1.

 神は空を創り、大地を創り、海を創った。

 精霊を創り、龍を創り、魔族を創り、亜人族を創り、最後に人を創った。

 人は瞬く間に数を増やしたがあまりに脆く、蹂躙され絶滅の危機に瀕した。

 哀れに思った神は人の為の大陸を用意し、魔族と人とを隔てたのだった。

 中央に精霊の加護を得る緑の王国アルスタイン。

 王国をぐるりと囲む四つの国、人同士の争いを禁じた故に各国間には峻厳な山脈が聳え、行き来するには王国を通るしかない。


 北方、貴金属と木材、穀物の王国ノスタトル。

 東方、鉄鉱石と石材、荒れた地が多いながらも広大な国土を持つ異種族連合国家イストファガス。

 西方、魔法と科学、敵対亜人族の侵攻を防ぐため、魔法と魔石を組み合わせた魔道具が発展する王国ウェスロー。

 南方、かつての魔王が廃棄したダンジョンがあり、宝飾品と魔石を組み合わせた付呪具が発展する王国サスランフォーヴ。


 神と精霊王、魔王による協定から千年。

 精霊王とその加護を受けし巫女姫の手により結界は守られ、人の世界は順調に発展していた。






 新年は一月一日から始まる。

 雪がちらほらと落ちて来る灰色の空を見上げ、サラは白い息を吐き出した。

 早朝の庭はうっすらと積もった雪で一面埋め尽くされており、老庭師の手によって整えられている緑と花の庭園も、今は白一色に染まっておりこれはこれで美しい。

 外に出た瞬間冴えた空気の冷たさに身体を竦ませると同時に、まだ誰も歩いていない石畳の上に積もる白へと、最初の一歩を踏み出す新鮮さに心を躍らせた。身体を動かし汗が流れる頃になると、踏み荒らされた周囲の地面が泥へと変わって無残な有様へと変わっており、残念な気持ちになる。

 日課となっている剣の稽古を終え汗を拭いながら、父と兄と共に室内へと戻る。

 バスルームで汗を流し、着替えてから食堂へと向かうと、サラ以外の家族はすでに席へと着いていた。

「おはようございます」

 サラが挨拶をすれば、母が美しく微笑んだ。

「おはよう、サラ。今日も鍛錬お疲れ様。お腹空いたでしょ?早く食べましょう」

「はい」

 新年だからといって変わったことは何もない。

 両親は変わらず仕事であるし、ただ家庭教師は休みであるので、サラと兄のクリストファーは思い思いに一日を過ごす予定だ。

 執事のサムと料理長に給仕を受けながら、朝食を摂るのもいつもと同じ。

 我が家にはメイドや従者はいなかった。

 掃除や洗濯、庭の手入れには通いの使用人を雇っていたが、自分の身の回りのことは自分でやるのが基本である。

 そのように育てられているので、兄妹は疑問に思うこともなく当たり前のようにこなしていた。

 朝食を終え、本来ならば父は仕事へ行くため早々に立ち上がるのだが、その日は違った。

「サラ、今年で五歳になるね」

 父に話しかけられ、サラは元気に頷いた。

「はい!」

「クリスにも五歳になる新年の日に渡したんだが、サラにも渡しておこう」

 そう言って、ウェストポーチをもらったのだった。

 サラの瞳が輝く。

 ずっと欲しかった物だからだ。

 子供には少し大きく両手で抱える程あったが、それはブラックワイバーンのなめし革で作られた、しっとりとした質感の上等な物だった。

「かっこいい…!」

「マジックバッグだよ。見た目よりもたくさんの物を収納できる魔法のバッグだ。これのすごいところは、魔力を注げば注ぐほど、容量が増えるということだよ」

「それは一生使える物よ。大切にしなさい」

「ありがとう!お父様、お母様!」

 マジックバッグを抱きしめ、嬉しそうに笑うサラに、両親は温かく微笑んだ。

「でも誰にも言ってはいけないよ。これを買おうとすると、この屋敷が軽く建つからね」

「えっ…!?」

 兄妹は驚愕する。

 五歳の子供達に、何てものを渡しているのだ。

 だが考えてみれば納得である。ブラックワイバーンは高ランクの冒険者でなければ狩ることのできない敵であり、最高級革の一つであったし、拡張できるマジックバッグなどという超高度の魔法が施された魔道具など、他人がほいほい持っているわけもない。

