鳳凰炎舞☆

 大政奉還後、西郷隆盛によって江戸に呼び寄せられた相楽総三や伊牟田尚平といった浪士らは、三田の薩摩藩邸を根城にして息のかかった者を市中に放った。


 それらの無頼の徒は相良らの指示を受け徒党を組んで昼日中から市中を練り歩き、富豪の家に押し入って金銭を略奪するなどの暴挙に及んだ。夜道を歩けば辻斬りに遭い、女は屋内で寝ていても犯される。そこには攘夷の思想も理想も皆無だった。


 新徴組はそれらの暴漢退治を一手に引き受け、喧嘩や暴徒による略奪行為を鎮圧する役目を負っていた。薩摩浪人の行為に便乗した旗本や御家人の狼藉も増加したが、町人に危害を加える者は分け隔てることなく、新徴組は躊躇なしに切り捨てた。


 旧幕府軍との大規模な武力衝突を引き寄せたい西郷隆盛の挑発にのらず、粛々と暴虐行為の一つ一つを鎮圧していく庄内藩の不落の構えに、破落戸たちの行動は次第に増長していった。


 一方で江戸市民が庄内藩や新徴組へ寄せる信頼は日に日に増していき、何かあれば酒井様を呼べ、庄内藩の屋敷に人を走らせろというのがこの頃の町人の日常になっていた。


「今日はもう何もなければ良いが」

 水野とともに市中警邏から戻ってきたばかりの熊谷が、先ほどまで木枯らしに翻していた浅葱の羽織を脱いで座り込みながら言った。声に疲れが滲んでいる。水野は横目で熊谷を眺めながら、何もないとは、と何気なく聞き返した。

「文字通り、何もない、だ。薩摩の奴らの暴虐はまだ理解できる。なぜ幕府の歩兵隊が町で暴れるのだ」

 いつもは感情に乏しい熊谷にめずらしく、強めの口調だった。

 このところ幕府が江戸において直轄していた兵が暴れることが増えてきた。これは数年前に、危地を察した幕府が急遽、町角にたむろしていた身元の分からぬ浪人を歩兵隊として徴用したことの弊害だった。

 忠誠の在りかを明確に持たない彼らに練兵訓練を重ねて歩兵隊に仕立てたものの、江戸幕府の存在自体が消滅してしまった。もともと無目的な上に行き場を失った歩兵隊が徒党を組んで暴れ出せば、それはすでに町奉行所の扱える範疇を越えており、新徴組が大砲や銃を持って武力鎮圧に駆け付けなければならなかった。

 そうしてこちらが収まれば、今度は薩摩御用盗が商家を打ちこわして暴れているなどと知らせが入り、このところ新徴組が出動する件数が激増していた。


「いったい我らは何と戦っているのか。もうそれがしには誰が味方で誰が敵なのか、さっぱり分からなくなっている」

「敵味方ではなく、お役目です。酒井様からの命を受けて我らは動いているのではないですか」

 そう言い切った水野を見上げる熊谷の目は、暗く澱んでいた。水野も疲れているが、熊谷の疲労はその心の奥底にまで沁み込んでいることが分かる昏い目だった。同じ新徴組の組士で同じような境遇に在りながら、なぜ熊谷の精神がこれほどまでに疲弊しているのか。水野には分からなかった。

 

 庄内藩中屋敷の中間だった水野の父は、幼いころから繰り返し水野に言って聞かせてきた。

「いいか、酒井様はえらい殿さまだ。誠心誠意働くんだぞ。殿さまはそのはたらきをきっと認めてくださる」


 酒井様に誠心誠意お仕えすること。

 新徴組士となり士分を得た今の方が、父のその言葉をより理解できるようになったと水野は思う。そして水野は傍らに座り込む熊谷と自分との間にどうしても埋まらない溝があることに気づかざるを得なかった。

 自分たちを分け隔てたものは何か。具体的な言葉にはならなかったが、同時に熊谷もそれを感じ取ったらしい。互いに目線を逸らせ、口を噤んだ。


 気まずい思いに話題を変えるべき言葉も見つからぬまま、一度自分の部屋に戻り次の出動に備えようと水野が熊谷に背を向けたその時、詰所敷地内の半鐘が激しく鳴り響いた。合間をぬって詰所内に怒号が響く。

