2.
サラが十歳になる新年の日、両親から剣と杖をもらった。
アメジスト色とエメラルド色の魔石が嵌め込まれ、美しく装飾を施された、黒檀を使用した柄と鞘のついた片手剣と、片手杖であった。
初心者が持つには立派すぎるそれを手渡しながら、両親は言った。
「Cランクくらいまではそれで十分戦っていけると思う。それまでに武器の修理を学び、素材を学び、防具の必要性や自分に合った装備品選びを学んで欲しい。冒険者のおまえ達に、親としてやれることはこれが最後だよ。あとは自分次第だ。しっかり、学びなさい」
「はい…!」
自分達兄妹は幸せであり、恵まれている、と思うのだった。
偉大な両親のように、Sランク冒険者になりたいと、決意を新たにした。
サラは冒険者登録をし、活動を始めた。
最初は薬草採集、弱い魔獣の駆逐。
薬草を採集することで有用な薬草の知識を得、ポーション等の薬がどのように作られているのかを学んだ。
弱い魔獣の生息範囲を知ることで、食べられる草、食べられないキノコ、花などを学び、水場として使える場所、使えない場所等の知識を得る。
魔獣の肉は、食べられるものとそうでないものがいる。
他の部位も、金になる部分とそうでない部分がある。
金にならない部位の有効利用法はないのかと、頭を悩ませたりもした。
街を見て、店を見る。
売った品が、どのように店に並んでいるのかを確認した。
二束三文でしか買い取ってもらえない素材とは、誰もが手に入れやすく市場でも格安で購入できるか、もしくは用途が非常に少ない、という場合なのだと知った。どちらの条件も満たす物は、無料でも引き取ってもらえないことすらある。
わかりやすい例で言えば、小型の魔獣の骨がある。
小動物程の大きさのそれらの骨は脆く、小さく、加工もしにくい。
おまけに、魔獣でなくとも動物の骨で代用可能だったりもするのだった。
大型の魔獣の骨の方が砕くのも削るのも、加工もしやすい為、こちらは売れるのだと学んだ。
冒険者としての活動は、日々新鮮な驚きと喜びに満たされている。
もちろん、最初に魔獣を倒した時には数日食事が喉を通らなかった。
見た目の可愛らしいスモールラビットを討伐しなければならないとなった時には、目に涙を溜めながら倒した。
敵対してくる魔獣は、倒さなければこちらが倒されるのだった。
哀れんでいるだけでは、こちらが死ぬ。
冒険者とは、生きるか死ぬかの選択を迫られる職業なのだと知った。
魔獣を殺し、自分が生きることを選択した瞬間、哀れだとか、かわいそうだとか、そんな感情は傲慢でしかないと知った。
自分に哀れむ資格はない。
戦いたくないと思うのならば、戦わずに済むような手段を考えるしかない。
冒険者となった以上、薬草採集だけして終わるつもりはなかった。
戦って殺すしかない。
そう決めた以上、手に入れる素材を無駄にはしないと心に決めた。
時間を作っては冒険者活動に没頭していたある日、明らかに上位貴族のご令嬢が、たくさんの使用人を引き連れて冒険者ギルドに押し掛けているのを見かけた。
魔獣討伐依頼を受け、時間があれば他にも何か受けてもいいな、と掲示板を見ている時の出来事だった。
子供特有の甲高い声を響かせ、受付嬢に詰め寄っていた。
「冒険者登録をしたいの!十歳からできるのでしょう!?」
受付嬢は戸惑いを見せつつも冒険者についての説明を始めるが、途中で少女は遮った。
「すでに知っているから説明は結構よ。登録をしたいの」
周りを囲んでいる使用人達に視線を投げ、その表情を確認してから、受付嬢は頷いた。
「ではこちらの書類に冒険者として活動されるお名前と、緊急連絡先がございましたら記入して下さい」
「えっ…連絡先が必要ですの?」
「不慮の事故で家族や友人など、連絡して欲しい方がいらっしゃれば、で結構です」
「そう、じゃぁ必要ないわ」
「…かしこまりました」
ちらちらと使用人の顔色を窺う受付嬢は大変だな、と遠目で見ながらサラは思った。
ギルドの登録証は、ドッグタグになっている。一度魔力を通して登録しておけば、ギルドに確認することで死亡したかどうかがわかるのだった。
