岩見の過去

 水野たちに告げたように、坂元は岩見とは幼少のころからの友人だった。

 庄内酒井家の家中として代々仕えてきた坂元の家と岩見の家は、遠く血縁が繋がっている。子どもの頃から頻繁に屋敷を行き来して遊び回り、成長してからはともに剣道場で肩を並べ、藩校では机を並べた。

 

 そしてもう一人、同じように幼少のころからともに育ってきた者がいた。

 それが杉坂といって、坂元と岩見の家より頭一つ分、格式の高い家の後継ぎだった。杉坂は家柄の余裕もあってか柔和な顔にいつも微かな微笑みを浮かべ、身に着いた教養から口にする言葉には深みがあった。

 だが坂元たちと話していて格の違いを押し付けることもなく、人柄の良さが端々に感じられた。家柄に違いはあっても同じ場で学んで生活の大半を過ごしていれば同年代の気安さで、坂元と岩見、そして杉坂は、周りから三羽烏と揶揄われるほどいつも一緒に行動していた。


 しかし、ある日を境に三人は一緒に行動することが無くなった。それは杉坂の仕官が内々に決まってすぐのことだった。

 坂元が岩見と話していると杉坂が近寄らない。坂元と杉坂が一緒にいるところに岩見は寄ってこない。自分が避けられているのではなく、岩見と杉坂が互いを避けていることは分かったが、それが何故なのか坂元には理解できなかった。


 しばらくして坂元は自分の親から、岩見が家の者から血縁を切られたことを聞いた。説明はなく、ただそう決まった、とだけ伝えられても納得の仕様がなく、身の振り方が決まるまで蟄居させているとの岩見家の伝言に、岩見自身と面会することも叶わなかった。

 杉坂にも聞こうとしたがはぐらかされ、そのうち仕官の準備があるからと藩校にも道場にも顔を出さなくなった。家老の家である杉坂の屋敷に行って呼び出すことなど、身分の劣る坂元にはできる筈もなかった。

 それでもようやく長年の付き合いがあった岩見家の使用人から、家格が上の者に対して岩見が無礼をはたらいたので藩から咎められる前に血縁を切った、ということを聞きだした。


 家の籍から出されれば藩士を名乗ることもできず、血縁を切られた者がそのまま地元に居座ることを岩見の親族は許さなかった。数日の蟄居の後、岩見は身内から追われるようにして庄内藩を出ることが決まった。


 血縁を切られての家出なので家族の見送りはない。岩見は一人でひっそりと旅立ち、坂元と城下を離れた領地境の宿場で待ち合わせて、送別の酒を飲んだ。そこで坂元は、岩見が杉坂に密かに想いを抱いていたことを知らされた。友情ではない、好意を持っていたのだという。


「いつからだ」

 岩見の告白を聞いて、坂元が口に出せたのはその問い掛けだけだった。

「自分でも分からない。そもそもお前らを含めて周りが女の話をし始めたあたりから、俺は自分が女にそういう興味が持てないことに気がついた」

「話には加わっていたじゃないか」

「その場にいただけだ。何か言うことはできなかった」

 坂元は全く気付いていなかったが、女の話題になる度に居心地の悪そうな様子を察した杉坂が岩見を慰めた。女に興味がないのなら女色に溺れることもない、何も恥じることではないではないか、と。身近なところから理解を得られ、救われた思いに舞い上がるまま岩見は杉坂のことを想うようになった。

 杉坂の言葉が純粋に昔からの友人を慰める言葉であったことに気づかぬまま。

 

 つまりは、岩見の一方的な想いに過ぎなかった。


 杉坂の仕官が一足先に決まり、これまでのように会えなくなることに焦った岩見が後先を顧みずに杉坂に思いを伝えた。岩見のことを友人以上には見れなかった杉坂は断ったが、どうしても駄目かと岩見が問い詰めた際、力に任せて、杉坂が軽く怪我をした。それを切っ掛けに岩見と杉坂は、互いを避け始めた。


