りたいかい?」
誇らしげな表情をした響を煩わしそうに見る詩音。明らかに反応に戸惑っている鳴子。
そんなことは露知らずの響は口を開く。
「内緒でーす!」
その一言を耳に入れた瞬間、詩音は響の顎を的確に捉えていた。
芸術的とも言えるそのは拳は見るもの全てを魅了する。
詩音のアッパーカットをモロに食らった響の背後に、K.Oの二文字が浮かんでいることは想像に難くないだろう。
周りから歓声や悲鳴の声が聞こえる。
「痛ッタァ!?何すんだよ詩音!!」
「自分の胸に手を当てて聞いてみて」
「いや、ちょっと巫山戯ただけじゃん!?だよな、ナルコ?」
「今のは響さんが悪いかなーって……あははは」
鳴子は申し訳なさそうに引きつった笑みを浮かべる。
響はあんぐりと口を開け、申し訳なさそうに自分の席に着いた。
「はーい、皆さんおはようございます。なんで枝織くんは顎を腫らしてるんですか?」
「
不名誉だろ。クラスの全員が心の中で呟いた。
八脚馬高校1年3組の担任、
「私が昨日言った通り、今日は採血があります。毎年のことだから皆はもう慣れてるかな?」
彼女の言う通り、露希の学生は年に1度4月に採血を受ける。
毎年ある恒例行事に慣れているのか動揺する者はいない。
「このクラスの採血は10時からです。授業をするにしても時間が中途半端だし、それまでは自習にします」
クラス内で小さく歓喜の声があがる。
「くれぐれも静かに自習するように。シワ寄せは私に来るので」
「おっけー!冨二実先生まかせてくださいよ!」
「枝織くん、君が1番心配です」
そう言い残して千年生は退出した。
彼女が退出した瞬間、響は鳴子の席の前に来る。
それを見た他のクラスメイトも各々の友達の元に移動した。
詩音は寝不足なのか机に突っ伏したまま動かない。
「ナルコはさ、都市伝説に興味ある?」
「都市伝説ですか?そうですねぇ、オカルト系の掲示板は見てたりしましたからね。そういう話はワクワクします!」
「ならちょっと聞いてよ。前話したやつ、覚えてる?」
「えーと、確か……ビダハビット」
「それそれ!無敵の都市伝説ビダハビット」
鳴子が無意識に口ずさんでる曲の歌詞にもビダハビットは出てきた。
けれど、鳴子が露希に住み始めたのは今年の4月。
何故、自分はビダハビットを口にしているのか疑問に思いつつ響の話に耳を傾ける。
「実はさ、ビダハビットがこの街に居るかもしれないんだ」
「それは……凄いですね。でも、都市伝説ってそんな簡単に存在を認知出来るものなんでしょうか?」
「前にも話したけど、半年前の氷雨組襲撃。あの事件にビダハビットが関わってるって噂があっただろう?これは人間のエゴ的な憶測に過ぎないんだけどさ」
響は顎に手を抱を添え、ぽつりぽつりと推理を披露する。
「都市伝説は噂によって力を得るのだと思う。例えば……そう花子さん!知らない人の方が少ないこの都市伝説は起源がいつであれ、今なお語り継がれてる。それって人の記憶に残ってるってことだろ?だから、都市伝説の中でも確固たる地位を築いている。つまり、人間の記憶に残ることが都市伝説の力を高めているってことだと思うんだ 」
「人の記憶に残る……」
逆を言えば人から忘れ去られてしまえば力を誇示するどころか存在さえ無くなってしまう。
響の言うことが確かなら、人間も似たようなものだ。
生前に偉業や悪行、どちらにせよ歴史に爪痕を残した人間は今日に至るまで教科書やインターネット、その他のメディア媒体に名が残る。
沢山の人の目に触れる、すなわち大勢の記憶に残る。
では、そうではない人間は?