魔力がない場合は、一滴の血を落とす。
ご令嬢は魔力を通して首から下げたが、使用人達の表情は浮かなかった。大切なお嬢様が冒険者登録をすることに、賛成ではないようだ。
関わり合いにならないよう、さっさと出口へと向かったが、同じ背格好の少女はとても目立つ。
「あなた!」
ギルド中に響き渡る声で呼び止められ、顔を顰めたくなるのを堪えて振り返れば目が合ってしまった。
「あなたも冒険者ね!これから依頼を受けたいの!どうすればいいか、教えて下さらない?」
「……」
受付嬢に聞けばいいじゃないか。
思ったものの、サラはそっと掲示板を指さした。
「基本はあそこに掲示されている、ランク相応の依頼を受けます。最初はFランク…薬草採集がおすすめです」
丁寧に説明するが、ご令嬢は興味がなさそうに頷いた。
「あらそう。あなたも行くのでしょう?ご一緒してもよろしくて?」
「…はい?」
何故確定事項のように言われたのかが理解できず、首を傾げる。
聞こえなかったと思ったのか、ご令嬢は両手を腰に当て、サラを呼び止めた時に匹敵する声量で口を開いた。
「あなたも薬草採集に行くのでしょう!?だったら、良い採集場所など知っているのではない!?一緒にやれば効率がよろしくてよ!」
「……」
よろしくないです、と返しかけ、サラは慌てて口を閉ざす。
採集場所は自分で見つけるものであるし、他人に教えたら根こそぎ奪われる可能性だってあるのだ。
こんな大人数を引き連れたご令嬢に教えたら最後、結果は目に見えているではないか。
しかも私は薬草採集はすでに卒業しているのだ、と、言い掛けたがやめた。
初めてならば知らなくて当然である。
本来ならば受付嬢に聞き、地図におすすめポイントを書き込んでもらって出かけるものなのだが、その過程を飛ばした彼女にわかろうはずもない。
背後のカウンター向こうにいる受付嬢が取り出した簡易地図に気づくことなく、使用人に囲まれたご令嬢は教えるのが当然と言わんばかりの表情でふんぞり返っていた。
受付嬢に同情の視線を向けられながら、サラは今回は仕方がないな、と諦め、にっこりと笑った。
「わかりました。じゃぁ依頼を受けましょう」
「ええ!」
受付嬢にもらった簡易地図をご令嬢に渡そうとするが、横から使用人が受け取った。貴族令嬢としては正しい対応であるが、冒険者として教わる立場としては失格だった。
すでに面倒になってきたサラだったが言葉にも態度にも出すことはなく、黙々と歩いた。
向かった森は簡易地図に記されている、国立の森林公園である。薬草は多少採集できるけれども皆が知っている場所で、貴族の初心者冒険者がやってくる最初の場所であった。
季節は夏になっていた。
強い日差しを外套を頭まで被ることで遮り、至る所で鳴き続ける蝉の声を聞きながら色濃い緑の木々の中を進んで行く。
ピクニック気分のご令嬢は、フリルいっぱいの可愛らしいピンクのワンピースとぴかぴかの靴を履いて、日傘を差す使用人と馬に相乗りしてご機嫌である。
「ねえあなた、名前は?」
「サラです」
この名前は強く気高い子になるようにと両親がつけてくれた、かつて東国イストファガスで活躍した剣姫にちなんだ名であった。
「年齢は?」
「十歳です」
「あら、わたくしと同じね」
そう言いながらも、彼女は名乗りもしなかった。さすが上位貴族のお嬢様、と思ったが、こちらから名前を聞くようなことはしない。今後関わり合いになりたくないからだった。
それぞれ違う種類の薬草採集の依頼を受けていた為、森に着いてからは別行動しようと一人離れるが、呼び止められる。
「お待ちなさい!どこへ行くの?」
「私は私の依頼用の薬草を採集しますね」
「わたくしの薬草、どれを採ればいいのかわからないわ!あなた、知っているんでしょ?」
「……」
知っていたらなんなのか。
サラはあえて答えず、ただ頷いた。
「その依頼は受けたことがあるので、知っています」
「じゃぁ教えて行ってちょうだい」
「依頼書に、絵や説明が書いてありませんでしたか?」