 だが、その時すぐに杉坂は家の者にあったことを話したわけではない。

 杉坂についていた従者が、杉坂の身辺の変化に気づいて家族に報告した。杉坂の家族は、城勤めが始まる前に役目に差し障るようなことがあってはいけない、と杉坂に友人関係について問い質した。問い詰められて杉坂が零した言葉で岩見とのことを知った杉坂の家の者は、実のところ岩見の行為に対して怒ったわけではない。杉坂自身が友人であった岩見を庇ったことから、若者の間によくある人間関係のいざこざの一つとして捉えた節がある。

 だから特に配慮することなく、岩見の家族と問題を共有するという役人的な手続きの一環で、事の経緯を岩見の父に教えて寄越した。


 岩見の家は杉坂の家のように寛容ではなかった。

 家格が上の者に迷惑をかけた、その事実に恐縮した父は、息子の振る舞いが藩の規則に逆らったところはないか、つぶさに調査を始めて、過年に公表されていた一つの決まりごとに辿り着いた。それは享保年間に出された倹約令の一環で、家中での男色を禁じたものだった。

 よくよくその決まりごとの内容を見れば、男色を嗜むものが主君より相手への忠義に重きをおく風潮や、恋人を取り合って刃傷沙汰を起こす傾向を取り締まるものであって、懸想することや親交を持つこと自体は当時の家中にもこれを擁護する意見があった。だがその決まりごとが成立してから重なった百数十年の年月の間に、当時の背景は忘れ去られ、因果の繋がりが消えた決まりごととして、男色の禁が残っていた。

 岩見の父は、家が罰せられて断絶することを恐れ、直ちに岩見との親子の縁を切った。


「俺には分からない。俺のいったい何が罰せられたのだ」

 絞りだすように岩見の口から出されたその問い掛けに、坂元が応えられるはずはなかった。

 街道沿いの粗末な宿の一室で、結局、酒は飲んでもその後は杉坂のことには触れない昔話のみで、これからどうするとも聞けぬまま、苦い思いを酒を流し込んで互いに酔いつぶれて起きた翌朝、すでに岩見の姿は宿の座敷になかった。残り酒に痛む頭を押さえながら、坂元は床の間に自分あての手紙が置かれていることに気づいた。


 心配無用、心づかいに感謝する

 

 それだけの書置きに、坂元は座り込んだまま自分のこぶしを額に当てた。 

 結局、自分はずっと蚊帳の外だったのだと、坂元は岩見のその書置きを見て思った。岩見と杉坂との間で話が済んで、自分はどちらからも何も相談がないまま、三人の関係が破綻していくのを見ているしかなかった。いや、気づいてすらいなかった。どこかで介入できたのだろうか。それとも自分は除け者だったのだろうか。

 重臣の子弟らしく、既に出世の道を歩き始めた杉坂が何食わぬ顔をしているのも面白くなかった。いわれのないことと分かってはいても、坂元は三人の中で自分一人が不当な扱いを受けた気がした。

 三人で過ごした日々を、あの時間を、彼ら二人と友人だった自分を否定されたと、それは子どもじみた思いだと分かってはいたが、まだ若い坂元は自分の心のどこかを損じられたと感じた。


 そうしてそれは、自分の力でどうにもできないことがあると知った無力感の裏返しでもあった。


 だからその後しばらくして、岩見から江戸に住処を見つけて落ち着いた、という簡単な手紙が届いた時も、通り一遍の返事を送って、岩見の家族に連絡を取ってみることもしなかった。その後、坂元も役を得て、慣れない仕事やいずれ継ぐことになる自分の家のことに奔走するうちに数年が経っていた。


 ある日、家に帰ると岩見の母親が訪ねて来ていた。坂元の母と互いに涙ぐみながら語っていたその内容は、岩見が再び士分を得ることができた、という話だった。しかも庄内藩士として。思いがけない話に坂元も身を乗り出すようにして、岩見の母から話を聞いた。


 江戸に流れ着いた岩見は、最初のうちこそ母がこっそり寄越す金銭を当てにして生活していたらしいが、やがて普請人足として働きながら町中にある剣道場に通い始めたのだという。それしかやることのない環境にあって、元々優れていた剣術の腕前にさらに磨きがかかった。