「江戸城から火の手が上がった。警邏に出るぞ」


 また薩摩の仕業か、そんな声が周りの新徴組士から上がる。水野と熊谷は直ぐに浅葱羽織に身を包み、出動の命令を待った。鎮火、消火は城内火消しを始めとした手慣れた者たちが既に取り掛かり始めている。新徴組のすることは、騒ぎに乗じて更なる火の手、攪乱を起こさせないための市中の警邏巡回だった。


 水野と熊谷は他の組士たちとともに先程戻って来たばかりの門を出て、市中警邏に出た。


 詰所を出た新徴組は規則正しい隊列を組んで冬青木の坂を下る。坂を下りる右手には、坂の名の由来となっている冬青木が紅く艶やかな実をいくつもつけていた。

 雉子橋御門から左右二手に分かれた二つの隊列のうち、水野たちは江戸城の北側を巡る組に入った。途中、さらに三つほどの隊列に分かれて町をくまなく巡る。これでもそれぞれの組に五十人程度の新徴組士がいる計算で、市中の警邏は日没近くまで続けられた。


 冬の陽は落ち始めると早い。麹町を抜けてきた水野と熊谷のいる隊列は、薄暮の山王社を背に参道の坂を登った。坂はそのままだらだらと上りが続いて、潮見坂と名が変わった辺りからは江戸の海を臨むことができる。吹いてきた風に海の匂いを感じ取ったのは、登り切った坂の上から見えた既に夜に沈む黒い水平線が感じさせた幻覚だったのかも知れない。


 そのまま潮見坂を下って桜田門が見えてきた辺りで止まれの号令が発された。雉子橋御門で別れたもう一つの大隊列とここで合流するらしい。待機せよ、と言われて持て余す時間に、周りを見回した。この辺りは譜代大名の藩邸がまだ過日の栄誉を保って並んでいる。

 水野の目線の先、道の角に立つ大名屋敷には江戸詰めの者が残っているらしく、塀の上からのぞく手入れが行き届いた樹木の様子が薄暗がりの影にも見て取れた。大きく目立つ装飾はないが、細かな細工や美しい造作が屋敷の門にも壁にもさりげなく施されている。あれは確か朝永讃岐守の上屋敷だ。


 ふと水野の記憶に甦った光景があった。

 江戸の夜を照らす赤い火。燃え上がる炎に映し出されるのは一騎の若い武士の姿。町を焼く炎が、白銀の綾織りに鳳凰が舞う絢爛な火消し羽織を照らしていた。

 端正に整うはっきりとした目鼻立ちはその羽織よりも、燃え盛る炎よりも華やかに、小柄に見えて姿勢正しいその姿は、馬上にあって紛い物ではない気品を漂わせていた。火勢に煽られた風が吹いて、青海波の袴が波打つように、羽織の背から袖に掛かる五色の翼が羽ばたくように、揺らめいた。大小の刀の黒漆の鞘が不思議に青白い光を零している。


 記憶の中のその姿は、今この視線の先の上屋敷の主、羽代藩当主の朝永弘紀のものだった。数年前の出来事だというのに、艶やかな鹿毛の馬に跨ってこちらを見据える強いまなざしを今でもありありと思い浮かべることができる。

 誰だ、と訊かれたか。いや、そこを退け、だったか。


 詰所を出る前の気まずい沈黙もつい忘れ、水野は熊谷に話しかけた。

「そういえば我ら、そこの屋敷の主である朝永讃岐守様には二度ほどお目にかかったかと思うのです。一度目は町屋の火事で、あとのもう一度、あれはどんな状況だったのか熊谷殿は憶えておられますか」

 思い詰める目線を下に向けていた熊谷の顔が上がる。今の状況から逃避し、束の間、過去の記憶に救いを求める切実な思いがその顔に滲み、そして記憶を手繰る表情になった。

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