第6話 錆谷詩音 2

 監視カメラの映像越しにアタシは依頼人クライアントとおにぃの姿を確認する。

 交渉人ネゴシエーターに最も重要視される能力は、如何に相手の意図を汲み取り、その深層に触れるか。

 下手につけ入れさせる隙を与えてはならない為、絶対的な我を持つ必要がある。

 かと言って主観に拘りすぎても、相手に寄り添い過ぎてもいけない。

 緻密で繊細な心理分析が要求される。


「いらっしゃませ。九判こばんへようこそ。依頼人の“手振柘榴てふりざくろ”さんですね。交渉人の錆谷十語さびやとうごです。今回お渡しする情報に関してですが、交渉の必要性を感じた為、大変申し訳ないのですがこの様な場を設けさせて頂きました」


「いえいえ、そちらもお仕事ですからねぇ。いくらでもお付き合いしますよぉ」


 依頼人【手振柘榴】の第一印象はとても柔らかい雰囲気を纏った女性だった。

 この人がアタシたちの高校の保険医なのか。

 男子生徒に人気になりそうだな。アタシは緊張感もなくそんなことを考えていた。


「では早速。手振さんのお求めの情報は『八脚馬はかくま高校新入生の血液型と家族構成』で間違いないですか?」


「ですですぅ。理由もご記載した通り、『採血を滞りなく進めるため』ですよぉ」


「毎年、学生は大変ですね。あ、そうだ。

 手振さんは保険医の他にも研究職をしてらっしゃるとか。失礼、お気を悪くしたら申し訳ない。依頼人の身辺を調べるのも仕事の内でして」


「ふふふ、流石“露希の暗部”と言われるだけありますねぇ。となると、研究内容に関しても知られちゃってますかぁ。やましい事は何もないけど何だか恥ずかしいなぁ」


 おにぃの悪い癖だ。

 相手の素性を調べあげていることをわざと伝え牽制し、優位に立つ。

 警戒していると言えば聞こえはいいが、このやり口で何度依頼人のプライドに傷を付けたか。

 露希の市長さんは特に大変だった。

 あの時は「対立派閥の金の流れた先を教えろ」という依頼だった。

 結果、おにぃが市長さんの通いつめてる女の子のお店まで調べあげ、その事に腹を立てた市長収めるのが大変だったっけ。

 あの件は色々一悶着あったけど、相互協力という形で手打ちとなった。

 しかし、手振柘榴は腹を立てるでもなくサラッと受け流している。これは果たして素なのか、内心は焦っているのか。

 目の前に立つおにぃにしかそれは分からない。


「研究先は露希第2研究所。研究対象は……“都市伝説”。なかなか浪漫溢れる研究でしょ。お金にはならないけどぉ」


 都市伝説を研究?いったい何を言ってるんだ?

 のキョーくんじゃあるまいし、そんなものを本気で研究する機関が露希に存在しているというのもおかしな話だけど。


「研究費がまだ降りているなら、何処かに需要があるということですよ」


「その需要のおかげで、私も自堕落に悠々と自由な研究ができてますからねぇ。それでぇ、私の研究が今回の取引とどの様な関係が?」


「いやね、小説家が本業なもんで、今後の参考というか妄想に近いんですが、そちらの研究機関ではのでは?」


 おにぃは更に突拍子も無い発言をした。

 第一、都市伝説は物理的に手にすることが出来るのか。

 疑問は残るがおにぃは続ける。


「あくまで創作としてこの妄想を深堀をするなら、今回の採血で得た血液を都市伝説に投与するとかね」


「……」


 流れる沈黙。

 まさか手振柘榴はおにぃの妄想が本当だとでも言うのか。


「あはははは!!流石物書きさんですねぇ!!もうすこし深刻な表情をしてようと思ったんですけど耐えられなくて!血液は露希市の検査センターに送られるんですから持ち運びの仕様がないですよぉ。もし何かあった時のために事前に血液型と家族構成が必要なんです。その情報元も市からのものでしょう?」


「ま、そうなんですけどね。役場から毎年頂いているんですよ」


「都市伝説を所持してるですっけ?残念ながらまだ見たこともないんですよぉ。研究してるっていっても民俗学みたいな物ですから。文献を参考に露希の都市伝説のルーツを調べているだけですよぉ」