「書いてあるけど、教えてもらった方が早いでしょ?言わなきゃわからない?」
「……」
呆れたように言われたが、何故教えないといけないのかが、サラにはわからなかった。
冒険者は自分で調べるのが基本であるし、教えて欲しいのならば先生として雇うべきであるし、もしくは善意で教えてくれる人がいるならば感謝して謙虚に学ぶべきである。
使用人達は何も言わず、分散して地面に敷物を敷き、テーブルを出し、ティーセットの用意を始めている。
何しに来たの?と、サラは思った。
面倒くささが先に立ち、早く別れたいと思う。
「わかりました、ではこちらへ」
「トム、おねがいね」
「かしこまりました」
ご令嬢が使用人の一人に命令し、男が着いてくる。
冒険者登録したの、あなたでしょ?と、思いはしたが、口には出さない。
依頼はどんな手段を使ったとしても、完遂すれば問題はないのだ。例えそれが本人の為にはならなくとも。
「これです」
「どうもありがとう、お嬢さん」
木の根元に生えている、雑草と見分けがつきにくい薬草の一つを指さして教えれば、にこりと笑んで礼を言われ、この人はまともだな、と思う。
男から離れて自分の薬草を採集しながら、ふと視線を上げれば木漏れ日の下、優雅なティータイムが催されており、絶句した。
何しに来たの?と、サラは再度思う。
ご令嬢は湯気の立つカップから唇を離し、不満そうに使用人へと話しかけていた。
「本当はわたくし一人で来たかったのに」
「侯爵家の令嬢が一人で出かけるなんて、旦那様がお許しになりませんわ。汚れる仕事など、わたくしどもにお任せ下さいませ」
「薬草くらいならいいけれど、そのうち魔獣討伐もしなくてはならないのよ?わたくしがやらないと、ランクが上がらないのよ」
「お嬢様はとどめだけ刺して頂ければ結構です。弱らせるのは護衛の我々が致しますから」
「頼もしいわ。これも独り立ちするための第一歩だものね」
「……」
独り立ちしようとする人間が、他人におんぶに抱っこでできるのだろうか。
サラは何を言う気にもなれず、採集を終え暇を告げる為ご令嬢へと近づいた。
途端、汚らわしい物を見るような目で使用人達が行く手を遮るように立ち塞がる。うんざりしたが、顔には出さないよう努力した。
「あらサラ、どうしたの?」
「依頼分の採集は終わりましたので、帰ります。皆様ご一緒ですし、案内は不要ですよね」
「そうなの?トムがまだのようだけど」
トムの進捗が、サラに何の関係があるのだろう?
首を傾げたくなったが、言葉としては別のことを言った。
「…綺麗な薬草をお届けしたくて、頑張ってらっしゃるんじゃないですか」
「まぁ!トムったら気が利くわね!でも帰るのなら一緒でいいのではない?あなたもその方が安全でしょう?」
「すみません、他にやらなきゃいけない仕事があるので」
そこまで待つつもりも、つき合う義理もない。
断ると、ご令嬢は哀れみの視線を向けてきた。
「平民だと、その歳でも働かなければ生きていけないのだったわね。大変ね」
見事な哀れみの内容であった。サラはただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
「では失礼します」
「ごきげんよう」
最後まで礼の一つもなかったな、と思いながら、元から受けていた魔獣討伐に向かうのだった。
その後もサラの姿を見かけるたびに声をかけられ、うんざりした。
同じ年頃の子供は他にもいるのだが、普段着の平民の子供が小遣い稼ぎに来ている、という様相だったので、ご令嬢が声をかける価値を見いださなかったようだ。
サラはこつこつと貯めたお金で、怪我をしにくいよう、鹿と狼のなめし革を所々に使用した冒険者装束を身に着けていた。高価な物ではなかったけれど、自分が稼いだお金で物を買う、という経験は気分が高揚するものだった。
何を買おうか、どういう物を買おうか。
限られた予算でやりくりするのは難しかったが、同時にもっとお金をたくさん稼いで次はあれを買いたい、という目標にも繋がったのだった。
