窓の夢

ふみ

窓の夢


 僕の部屋には大きな窓があった。

 僕が机に向かうとちょうど外が見える、薄いレースの掛かった窓。

 その窓からは近所の屋根や電信柱だとか、偶に木や電線に雀なんかが並んでいるのが見える、ごく普通の窓だ。


 或日の夜、明日の準備をしていた僕は期限が明日に迫った課題を鞄の奥底から発掘してしまった。

 眠気眼を擦りながら必死シャーペンを走らせ、日付が周ってもう一、二周ほどした頃。やっとのことで全てを終わらせた僕はぐぅ、と目を閉じながら背伸びをする。それからぱっと目を開けたとき、僕は目を疑った。

 窓の外には青空が広がっていた。部屋の中に光なんかちっとも漏れてこないのに、唯そこには雲一つ無い青空があった。

 僕は疲れて頭が馬鹿になっているのかと思った。それか、夢を見ているか、実はいつの間にか夜が明けたのか、だ。どれにしても、僕は一旦休んだ方が良い。続きも何もかもその後だ。

 そう思ってカーテンを閉めようと窓に近づいたとき、はっきり見てしまった。

 窓の外にあるのは天色だけではなかった。

 そこには色とりどりの小さな鳥たちがいた。屋根の上をぴょこぴょこと動き、群れを成して空を飛んでいた。早起きした朝のチュンチュンという小鳥のさえずりさえ聴こえたかもしれない。

 見たこともない、まるで空想の世界の様な光景に暫くの間呆然としていた僕は、はっと我にかえり、掴むようにカーテンを閉め、ベッドに飛び込んだ。 

 荒い息とバクバクする心臓を鎮めるように布団をぎゅうっと抱きしめて、これは夢だ!夢なんだ!と自分に言い聞かせながら、目を強く閉じ縮こまっていた。


 ぼんやりと、僕は目を覚ました。カーテンからは優しく光が差し込んでいた。

 ああ、きっと昨日のは夢だったのだと思った。ゆっくりとカーテンを開ける。そこには青空も小鳥もなかった。薄暗い雲のかかった、なんでもない曇りの日だった。


 電車に揺られているときも、課題を忘れたことを先生に謝っているときも、板書をしながら、途中微睡ながらも、僕はぼんやりと夢のことを思い出していた。水色の絵の具で塗りつぶしたような空、小鳥の群れの先頭を率いていたオレンジ色の小鳥。多くのことは覚えてはいなかったが、美しい夢、良い夢だったなと思いにふけっていた。


 その日の夜、僕はベッドに入る前、少しの期待、好奇心を胸にカーテンの外を覗いてみた。そこには、濃紺の空があるだけだった。かすかに虫の鳴き声が聞こえる、普通の夜だった。

 僕はほっと胸を撫で下ろし、布団に潜り込み目を閉じた。瞼の裏にはほのかに空色が映っているような気がした。


 それから長く、僕が窓の夢を見ることは無かった。しばらくは、カーテンを閉めるたび、夢の記憶が頭をよぎっていた。しかし、それも段々と薄れて、次第に青色も鳥のことも思い出せなくなった。

 それから一年ほど経った頃、僕は大学受験をしなければならなかった。推薦されてなんとなく決めた志望校合格を目指し、勉強に明け暮れる日々を送るのだ。


 毎日、毎日、脳細胞が擦り切れそうになるまで必死に机に向かっていた。

 受験のため、未来のため、とひたすらに、何も考えず勉強をしていた。

 でも、その日はひどくそれが苦しくて、自分が何をしているのか、何をしたいのかわからなくなって、僕はどうしようもなく不安で、涙がぽろぽろと溢れて止まらなかった。

 どうにか涙を止めようと視線を上げたとき。


 そこには、淡い紺と朱色、そして朝日の眩しい、透き通るような空が広がっていた。

 僕はとぶように立ち上がり窓に駆け寄る。足を椅子にぶつけたことなんかまったく気にもならなかった。

 僕は涙を拭い、窓の外に目を凝らす。

 今まで全くの無音だったため気づかなかったが、空からは雨が降り注いでいた。ざぁざぁと叩きつけるようなものではなく、まるで雨上がりの草花から露が零れ落ちるような、清々しい雨だった。ぽたりぽたりと落ちるその一粒一粒が虹色に輝いて見えた。

 空を見上げると、雨粒が落ちるその度に美しい水彩が滲み、僕はその変化をいつまででも見ていられる気がした。

 どのくらいの時間が経ったのか分からない。ただ僕は目の開く限りずっとその景色を眺めていた。


 僕は、はっと目を覚ました。カーテンは開いたまま、出窓と腕に頭を預けて眠ってしまったらしい。腕がビリビリと痺れて痛い。窓の外にはもう、雲のかかった薄青い空しか残っていなかった。

 

それから数ヶ月、特にこれといった出来事もなくいつも通りの生活をしながら受験をむかえ、自分に出来るだけの力を出し切って、それなりの不安と期待を持ちながら合格発表を迎えた。結果は合格。家族は総出でお祝いをしてくれた。食後のケーキはとても美味しかった。僕もそれなりに嬉しかったのだ。きっと。


 その夜、僕は眠れなかった。お祝いの興奮が冷めやらないのか、鼓動はいつもより少しだけ早い気がした。

 ふと、窓の方を見やる。カーテンは閉まったままだった。僕はなんだかこれが最後な気がして、ゆっくりとベッドから降り、窓に近づいていく。窓の真前に立ち、すぅ、と深呼吸をして目を閉じる。何に緊張しているのかなんてわからなかったけれど。

 ぎゅっと布をつかむ。そのまま腕を横に動かす。カーテンレールを滑る音がいつもより大きく聞こえる。

 ゆっくりと目を開ける。そこから見えた景色は、月、紺、屋根、木、電柱、ただの、いつもの夜だった。

 もっと他のを期待していたはずなのに、月だってまるでレモンみたいな中途半端な形なのに、視界を隔てるレースカーテンは邪魔でしかないはずなのに。

 それでも、僕は不思議な安堵感を覚えた。

 僕は少しの間夜を眺めた後、カーテンを閉め、ベッドに戻り、布団をかぶる。そして、暖かい布団に包まれながら静かに眠りに落ちた。

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