「なるほど、これは失敬」


「でも、血液を投与ってちょっと安直過ぎませんかぁ?仮に人間の血液を都市伝説に投与できてもメリットはないでしょう?逆ならまだしも。どちらにしても血液はリスキーですよね。感染症とかもろもろ怖いですしぃ。創作としてもちょっと無理があるかなーって」


「そこまでか……」


 おにぃの行き過ぎた妄想は手振柘榴の大笑いで収拾がついた。

 それにしても、専門家に指摘されてそこまで凹むのか。

 おにぃ、アタシはちょっと失望したぞ。

 クリエイターならもっと強いメンタルを持て。


「誤解も解けたので情報、お渡ししますね。振込先はこちらの口座に」


「はいはーい――――ポチッと……確認お願いしまぁす」


「――――はい、確認しました。それではこれにて交渉を終わります。長々お付き合い頂きありがとうございました」


 おにぃがそう言って今回の交渉は幕を閉じた。

 手振柘榴は一礼して店から出ていく。

 アタシは彼女が店先から立ち去ることを最後まで確認して、1階まで降りる。


「おにぃ、お疲れ――」


「詩音、あの柘榴って女には気をつけろ」


「えっ?」


「露希市が提供してる新入生の情報、アレの出処……分かるか?」


「えーと、露希市が管理しているって言ってるけど……。市長が以前依頼した時に弱みを握って、こちらに流すように伝えたから……」


 そう、先程話した露希市の市長さんとの相互協力。

 こちらも対価を払うから露希市在住者の情報を教えてもらう。

 この情報に含まれる内容は、住所、家族構成、勤め先やら何やら。

 本来、露希市役所で管理されるものだが市長さん(おそらく有能な秘書さん)に横流しをしてもらっている。


「そうだ。ではなく、なんだよ。で、市長との協力も裏取り引きな訳だ」


「うん、露希市役所の職員は情報が漏洩してることを知らないはずだよ」


「じゃあ、なんで手振柘榴はと知ってたんだ」


「えっと、住居の管理とかは彼処がやってるからとか?」


「いや、今回の内容はあくまで家族構成と血液型。だったら過去に行った採血の記録を調べるだけだろ?ここは露希だ。条例で学生は年1回の採血をする必要がある。なら、医療関係の情報を漁る方が早い。それこそゆうを頼る方が楽だ。暗部の存在を知ってるんだ、アイツのことも分かってるはずだ。ま、アイツに辿り着くのことは難しいだろうし、辿り着いたとしても馬鹿みたいな額フッカケられるけど」


 ここまで説明されてアタシはハッとさせられる。

 おにぃは何故、手振柘榴はピンポイントで“情報元が市役所のもの”と断定できたのか、ということを言いたいのである。しかもこの情報は公どころか、職員さえ情報漏洩のことを知らないのである。


「ブラフにしても、彼女の背後に何かいるとしても気をつけるに越したことはない。変にプッツンするタイプより、のらりくらりと掴みどころの無い奴のが怖いんだよ」


「おにぃ、アタシあの女のこと調べようか?」


「んー……いや、いまは下手に動きたくないからなぁ。保留で。なるべく、足がつかないようにしてくれるだけでいいや」


「分かった」


「あと、学校では普段通り過ごすように。多分、苗字で柘榴になんかツッコまれるからね。平常心、平常心」


「はーい。おにぃはこれからどうするの?」


「ちょっと色んなとこにお電話してくる」


 そう言っておにぃは自室へと戻っていった。

 アタシは学校生活に不安の種が産まれた事実を受け止め、パソコンに向かう。

 情報、メッセージ、金。

 それらの足取りを希薄にしながら頭を回す。


「手振柘榴……都市伝説……あ、きょーくんが面倒くさくなる未来が見えた」


 露希市だとか、血液だとか、情報の終着点とか。

 もしかしたら大事に発展するかもしれない。

 多分、おにぃはその事で方々に連絡を取っているのだろう。


 しかし、情報屋の前に学生である私が真っ先に思いつくのは、都市伝説バカな友達のことだ。

 露希の未来より、現在の友達。

 学生故の身勝手な自由意志を今は大切にしたい。


 アタシはクラスの採血担当が手振柘榴じゃないことを願う一方だった。



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