侯爵家のご令嬢は相も変わらず使用人を多数引き連れ、冒険者ギルドでは一種の名物になっていたが、誰もが遠巻きに見るだけで、関わろうとする者は存在しない。
当然のようにお供をさせられ、何度断っても通じなかった。
「わたくしがわざわざ平民のあなたに声をかけてあげているんだから、嬉しいでしょう?」
と言うのである。周囲の使用人もお供をするのが当然であり、断る権利は最初からないかのように振る舞うのだった。
傲慢な上位貴族との付き合い方を学ぶチャンスかと、サラは思い直した。
うんざりしていても、それを決して見せない。
こちらから話しかけることもない。
向こうはそれが当然と思っているのか、それとも気づいていないのか。
下賤の者が気安く近付くな、というオーラを使用人達が出しているので、近寄りたいとも思わない。
彼女達はマイペースに、自分達のやりたいように動くのだった。
その頃にはサラはダンジョン攻略へと移行していた。
魔獣を狩れる郊外の森林まで移動するのは時間がかかる為、時間が取れる日には早朝から夕食頃までダンジョンに籠り、ひたすら魔獣を倒してレベル上げと戦利品の獲得に勤しんでいた。
なので滅多に会うことはないのだが、それでも依頼を受ける為だったり、報告する為だったりの用事でギルドへ行かねばならないことはある。そんな時、運悪く見つかってしまうとお付き合いをさせられるのだった。
今日は郊外の森林でスモールラビット狩りである。ご令嬢はとどめをさすだけで、獲物を引き寄せ、弱らせるのは護衛の役目であった。
付き合わされるといっても、サラの分まで獲物を用意してくれるような親切さは欠片もない。一人離れて自分の分を処理するのだった。
一段落つくと必ずティータイムがついて来るのはさすが侯爵家のご令嬢、と思ったが、サラがご相伴に預かれるわけでもない。
使用人はサラをいないものとして扱うし、ご令嬢も「一緒に」と声をかけるわけでもなかった。
なのでいつも、自分の分が終わればさっさと別依頼の為帰ることにしている。
ご令嬢は引き留めないし、礼を言うこともない。好きになれるはずがなかった。
「いつも一人で可哀想だもの。わたくしがいる時くらい、一緒に行動してあげてよ?」
と言われた時には、ああ、親切のつもりなのだな、と思った。
むしろこちらから礼を言うべきだ、とでも思っていそうだ。
非常に面倒くさい。
余計なお世話であり、こちらは関わり合いたくないのである。
こちらから話しかけることはないのだが、向こうは気まぐれに話しかけてくる。
「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」
「そうしたら何があっても一人で生きていけるでしょう」
「もちろん追放なんてなるつもりはないし、何としても阻止してみせるわ」
言っていることは意味不明だったが、何らかの危機感を持っていることだけは理解した。
だが使用人に囲まれて、至れり尽くせりで過ごしているのに何の不安があるのだろう、というのが本音である。
侯爵家のご令嬢と騎士爵の娘とでは、貴族社会で顔を合わせる機会はない。
ご令嬢はサラを平民だと思い込んでいるが、その思い込みを訂正するつもりもなかった。
学園入学前のデビュタントでさえ、上位貴族と下位貴族で日程が違う為、会うこともないのだ。
上位貴族とはそれだけ特別な存在であり、サラにとっては恵まれた人々の象徴でもあるのだった。
一代限りの騎士爵の娘とは、立場も生活も全く違う。
立派な冒険者になりたいと思うのはサラも同様であるし、何があっても一人で生きていけるようになりたいというのも同様だ。
同じ理由で冒険者を目指しているように思うのに、全く共感することができないのはサラが悪いのか、それとも。
「わたくしは幸せになるんだから」
その言葉がひどく空虚に聞こえるのは、たくさんの使用人に囲まれ、何不自由なく生きているように見えるからなのだろう、と、サラは遠い世界を見るように思うのだった。
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