 浪士組の募集の話も耳にしたが、世の流れに興味がなかった岩見は特に反応することなく自分の生活を続けた。だがその浪士組が廃され、新たに設けられた新徴組が庄内藩の管轄になること、また登用された組士には士分を与えることを聞き知って、伝手を辿って登用されたという。


 新徴組に入って岩見の庄内藩士としての身分は復活したが、かつての身分について庄内藩江戸屋敷からは特になにか尋ねてくることは無かった。何事も無かったかのように、岩見を他の新徴組の組士と同様に、処遇した。だがどうやら岩見の登用にあたって、庄内藩の上役に顔が効くようになった杉坂の一押しがあったらしい。


 どのような形であっても士分に戻れたのは喜ばしい、しばらく江戸でお役目を務めるが何れ機会があれば庄内の地に戻ることがあるかもしれないと、岩見の母は涙を拭って久しぶりの笑顔を見せた。坂元も、過去のあの日に取りこぼしてしまった何かが再びこの手に戻ってきたような、そんな懐かしい嬉しさを覚えた。


 一八六三年六月、坂元は庄内藩の重役に伴って上京し、岩見と再会した。久しぶりに会った友人は、国許にいた時よりも精悍さが増して一回り逞しくなったように見えた。


 重役の道中の護衛で付いてきたので、江戸にいても坂元にはこれと云った任務もなく、岩見の時間がある時に名所や名物を案内してもらって、気まずさよりも浮き立つ気持ちで少年のころの屈託ない関係に戻ることができた気がした。

 麹町の商店を食べ歩きながらあちらこちらと冷やかして、ここなら顔見知りがこないから話ができる、と岩見は坂元を麹町の裏手、一本路地奥にある料理屋に誘った。


「坂元、俺のことよりお前の方にも話すことがあるよな」

 目元を軽く笑みに弛ませた岩見に、先手を取られた。

「なんだ、母同士の話の通じ様は当人同士よりも早いのか」

「祝言を上げるのだろう。良いところの嫁を貰えたと」

 今回の上京は、坂元が独り身最後に羽を伸ばせる機会でもあって、国許に戻ればすぐに岩見の言う祝言を執り行う運びになっている。武家同士の婚姻ならば惚れたはれたの話は皆無だが、それでもどこか心の片隅がこそばゆく感じる。

「良い役も貰えたところで丁度いい、と」

 照れ隠しに杯をあおり、岩見の方はどうなのだ、と、少しぎこちなくなる口調を酒で隠して聞いてみる。

「俺は、まあ」

 嫁を貰ったところで子を成せるかどうか、江戸に出てきて周りを見れば独り身の男ばかり、結婚しろと言われることもなく、かえって庄内の国許にいるより気が楽だ、と云う。


 岩見が自嘲気味に語ったところによると、江戸に出て来てから芝や根津の陰間茶屋にも何回か行ってみたものの、岩見が求めるものはそこにはなかったという。

「女の代わりや、欲のはけ口が欲しいのではない」

 岩見のその言葉には、求める者を得られない微かな諦観と、どこか隠しようのない退廃の兆しがあった。坂元に、岩見のその心情の全てを実感として理解することは難しかったが、肉体の関係だけでないつながりを相手に求めているのは何となく理解できたし、それは坂元との友人としての関係とは違うことも分かった。


 岩見に自分がしてやれることは何もないと思ったが、岩見が何を考えているのか、心の内を明かしてもらって理解できたことは単純に嬉しかった。

 自分は役に就き、岩見も庄内藩の士分を取り戻した。杉坂も国許で励んでいる。それでいいではないかと思った。過去のこだわりはいずれあとかたなく忘れることができるだろう。白髪の老人になって、また三人で酒を飲んで屈託なく笑い合える日が来ればそれで良い、坂元はそう思った。

 ひと月ほどだった江戸滞在の後、また様子を見に来る、と岩見に言い残して、坂元は庄内に戻る重役と共に帰国の途に着いた。


 それからほぼ一年後の一八六四年七月、坂元に届いたのは江戸での岩見の変死を知らせる親族からの手紙だった。

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