一八六七年(慶応三年)六月

麹町の夜

「少し聞きたいことがある」

 坂元の下に水野と熊谷がつくようになって一月余りが過ぎた頃、坂元が二人を料理屋に誘った。連れてこられた料理屋は麹町にあって、新徴組の詰所からも庄内藩のどの屋敷からも距離がある。

 人通りの多い通りからは少し離れて目立たず、だが間口を入れば瀟洒なつくりに座敷が並び、客の気配はあっても声高に騒ぐような音は聞こえない。江戸に来てさほど時も経ってないのに坂元はもうこのような店を知っているのかと、水野は単純に感心したが、熊谷はどこか落ち着かない様子で時折ちらちら辺りを見回している。どうかしたのかと小声で訊いてみると、慣れない場所で尻のすわりが悪い、と返ってきた。江戸に長く住んでいてもこのような店に縁がない者もいる。


 料理が揃い酒を運ばせた後に、坂元は給仕の女を下がらせた。

 先程からさほど頓着を見せずに料理に箸を伸ばす水野に対して、遠慮がちな熊谷の緊張はこのような場に慣れていないだけだろう。この二人、特に怪しむような人間関係も思想も持たない者達だと坂元は既に新徴組のまとめ役から聞いている。

 近頃の話を適当に繋いで話が途切れたその後に、坂元は自分が一度、江戸に来たことがあると水野たちに云った。そしてその時、この店に自分を連れて来たのは岩見だったと告げると、坂元の前に座る二人は箸を置いた。


「水野は、岩見とほぼ同時に新徴組に加わったのだったな」

「はい。浪士組からの組換えの時に登用されました」

「熊谷はその前からか」

「はい」

 浪士組の時からいる熊谷が最も経歴が長い。坂元は熊谷に聞いてみた。

「岩見が庄内藩を追われて江戸に来たことは知っているか」

「それは」

 思ってもいない事実を知らされた熊谷は一瞬、言葉を飲み込んだ。

「いえ、存じ上げませんでした。庄内の出身であることは聞いておりましたが、身分までは。てっきり郷士の出かと思っておりました」

「どこからか聞き及んでいるかもしれないが、岩見と私は知り合いだ。幼少の頃からの長い付き合いで、岩見の家はれっきとした武家だ。岩見自身は藩を追われて、一度は武士の身分も無くしたが、新徴組に入ることによって再び庄内藩士となる事が出来た」

「藩を追われたとは。岩見様になにか問題があったのでしょうか」

「岩見の身内での問題だ。親から縁を切られて家から出され、士分を失った。家中で問題を起こし咎められての追放ではない」

「お身内のことですか」

 言葉に迷う水野の代わりに熊谷が相槌のように言葉を繰り返した。そうだ、と坂元は頷いた。そう、岩見の家族が神経質になった、それだけのことだった。


「血縁を切られ、親族からしばらく他所に行けと言われて岩見は庄内を出て江戸に来た。そして新徴組に登用されて士分が戻り、私も喜ばしく思った矢先のあの事件だ。気にならない筈がない。なのでこのひと月、少々調べてみた」

「岩見様のことを、ですか。それで何か、お分かりになったのですか」

 そう云って居ずまいを正す熊谷は、今夜自分たちが呼ばれた理由に薄々気づいたようだ。茫洋としているようで頭の働きが早い。坂元は手元の酒をあおって喉を潤してから、声を低めた。

「岩見には、薩摩に内通した疑いが持たれていた」

「ありえない」

 水野が声を上げて、熊谷に静かにしろと窘められた。その間を待って、坂元は再び口を開いた。

「私もそう思う。なぜその疑いが掛けられたのか、ここひと月、岩見のあの事件のあった前後の資料を調べていた」

 そこで、ある人物の名が出てきた。


「秋生、という者について、お前たちは何か知っているか」

 水野と熊谷が揃って顔を上げた。その者を知っている、その意を表した反応だった。水野と熊谷が目を見交わして、どちらが坂元に応えるべきかを推し量っている様子が見て取れて、結局、熊谷が口を開いた。


 最初見た時は、あまりにも顔立ちが美しいので役者崩れの陰間かとも思ったが、女形役者の女々しさは微塵もなく、むしろ鬼神のような剣技の持ち主で新徴組にも歯の立つ者は僅かだった。性格を語れるほど秋生に接してはおらず、ただ岩見と言葉を交わすその様子は礼儀正しく物静かだったという。


 熊谷の語る秋生という者の凡そについて、坂元には引っ掛かることがあったが、口には出さなかった。それは水野と熊谷には語る必要のない岩見の過去に関わることだった。

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