20.地底へ

 夕食ができる前に、ガウリィは帰っていった。ひとりでロビーに座っていた優利を見つけたこころは、

「どうしたの? 何かあったの?」

 と心配しきった様子で声をかけてきた。優利は「大丈夫」と言い、

「それより……ガウリィさんとちょっと話したんだ。地底であったこと、聞いたよ」

「そうなんだ。夕ご飯、食べながら聞いていい?」

 優利は頷いた。夕ご飯は、宿の食堂に運ばれていた。テーブルがいくつもあるのに二人しか席に着いていないせいで、食堂はとてもがらんとしているように感じられた。


 夕食を取りながら、優利はこころに、ガウリィから聞いたことを話した。


 こころは優利と同じように、やはり、悔しさを感じているようだった。

「……ねえ、優利。私たちで……夢魔の主を、なんとかできないのかな」

 フォークを置いて、こころが言う。丸いパンや豆のスープ、焼き魚が並ぶ夕食は、しかし半分ほどしか減っていない。話している途中で、食事が喉を通らなくなったのだ。

「ミカさんや、ラビーさんから分けてもらった夢の力で、夢魔たちを倒せないのかな」

 優利は、答えなかった。答えられなかった。いま、何かを言うと、こころの気持ちに賛同しそうだった。自分たちの力で、夢魔の主と戦う――できないと分かっていても、それでもやりたいと優利は思っていた。だからこそ、黙っていることしかできないのだ。

「ねえ……優利は、どうしたい?」

「オレは……」

 優利は、スープを飲み干してから、言った。できれば言いたくないと、そう思いながら。

「……妖精の女王様のところに、行かないといけない」

 優利の答えに、のろのろと、こころは首を縦に振った。

「うん……そうだね」

 それきり会話は無くなり、二人は黙って食事を進めた。エサミが作ってくれた夕食はとても美味しかったけれど、まるで砂でも噛んでいるような気持ちにしかなれなかった。

 それから二人は、またお風呂に入り、部屋に戻ると、夜を明かした。疲れているはずなのに、ほとんど眠れなかった。家に帰りたいと初めのうちは思っていたはずなのに、ベッドの中で思い浮かべるのは、家のことではなく、この妖精の国のことばかりだった。



 翌朝。郵便屋に二人は行ってみたが、事態は何も変わっていなかった。それどころか、むしろ悪くなっているようだった。

「夢魔の数は昨日より増えているみたいだ。もう地底に行くのは諦めた方がいいんじゃないかな」

 カシェはあっけらかんとそう言う。それに怒ったのは、こころでも優利でもなくガウリィだった。

「そんな、諦めたらココロさんとユウリさんはどうなるんですか? ずっと妖精の国で、お家にも帰れずにいなきゃいけないんですか!?」

「そうなるんじゃないかな。悪くないよこの国も。消えかけだけど」

「カシェさん!」

「しょうがないじゃないか。いま船を出せばただじゃ済まない。ガウリィ、君いま一人でもこの子たちを送り届けようとか思ってるだろう。駄目だよ。冷たいようだけど、僕はこの子たち人間の子供より、同じ妖精の方が大事なんだ」

 ガウリィは、呻くような声で「酷い」と言った。

「カシェさんが、そんなことを言うなんて……立派な騎士様だと、そう思っていたのに」

 そこまで言ってしまったガウリィの腕を、横からこころが掴んで止めた。こころの方を振り向いたガウリィに、こころは、ゆっくりと首を横に振る。

「ガウリィさん……いいんです、私たちのことは」

「でも!」

「カシェさんの言うとおりです。……地底へは、私たちだけで行きます」

「そんな、無茶です! 船の操縦だって、お二人だけじゃ……」

「それでも、それが一番いい」

 そう言ったのは優利だった。

「オレたちだけで行くよ」

「優利さんまで、そんな……」

「オレたち……もう、誰かが消えてしまうところを見たくないんだ。もし夢魔と戦うことになったら……ガウリィが消えることになったら、オレたちは耐えられない。家に帰ってもいままで通りに生きてけないよ」

 ガウリィは、ただ首を横に振った。まるで小さな子供のように。それを見ても、二人は譲らなかった。こころが、郵便屋のドアを開けた。

「待ってください!」

 ガウリィの叫ぶ声を聞きながらも、足を止めることなく外に出る。

 するとそこには、四人の妖精がいた。

 そのうちの二人は、こころと優利が手紙を渡した、ガーギとガビルだった。他の二人は知らない妖精だったが、優利はすぐに気づいた。他の二人の妖精はきっと、ガウリィと共に帰ってきた、妖精の騎士だ。

