第10話 外科医

 幣原育司しではらいくしは診察室の丸椅子に座っていた。無気力に左腕を突き出し、診察を行っている。消毒を終え、机にだらりと横たわった手のひらに永井晴一ながいはるいちが包帯を丁寧に巻いていた。

 永井は町の一角で診療外科を細々と営んでいた。小さい病院で、あまり人も来ない。


「これで大丈夫です。一応化膿止めの薬と解熱剤を出きますよ。それにしてもこんなことで医者になんか来ないほうがいいですよ。医者である僕が言うのもなんですが、絆創膏は想像以上に有能だ」


 幣原の手の傷はそこまで酷いものではなかった。ドアに指の付け根を挟み、出血した程度の傷である。普通このくらいの怪我で外科に掛かる者はいない。


「今日は少し話したいことがあって……」


「他にもどこか?」


「いえそんなことでは……」


 永井はカルテから顔を上げ、幣原に目を向けた。


「永井先生、青天狗って知ってますか」


 幣原は目を細めながら言った。


「僕は医者ですよ。神話の類に興味はない」


「いえいえ、違います。この町で暗躍する終末屋のことですよ」


「週末……屋?」


「惚けないでくださいよ。あなたなら知ってるでしょ。どんな依頼も受け、失敗はしたことは一度もない。人だけに限らず組織をも壊滅させることから終末を呼ぶ死神。青い天狗のお面を被り、夜な夜な町を飛び回る……それゆえに終末屋、青天狗」


「都市伝説のような話ですね」


「確かに、まるで夜更かしする子供を寝かしつけるための逸話のようにも聞こえますね」


 永井は頭を掻きむしった。


「そんなことをお話に? ここは心療内科ではありませんよ」


「風俗王こと城場善一郎が殺されましたよね。それに青天狗が絡んでいるのか知りたくて……医者である永井先生なら一つ情報を持っている。そう思った次第です」


 幣原は懐からカードケースを取り出した。名刺を一枚指で挟み、カルテの横に滑らせた。


「探偵さんに教えられることなんて一つもありませんよ。僕は人の命を救うだけ、患者のプライベートを聞くのは失礼にあたります」


 永井は立ち上がり、診察室の扉を開けた。


「後がつかえています。あなた一人に構っている暇はない」


「暇でしょ。待合室には俺一人でしたよ」


 幣原は尻に根が生えたように椅子から動こうとしなかった。じっと永井を見つめ、さらに問いかける。


「あんたが撃たれたヤクザの治療をして、泣きついてきた逃亡犯の顔を整形していることは知っているんですよ。しかもそれが犯罪者であることを知りながら。俺も探偵の端くれです。依頼金を貰った仕事は絶対に投げ出さない。それがどんなに危険な事であってもね」


「僕を警察にでも突き出すつもりか」


 永井は踵を返し、扉を閉める。


「いえ、俺はそこを咎めるつもりは一切ありませんよ。弁護士は犯罪者を擁護することができるのに、医者は犯罪者を救うことが出来ない。受けた仕事は何でもやる。それが医者の仕事です」


「じゃあ何で脅すんだ? 僕は何も喋る気はないぞ」


 永井がそう言った時、閉めたはずの扉がおもむろに開いた。

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