26.優利の決意

 階段の上は屋上になっていた。いや、もしかしたら上の階は全て吹き飛ばされたのかもしれない。吹きさらしになった空に、優利は信じられないものを見た。

 空から光の塊が降ってきていた。

 白い光は、まるで隕石のように落ちてくる。その光を、必至で黄金の竜がかわしていた。光は、地底の天井近くにある、リエルの光から放たれていた。いや、いまやリエルの光は、ただの光の球ではなかった。巨大な、白く燃える巨人が空を飛んでいた。

 唖然としてそれを見上げていた優利だったが、すぐに、はっとして屋上を見回した。屋上は床が全て抜け落ちてしまったわけではなく、一部が崩れただけのようだった。そして、屋上の片隅に、鳥籠のようなものが置かれていた。中には、ベッドが一台あり――そしてその中に、一人の女性が横たわっていた。

「……! 姉ちゃん! 姉ちゃん、女王様だ!」

「えっ!?」

 こころは慌てて屋上に向かった。そして、優利が見た女性を見て、あっと声を上げた。

「この方が、女王様……!」

 女王イコタは、ただ眠っているだけだというのに、神々しく見えた。黄金の髪は月のように輝き、唇はバラ色、肌の色は白く、まるで全身から光を放っているかのようだった。

「ど、どうしよう。連れて逃げる?」

「うん、起こそう!」

 二人は鳥籠に近づいていった。だがその時、頭上にいた竜が咆哮を上げて、その口から炎を吐いた。

「危ない!」

 優利が叫ぶ。だが、炎はすんでのところで途切れてしまった。リエルが放った白い炎が、竜の翼を撃ち抜いたのだ。竜は怒りに声を上げ、リエルへと向かっていく。白い光を幾つも避け、そしてついに、リエルへとその体がぶつかった。竜は悲鳴を上げた。体に、白い火が燃え移っていた。

「やった……!」

 こころが声を上げる。だが、竜の体は燃え尽きることなく空を飛んでいた。そして、空から、一つの白い光が塔目がけて降ってきた。途端に、辺りが夜のように暗くなる。光の巨人が消え、ルリエの光が、地底の天井から無くなっていた。

「ルリエさん……!」

 降ってくる光へと、優利は声をかけた。光は答えるようにまたたき、そして、こころと優利の目に前に降り立った。優利が、包み込むように手の平を光にかざす。すると、光は優利の手の中に、溶けるように消えてしまった。

「ルリエさん……ルリエさんまで、消えてしまうなんて……」

「いまのは、ルリエさんの怒りの炎だったんだ。ミカさん、ラビーさん、そしてエイザさんまで消されて……もう、我慢できなかったんだ」

 手に残る感触は熱いほどだった。きっとこの光に触れた竜は、もっと激しい熱を感じたに違いない。その竜は空から塔の上へと、降り立つところだった。

「妖精たちめ……どうして、どうして私の邪魔ばかり……!」

 その姿は、見るも無惨に傷ついていた。翼はあちこちが焼け、折れて穴が開いていた。鱗も剥がれ落ちて下の肉が見えている。顔には、エイザにつけられた大きな傷があった。竜が弱っていることに、優利は気づいた。

「……姉ちゃん」

「なに?」

「オレ……できるかな。ちゃんと……」

 何をするつもりなのかは言わなかった。こころも、聞かなかった。ただ一言。

「大丈夫」

 そう言って、それまでずっと手にしていた、ミカの火をそっと優利に差し出した。優利は、ミカの火が灯るカンテラを左手に、エイザに返されたナイフを右手に、確かな足取りで、竜へと近づいていった。

「ひ……なによ、近づかないでよ!」

 竜はそう叫ぶと、ボロボロになった翼で再び飛び立った。ただの子供だと、馬鹿にしていたはずの相手に竜は怯えていた。対する優利は、初めは恐ろしくて仕方がなかったはずの夢魔の主を前に、不思議と落ち着いた心地でいられた。こころが後ろにいて、ミカと、ラビー、エイザにリエル――四人の近衛騎士たちが力を貸してくれると、分かっていたからかもしれない。

「姉ちゃん、行ってくる!」

 優利はそう告げると、空を見上げた。そして、ラビーのことを脳裏に思い描いた。すると、風の町に吹いていた風を、優利は肌に感じた。

 優利の足の下から風が巻き起こる。優利はさらに強く、風と、そして空を思った。すると優利の足は塔の屋上を離れ、その体は、天へと昇っていった。

「追いかけてこないでよ! 私は、私は――!」

 優利は、竜には何も声をかけなかった。自然と腕が動いた。熱い力が、胸の内から沸き立つようで、それに優利は動かされていた。優利はナイフを構えたまま、竜へと突っ込んでいった。そのとき、心の中にあったのは、自分ひとりだけの感情ではなかった。怒りや悲しみ、悔しさ、そして、大切な人を守りたいという思い。騎士たちみんながもっていた心が、優利に力を貸してくれた。

 優利が持つナイフは、噴き上がる炎の刃となって、竜を貫いた。

「ギャアアアアアーッ!」

 凄まじい絶叫を竜は上げた。そして、次の瞬間、光の塊となって塔の上へと落ちていった。こころは、落ちてきたものを見た。そこにはもはや、竜はいなかった。そこにいたのは、ひとりの女性だった。

「ヒカリさん……」

 こころがそっと呼びかけると、女性は、うつ伏せの状態から、顔だけを上げた。長い金髪をした女性は、その髪のせいでほとんど顔が隠れ、どんな表情をしているかは分からなかった。ただ、辛うじて見えている唇が、微かに動いた。

「たすけて……」

 そう言って、女性は、ヒカリは、右手を伸ばす。こころは、自分に助けを求めているのかとどきりとしたが、彼女の目は、こころの後ろを見ていた。そこにいる、女王イコタへとヒカリは助けを求めていた。

 すると、女王はその声を聞き届けたかのように、おもむろに目を開けた。そして、ゆっくりと体を起こすと、こころに向けて微笑みかけ、片手を差し出した。

 その手には、黄金に輝く、リンゴがあった。

「彼女の夢を見て」

「えっ……?」

「あなただけができること。光の夢。それを知って、そして、愛してあげて。あなたは彼女を知っている。そして、もっと深く知ることができる」

 こころは、女王の前へと歩み出た。そして黄金のリンゴを受け取った。女王は、微笑んで頷く。こころはヒカリの方へと振り返り――そして、その目に切実な救いを求める心が浮かぶのを見ると、リンゴへとかじりついた。


 味は、分からなかった。急速に、眠気が襲ってくる。


「姉ちゃん!」


 空から舞い降りた優利が、その場に倒れ伏したこころへと向かっていく。その姿をぼんやりと見て、それから、こころの意識は完全に落ちた。



 こころは、夢の中で目を覚ました。すぐに夢の中だと気づいたのは、自分が、妖精の国でもなく、そして自分が全く知らない場所に立っていたからだ。

 そこは、どこかの会社のようだった。

 こころは会社というものを、ドラマでしか知らない。ただ、そこにあったのはそんなドラマで見たような光景だった。たくさん並んだデスクに、電話をしたり、パソコンを弄ったりする大人たち。

 そんな中で――吸い寄せられるように、目を引くものがあった。

「え……あれって……」

 こころは驚きに目を見開いた。応接室のようなところなのだろう。半透明の仕切り板の向こうに、こころの立つ場所からちょうど見える位置に座る女性。金色の髪を伸ばし、きっちりと化粧をした、大人の女性に、こころは見覚えがあった。テレビで何度も見た、よく知っている人だった。

「明星、ルーシィ先生……?」

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