「おお、良かった。間に合ったな」

「ガーギさん……どうしてここに? それに、そちらのみなさんは……」

 こころが尋ねると、ガーギはにかりと笑った。

「ガウリィちゃんの手紙で知ったよ。君たちは、ミカさんのお客人だったんだな。その黄金の火があるのに、どうしてミカさんの知り合いだって気づけなかったんだか!」

「私たちは、あなたがたを地底へと送り届けるために来たんだ」

 追いかけて出てきたガウリィが、足を止め、口と目を開いたまま固まった。そんなガウリィに、妖精の一人が笑いかける。

「あんたは最初、俺たちにただ戦えと言ったな。あのときは突っぱねたけど、こいつらを送り届けるためだっていうなら話しは別だ」

「彼らを送り届ければ、我らの思い出を、人間の世界へと持って出てもらえるかもしれない。ただ消えるだけの戦いより、ずっといいじゃないか」

「ああ……みなさん……!」

 感極まって、それだけしかガウリィは言えなかった。しかし、こころと優利は困ってしまった。自分たちだけで行くと言ってしまった、その後にそう言われたところで、気持ちは変わらないのだ。

「あの、オレたちは……オレたちだけで行こうと……」

「なに言ってるんだ、無茶を言うな。たとえ一人で船出したって、俺たちが後から船で追いかけてやるからな」

「それは、でも」

 こころが何かを言おうとしたが、言葉が詰まって、それ以上は言えなかった。涙が出そうになって、鼻がつんと痛くなる。

「……やれやれ、どうにも無茶なこと言うやつばっかりだね」

「カシェさん……」

 ガウリィの後ろから、ゆっくりとカシェが出てきた。カシェに向けて何かを言おうと振り向いた、ガウリィはその姿を見て言葉を失った。代わりに、優利が口を開く。

「カシェさん、それ……」

 それ、というのは、カシェが持っていたものだった。それは巨大な槍だった。長さはカシェよりも頭一つ分以上あり、先端が三つまたに別れている。おお、とガーギが声を上げた。

「それを持つお前を見るのは久しぶりだなあ! けど、いいのかい。たぶんだけど、反対してたんじゃないかい?」

「そうなんだけれど、君たちが出てきたとなると話は別だ。止めても止まらないなら、勢いを足して突っ切るしかないんだよ。ガウリィを止めるだけでもいっぱいいっぱいだったんだからね、もう僕じゃこの勢いを止められないよ」

「ははは、よく分かっているじゃないか!」

 声を上げてガーギは笑い、そして、

「さあ、港に行こうじゃないか。船の用意はもうできてるぞ!」



 ガーギたち騎士たちと、騎士の子ガビル。そしてガウリィと共に、こころと優利は港へと駆け下りていった。すると、港には一隻の大きな船があった。

「こんな大きな船、どうしたんですか!?」

 最初乗る予定だった郵便船よりも、ずっと大きな船にガウリィが目を丸くして言った。するとガーギが「ハニェの船だ」と言って、妖精たちのうちの一人を指差した。ハニェは寡黙かもくな妖精で、一言も口を聞かなかったが、船に驚くガウリィの様子を見て、自慢げににやりと笑った。

「こいつ、みんなにも黙って勝手にこいつを作ってやがったんだ」

 そう言ったのは、トロンという名の妖精だった。港に来るまでの短い間に名乗ったトロンは、背中に巨大な剣を背負っている。他の妖精たちも、みんな剣や槍を持っていた。ミカやラビーとは違う物々しい様子にこころや優利が驚いたものだが、トロンが言うには、

「もう、大きな夢の力は使えないんだ」

 という話だった。だからこそ、武器を使って夢魔と戦うしかないのだという。

「さあ、乗った乗った! やつらが時間とともに集まってるなら、早い方がいいぞ」

「操縦はガウリィ、君に任せるよ。夢魔と戦うことになったら僕たちは手が離せないからね」

 ガウリィは硬い表情で頷き、船に乗った。こころと優利が最後に上船し、甲板に立つと、

「全員乗ったな? 出港だ!」

 と、ガーギが大声を張った。白い帆が張られ、ガウリィが舵輪を回す。船はゆっくりと前進を始め、港を離れていった。

「――みんなー! 無事に、帰ってくるんだよ!」

 港から声が響いた。いつの間にか、港にはエサミの姿があった。他にも、郵便屋のみんなの姿もあった。みんなが手を振り、無事を祈る言葉を投げかける。それを背に、船は海へと出て行った。

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