勿論、墓の下だ。
所謂、一般人。記憶に残るとしても、長くて血の繋がりのある3世代ほどが限界である。
つまり、響は『都市伝説も人間も知名度によって存在の効力が増す』と言いたいのだ。
「だとすると、不思議ですよね」
「不思議?」
「響さんの話だと、ビダハビットは最初から無敵の都市伝説と言われていました。仮に都市伝説の力が知名度だとすると矛盾しませんか?だって、“無敵”なんて強大な力を得るにはそれなりの知名度が必要になりますから。最初からその力を持っているはずが無いんですよね」
知名度と力。その関係性が成立するからこそ発生する“無敵の都市伝説”という2つ名に対しての矛盾。
鳴子の推理を予想していたのか、響は答えた。
「これも憶測なんだけどさ、ビダハビットは強い人間だったのかもしれない」
「ビダハビットが人間?」
鳴子にはしっくりこない。
存在があやふやな都市伝説が、ごくありふれた人間と響は言っているのだ。
矛盾が矛盾を呼ぶ。
鳴子の頭をよりいっそうクエスチョンマークが埋めた。
「都市伝説の生まれ方の話になるんだけどね。1つめは“根も葉もない噂”から生まれたパターン。例えば、子供を禁足地に近寄らせなかったり、夜遅くに出歩かないようにしたり……戒めから生まれる創作が起源なんだ」
「学校の7不思議とか、勘違いから始まる噂とかも含まれそうですよね」
「その通り!そして、それらは想像でしかない。想像の脚色が彼らの姿を変え、力を与える。ついでに弱点もいつの間にか付与されてたりするけどね。口裂け女にポマードとか」
想像で生まれたからこそ、想像で変化する都市伝説。
だからこそ人から人に伝わり、脳に記憶させ、想像させる“噂”が彼らのような都市伝説の要になるのだ。
「で、2つ目だけど、“人間が都市伝説に昇華した”パターン。こちらは、余程のことがないと生まれないんだけどね」
「余程のことって言うと……多分悪いことですよね」
「うん。自分が狂ってしまうほどの恨みを持つか、それとも人の恨みを腐るほど浴びたのか。
どちらにせよ、何かの畏怖の対象にでもならないと人間という理から逸脱することは出来ない。種という線引きを超え生まれた都市伝説。それがビダハビット」
超えてはいけない境界に踏み込んでしまった人間を都市伝説と呼ぶ。
そんな、響の話には妙な説得感があった。
「これだけ話たけど、結局は憶測の域を超えないし殆ど受け売りだからね」
「でも、とっても興味深かったです!病院での生活が長かった私には刺激的でしたよ!やっぱりオカルトって面白いですよねぇ。私も響さんみたいに都市伝説を調べてみようかなー?」
「ほんとか!?だとしたら俺も嬉しいよ!!結構子供っぽい趣味だろ?」
「ワクワクすることに子供らしさも大人らしさも関係ないですよ。私には響さんの話がどれも輝いていますし魅力的です」
鳴子には世界が魅力的だ。
今までは病院という小さな箱が彼女の生活の8割を締めていた。
そんな彼女に、都市伝説という未知の世界の知識を響が与えたのだ。確かにインターネットでもオカルティックな話題は尽きない。
だが現実で、それも自分がいる露希で虚像が実像として現れようとしている。
興味を持つことは至極当たり前なのだ。
「1つ気になっていたんですけど」
「ん?」
「どうして響さんはビダハビットに拘るんですか?」
「それは、アイツが俺のヒーローだから--」
『1-3組の皆さん。採血の時間です。体育館に集合してください』
クラスに呼び出しがかかり、2人の会話が遮られる。
「時間だね。また今度話すよ」
「ぜひ!私も何か面白い話を見つけたら教えます!」
「やった!でもまずは机で寝てる不機嫌なお姫様を起こそうか」
「ふふっ、ですね」
2人は教室の眠り姫に声をかける。
詩音はもぞもぞと機嫌が悪そうに顔を上げた。
「詩音、さっきは悪かったよ。ほら、採血いくぞ」
「むぅー、キョーくんのバカ」
「悪かったって、ほら行くぞ」
「響さんも謝ってますし、ね?」
しぶしぶと立つ詩音の背中を押しながら3人は体育館に向かう。
少し開いた廊下の窓から、草花の息吹く春特有の香りが風に乗って漂ってくる。
部室棟に移動する吹き抜けの廊下を通ると見える桜を横目で眺めつつ彼らは、目的地である体育館に辿り着いた。