「一生大切にします!」

「俺も」

 慌てて頷く二人に両親もまた頷く。

 大貴族子女であれば、同価値のドレスや宝石をいくらでも所持しているかもしれないが、貴族とはいえ端くれとして育てられた兄妹は庶民的な金銭感覚を有していた。

 この屋敷がどれくらいの値段か正確な所は知らなくとも、簡単に買える物ではないことくらいは理解できたのだった。

「では私は仕事へ行ってくる」

 父が立ち上がり、三人も立ち上がる。

「行ってらっしゃい」

 家族全員で見送るのも日課であった。

 その後は母は仕事部屋へと行き、兄妹は通常であれば家庭教師が来るまで書庫で過ごす。

 今日は家庭教師は来ないのでそのまま書庫へと行き、昼食の時間まで思い思いに過ごすのだった。






 父ヨシュアは侯爵家の六男で、継げる爵位はなくもらえる財も期待できなかった。

 どこか金のある貴族に婿入りして侯爵家に金を落とせと言われ育ち、それに反発すれば成人したら出て行けと言われる。

 もとより子は男ばかり六人で、長男は後を継ぎ、次男は分家の子爵家に婿入りし、三男も分家の男爵家に婿入りしたが、以降入り込める分家はなかった。

 四男は騎士団入りし、五男は魔道具職人になりたい、と西国ウェスローへ行き、有名工房の弟子となった。

 六男である父は学園に入学と同時に冒険者となり、休みの度に活動をした。

 卒業と同時に本格的にダンジョンや各地を回って魔獣と戦い、Aランク冒険者となった頃、北国ノスタトルで発生した、魔獣のスタンピードを収束させて欲しいと冒険者ギルドより要請を受け、向かったのだった。

 そこでボスであるワイバーンロードを倒して英雄となり、サスランフォーヴへ帰国して後は最高位であるSランクとなった。王より一代限りの騎士爵を賜り、バートンと姓を変え、王の側付きの名誉騎士へと取り立てられた。

 名誉騎士とは英雄となった父の為に新設された地位である。騎士団総長よりも上の地位であり、直属の上司は王であった。

 父は「最強などでは決してない。うぬぼれてはいけない」と常に謙虚であった。

 三十でパーティーメンバーだった母と結婚して一男一女に恵まれた。未だに若々しく、国の誰も父には勝てないのだという。

 最高の栄誉に見合う働きをする為、国が一年に一度計画するダンジョン攻略の際には隊長として冒険者と騎士をまとめ、最前線に立つ。

 だが父は「そろそろダンジョン攻略はしんどい。引退してゆっくりしたい」と常々言っている。英雄である父はそこにいるだけで士気が上がり皆が真面目に頑張る為、なかなか辞めさせてくれないのだという話であった。

 そんな父は兄妹にとっても英雄であり、最も尊敬する人である。

 夫婦仲はとても良く、喧嘩しているところは見たことがない。母は父を尊重して大切にしているし、父もまた、母を愛し大切にしている。

 「ゆっくりごろごろしていていいのよ」と母に言われて、愛犬コリンと一緒にラグの上でごろごろしている父すらもかっこいいと思うのだった。

 英雄一家は、仲睦まじい家族である。

 領地はないが屋敷は褒美として与えられた立派なもので、報奨金はうなるほど。

 名誉騎士としての給与はどの騎士よりも高額であり、すでに普通に暮らすだけならば一生働かなくても済むだけの財を持っていた。

 だがそれも父が生きている間だけの話である。

 一代限りの騎士爵は、英雄である父に対する栄誉であって、兄妹は継ぐことができない。

 財産は受け継げるけれども、何もしなければ食い潰して終わりである。

 英雄は、常に最前線に立つから英雄なのである。

 引退すれば退職金はもらえるし、任務中に死ねばおそらくお金ももらえるけれども、それは父と、妻である母の金である。

 子は、成人後の自分達の将来の道を自分で開かなければならないのだった。

 故に両親は、兄妹を甘やかさなかった。

 物心ついた頃には、貴族としてのマナーや教育は当然のこと、英雄の子として誘拐等のトラブルに巻き込まれる可能性もなくはない為、剣も魔法も叩き込まれた。

 さすが父は侯爵家の出だけあって、貴族のしきたりやマナーは完璧であったし、剣や魔法も一流である。

 雇う家庭教師にも上位貴族子女に施すような教育を要求し、剣と魔法は両親が教えた。

 母は没落した男爵家の出であったが、両親はすでに亡く、兄弟もなく、親戚に引き取られてからは苦労したようで、学園に入学後は父と同じように冒険者として活動していたらしい。