体育館は既にたくさんの生徒で埋まっていた。
クラスごとに分けられた列の先には、青いカーテン奥で露希の医療機関から派遣されたであろう白衣を着た人々が黙々と仕事に取り組んでいる。
高校生だというのもあるが、注射の針をさされている学生の中に痛みや恐怖で泣き出すものはいない。
医療関係者による注射針から意識を逸らすための世間話や、生徒の微かな話し声は聞こえるものの、昼休みの体育館とは程遠く静かな空間が広がっている。
「俺たちの担当はだーれだっと」
「
生徒が入れ替わる度にちらりと見える人物が見えたのか、詩音は独り言のように名前を呟いた。
その表情は明らかに嫌悪感を示している。
「知っているんですか?」
「八脚馬の非常勤の保険医……」
「なんでそんな敵意むき出しの表情してんだよ。可愛いじゃん」
「これだから男は」
「性別という大きな枠組みで否定!?」
「詩音さん、どうどう。一体何があったんですか?えーと、手振先生と」
鳴子が不思議そうに詩音に尋ねる。
その言葉に一呼吸置き、軽い溜息を着いた後、詩音は小声で話し始めた。
「手振柘榴……先生は都市伝説の研究をしている人っておにぃが言ってた。アタシたちの血液が研究に使われるかもしれないって」
「まさか……!」
響は何かに気付いたのか、口元に手を当て言い放った。
「
「アタシもそう思う」
「えっ?えっ?」
2人の会話を聞いて困惑する鳴子。
彼のデビュー作【空想コミュニケーションズ】と言えば誰もが唸るファンタジー小説である(当社比)。
そんな大作家を馬鹿と罵るとは何たるか。
鳴子は口をキュッと結び、眉間にシワを寄せるため目をギュッと瞑り、精一杯の怒った顔を2人に向ける。
「メーちゃんどうしたの?」
「むむー!むむむっ!むむむむ!!」
「ナルコごめん。口開かないと何言ってるか分からない」
「ぷはっ!2人とも、十語先生は馬鹿じゃないんですよっ!」
体育館中の視線が一斉に鳴子に集まる。
鳴子本人も予想外の自分の声の大きさにハッとする。
すぐさまペコリペコリと周りに頭を下げ詩音と響に向き合う。
「なんで、十語先生が馬鹿になるんですか!」
「よく考えてみろ。今回集められた血液は全て何処に行くと思う?」
「えっと、都市伝説に注入される?」
「あほメーちゃん」
「詩音さんまで!?」
「血液は露希の検査センターに送られるんだよ。採血をする人たちもそこから派遣されてる。だから、手振先生の研究内容とは違うんだよ」
「それに、わざわざリスクを犯してまで血液を盗む必要ある?アタシだったら自分の血を使うけど」
「た、確かに……」
3人がやれああだ、いやこうだと議論を交わしあっていると早くも響に採血の順番が回ってきた。
臆すること無く青いカーテンの奥に入る。
「枝織響君ですねぇ。保険医の柘榴ですぅ。よろしくねぇ。注射怖くない?」
「よろしくっす。慣れてますから怖くないっす!」
「流石、男の子だねぇ」
柘榴は慣れた手付きで採血の準備をする。
響の右肩には消毒用のアルコールが塗られた。
少しヒヤッとする感覚だけは何時になってもなれない、ぼんやりとそんなことを考える。
「響君って、都市伝説とか好きなの?カーテン越しに聞こえちゃってね」
「あー、えっと、そうッす!子供っぽいっすかね」
「好きなことがあるっていいことだよぉ。私もオカルティックなこと大好きだからね。はい、採血おしまい」
「えっ、もう終わり?」
気がつけば採血は終わっていた。
痛みから遠ざけるため、響に話題を振ったのだろう。
だとしても、痛みを感じない。
針が皮膚を通り血管に突き刺さる、そして血を採取する。
柘榴はこの一連の動作を気付く間もなく終わらせたのだ。
「響君お疲れ様。何かあったら保健室に来てねぇ?都市伝説の話聞かせたげるぅ」
「は、はい……」
驚く響を横目に柘榴は次の生徒の準備に移る。
響に続く生徒は詩音だった。
詩音は昨日の
「大丈夫大丈夫、痛くないからそんな怖い顔しないでねぇ」
「いえ、別に」
そんな緊張が伝わったのか笑顔で詩音を迎え入れた。
詩音には当たり前の対応でさえ気に食わなく思えた。
柘榴の一挙一動に苛立ちを感じ始める。