 上位貴族の子息を誑し込んで妻か愛人に収まれと親戚から強要されたが、表向きは従順に従うフリをしながら、決して従わなかった。

 卒業しても婚約どころか愛人の話も何もない母に激怒し、放逐したのだという。

 平民となった母だが、教養もあり魔法も使えた。

 魔法を使えるのは魔力を持つ貴族か、平民でも一部の者である。

 母は大変重宝され、色々な冒険者パーティーを渡り歩き、各国を回ったのだという。

 やがてノスタトルでスタンピードが起こり、母もまた北国へ向かった。

 そこで父と出会ったのだった。

 すでに一際目立つ強さで魔獣の群れに対する父の補佐と回復を買って出て、その実力を父も認めてパーティーを組み、ワイバーンロードを倒し、魔獣を退けた。

 その頃には互いを必要としており、自然と結婚する流れとなったのだった。

 なので、母も強いのだ。

 そんな二人から生まれた兄妹もまた優秀であった。

 兄は剣が、妹は魔法が好きである。

 剣も魔法もどちらも同じくらい使えても、兄は前衛寄り、妹は後衛寄りへと好みは別れた。

「末端の騎士爵でしかないが、もしかしたら英雄の子、ということで婿入りの打診や、嫁入りの打診が来るかもしれない。おまえ達がそれを望むなら、貴族として生きて行くことも可能だ。でも、そうなるとも限らない。苦労をかけるが、どちらでも生きて行けるよう、学んで欲しい」

 真剣な顔で父に言われれば否やはない。

 父もまた、苦労して今の地位を築いた人だからだ。

 いずれ平民として、冒険者として生きて行く日が来てもいいように、家事や炊事等も教え込まれたが、平民と貴族両方のバランス感覚を持ち、上手く渡って行く必要があるのだった。

 さて、もらったマジックバッグは、毎日寝る前にその日余った魔力を全て注ぎ込んでから眠るようになった。 

 そうすることでバッグだけでなく自身の魔力容量も増え、いいこと尽くめであった。

 マジックバッグは順調に容量を増やしていき、七歳になる頃には屋敷分くらいの容量のアイテムを入れられるようになっていた。

 八歳になる年、両親からテントをもらった。

 テントはブルーワイバーンの鱗とホワイトワイバーンの革で作られた、不思議な光沢を持つ美しい一人用のテントであった。

「クリスにも八歳の時にプレゼントしているよ。これもマジックバッグと同じように、魔力を注ぐとテントの中を拡張することができるんだ。今は寝袋を敷いて眠るくらいしかできないけれど、拡張すれば自分の部屋のように、頑張れば屋敷くらいの広さにもなるからね。家具を置いたり、キッチンを置いたり、バスルームを置いたり、魔力次第で自由自在だよ」

 そんな超高度の魔法を使った魔道具が、易々と手に入るはずがない。

 また恐ろしい値段がするのだろうと思いながら、サラは誰にも言わないことを約束し、その日からテントに魔力を注ぐ日々が始まったのだった。

 二歳年上の兄は十歳になる年、冒険者登録をし、すでに冒険者として活動していた。

 先を越されたことにサラは地団駄を踏んだが、兄も通った道を地道に歩くことで同じように冒険者になれるのだから、今は我慢の時だよ、と両親に諭され、唇を噛んで我慢した。

 冒険者として稼いだ金でテントの中を作って行きなさい、と言われて、兄は真面目に冒険者として頑張っていた。

 サラが九歳の誕生日を迎えた年末、先輩として二年分の稼ぎでできたテントの中を見せてもらった時、サラは感動した。

 兄のテントの中はモノトーンでまとめられ、自分で買った家具はもちろんのこと、魔法書や武具などで埋め尽くされていた。

 テントの中に入れた物は付属物として扱われる為、どれだけ物を詰め込んでも、マジックバッグには影響しない。

「普段使わないけど大切な物は、テントに置いておけばいいよ。テント自体に自分と、認めた者しか入れないよう鍵を作ることができるから、安全さ」

 マジックバッグにも同じように鍵をかけることができる。鍵をかければ不可視となり、自分以外には認識されなくなることに加え、自分しか使うことはできなくなる。

 この鍵を壊せる者はいないらしい。

 自分の魔力を認識させたら、自分の魔力以外では扱えないようになるのだった。

 どれだけの価値があるのか計り知れない。

 兄妹は、両親からの確かな愛と信頼を感じるのだった。

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