「私、詩音さんのお兄さんのお世話になってるんですよねぇ」
「はぁ……」
「お兄さんのお仕事はご存知?」
「売れない作家ですけど興味ありません。そんなことより早く」
「もう終わってるから大丈夫」
詩音が腕に目をやると、絆創膏が貼られていた。
詩音は舌打ちをしたい気持ちをグッと堪え、退出しようとする。
「詩音さん、お兄さんによろしくねぇ」
「……」
何も答えず立ち去る詩音。
後ろから柘榴の苦笑する声が聞こえた気がした。
(おにぃ、やっぱりアタシこの女苦手)
いつもとは違い荒々しく足早に歩みを進める詩音の機嫌は、誰が見ても明らかだった。
詩音は一刻も早くその場から立ち去りたかった。
心の中を見透かす様な目を向ける手振柘榴という女から逃げたかったのだから。
*
消毒液の香りが漂う仕切りの中は、鳴子に病院を思い出させた。
「怪崎鳴子さんですねぇ。身体はもう大丈夫?」
「ご存知でしたか。今のところは特に問題はないです!」
「それは何より。鳴子さんは注射には慣れてるぅ?」
「小さい時から沢山打ってきましたからねぇ。この消毒液の匂いもむしろ落ち着きます」
「病院慣れというのも考えものだねぇ」
柘榴は今まで変わらず、手際よく採血の準備を進める。
そして針が鳴子の皮膚に刺さる瞬間
「いたっ!」
「あらら?」
生徒が今までとは違う反応を見せたのだ。
方法は変えていない。
柘榴自身、痛みを感じさせない様に注射針を刺す技術に長けていると自負している。
なのに“鳴子は痛みを感じた”。
「あぁ、ごめんねぇ。もしかして鳴子さん痛みに敏感だったりする?」
「い、いえ……分かりません」
「なら私が悪いのかもぉ。はやいところ血を抜いちゃおっか?」
スゥーと血を抜かれる冷たい感覚が鳴子に伝わる。
だがおかしい。何かがおかしい。
注射に慣れたはずの鳴子は息苦しさを感じ脂汗まで出していた。
「鳴子さん、大丈夫?汗酷いけど」
「は、はい……!大丈夫です……!」
鳴子の皮膚からは汗が止まらなかった。
一滴ずつ自分の血液が抜かれる度に、頭の中でガンガンと爆音が響く。
静かなはずの体育館で何故?
そんな疑問をかき消すように頭の中のノイズは音量を上げる。
(ダメ……もう、意識が……!!)
トンッ……
目の前が暗くなりそうな時、先程まで疎らだった雑音の中に一瞬打楽器の音色が聞こえた。
それを待ちわびていたかの様に頭の中に響く音はどんどんと輪郭を帯びていく。
そして最後には----。
トクン……トクン……トクン……
ノイズだったものは鼓動音に変わる。その音は鳴子の親しい人物、母親に抱かれている様な安息感を与えた。
「……子さん」
鼓動とは違う音が鳴子に聞こえる。
「鳴子さん!しっかり!」
「あれ、私は……?」
目を覚ますと柘榴が鳴子の目の前にいた。
「はぁー良かったぁ。鳴子さんは気を失ってたんだよぉ?」
「えっ、あっ!どのくらいですか!」
「ほんのちょっとね。血を抜いた後30秒くらいかな」
「あー……貧血だったかもしれないです。すいません」
「とりあえず立てる?」
「あっ、はい!立てます!」
鳴子はその場に立ってみせる。柘榴も安心したのか一息ついて続ける。
「鳴子さん、睡眠はしっかりね。何かあったら保健室に来なさい。分かりましたかぁ?」
「はい、ご迷惑をお掛けしました」
申し訳なさそうに鳴子は退出した。
それを見送った後に柘榴は少し乱れた簡易な診療室を整理する。
軽く飛び散った鳴子の汗を吹き終えると、柘榴は採取した鳴子の血液を移した小瓶を目の前に持つ。
――――その血液は脈打っていた。
血液が脈打つ。つまり血液が“生きている”のだ。
そう、有り得ないことなのだ。
けれど、紛れもなく鳴子の血液は動いているのだ。
それは呼吸と言っても差支えないだろう。血液をひとつの生命として扱う非現実的なことが起こっているのだ。
普通の人が見たら一溜りもないだろう。それこそ世紀の大発見だ。震えて悲鳴のひとつやふたつ上げているに違いない。
けれどこの女は違った。
「ふーん、そっか。鳴子さんなんだねぇ」
“ビダハビットの心臓の持ち主”は。
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