21.海の上の戦い

 こころと優利たちを乗せた船は、沖へと力強く進んで行く。空はずっと暗いままだったが、進むにつれ、雨は少しずつ止んでいった。風は強く、波はまだ高かったが、おかげでだいぶ先の方まで見通すことができた。

 ただ、見えたとしても、いいものが見えるようになるわけではなかった。

「やはり、数が多いな」

 そう言ったのは、ガビルだった。ガビルは見張りとして、双眼鏡を持って空を見ていた。空には、暗雲とは全く別の、黒い何かが飛び回っていた。夢魔だ。数十という数の夢魔が、空を飛んでいるのだ。

「戦って倒せない数じゃないけど地底が近すぎるね。仲間を呼ばれたら消耗するだけだ。やっぱり地底にこの船で直接行くわけにはいかないな」

「じゃあ、どうするんですか? ……まさか、引き返すとはいいませんよね」

 ガウリィに、棘のある視線で睨まれ、カシェは抗議するように両手を上げた。

「まさか! 流石にしないよそんなこと。ただ、作戦は立てた方がいい。ガウリィ、それに人間さんたち。ちょっとこっちに」

 船の片隅に、カシェはガウリィと、こころと優利を集めた。そして小声で話し始め――

「ええっ!? そっちの方がよっぽど無茶じゃないですか!」

 その作戦を聞いた優利は、そんな声を上げた。



 船がイリの島の港から出て、三十分ほどが経った。雨は完全に止んだが、分厚い雲が空を覆い尽くし、太陽の光を奪っていた。まだ朝のはずだが薄暗い空には、夢魔たちが飛び交っている。初めのうちは、襲いかかってくる様子は無かった。だが、地底へと続く島、クゴンレ島が近づくにつれて様子が変わってきた。烏のような、けれどそれ以上に不快に感じる、濁った声でぎゃあぎゃあと鳴き声を上げ始めたのだ。

「……夢魔って鳴くのか」

 ガビルが呟く。ガーギが頷いて、

「警告音だ。これ以上進むなってな。もう、いつ攻撃されてもおかしくない」

「これは全員集合した方がいいな。ああ、人間さんたちはさっきの打ち合わせの通りにね。それまではガウリィの側にいるといい。ガビル! ガウリィの近くに寄ってくる夢魔は君に任せたよ」

 カシェに言われ、ガビルは「見張りはどうする」と言い返した。

「こんなに近くに夢魔がいちゃ見張りも何も無いよ。戦うってなったらどうせ地底からも出てくる。見てる暇なんて無いぞ? 君は実戦初めてなんだから、そもそも戦ってる最中に回りを見てる余裕なんてないだろうしね」

「……分かった。ココロ、ユウリ。それに、ガウリィ。お前たちは絶対に無理に戦おうとするな。夢魔は俺たちに任せるんだ」

「はい……でも、どうか無茶はしないで」

「一番の無茶をしそうだったお前に言われてもな」

 ガビルに呆れた様子で言われ、ガウリィは恥ずかしそうに視線をさまよわせた。こころと優利は、ほんの少しだけ笑った。

 もしかしたら、ガウリィが無茶だと分かっていながらも動いたことで、みんなの心を動かしたのかもしれない。方法が悪かっただけで、できることがあると分かったからこそ、ガウリィが灯した感情の火種が、妖精たちを動かす力になったのだろう。

 こころと優利の目には、妖精たちはとても、強い存在に見えた。武器のせいだろうか。ミカやラビーよりも、ともすれば強そうに見える。

 ――だが、いざ戦いが始まれば、そうはいかない。

 カシェは作戦を決めるとき、そう言っていた。

『僕たちは全員、夢の力をほとんど使えない。せいぜい空を飛ぶぐらいなものでね。だからこそ、正面切って戦ってもどうしようもないんだ。けど、僕たちの目的は、そもそも戦うことじゃないんだよ』

 優利がその言葉を思い返していると、不意に、影が差した。ガウリィが小さく悲鳴を上げ、こころが優利の腕を掴んだ。

「来たぞ! オレの後ろに下がっていろ!」

 ガビルが言って、背中に背負っていた剣を抜いた。大きな剣は、ガビルの家の庭に刺さっていたものだ。その剣でガビルは、くちばしのように尖った頭を下にして、空からぐんぐん降りてくる夢魔を、下から思い切り切り付けた。重い鉄の塊にしか見えない剣が勢いよく振り上がり、夢魔を切り払う。その瞬間を優利は見た。

「……血が出ない」

 優利は呟く。流れていたら流れていたで、悲鳴も上げられずに倒れていたかもしれない。ただ、真っ二つに切られた途端に、粘土のようにどろりと甲板に落ちてきた夢魔の姿は、それはそれで気持ちの悪いものだった。

「やっぱり、生き物じゃなくて、ただの悪夢の産物だったんだな」

 ガビルはどこかほっとした様子だった。だが、一息吐く前に、甲板の方から怒号が飛んできた。

「来やがるぞ! ガビル、気を緩めるな!」

 ガーギだった。その手に槍を持ち、空から来る夢魔を、遠い間合いから突いて落としている。横では、ガーギが落としきれなかった夢魔を、カシェがやっつけているところだった。トロンは弓を夢魔めがけて射かけ、ハニェは柄の長いハンマーを振り回して、夢魔を寄せ付けない。

 いくらでも戦えそうなほどに全員が強く見えた。けれど、戦えていたのは、最初のうちだけだった。

 船が進むにつれ、船を襲う夢魔の数は増えていった数が増えていった。一方、こちらの数は増えないまま、疲労だけが増していく。一撃で倒せない夢魔が増え、甲板に降りたって動く夢魔も出始めた。空からくる夢魔は無視して、甲板の夢魔を排除する時間が増え、そのうちにそれも難しくなっていった。

 優利は、鞄からナイフを出そうとした。不思議と、恐れはほとんど無かった。ただ、自分も戦わなければならないと、そんな気持ちにさせられた。

 しかし、その手をこころが取って、ナイフを出すのを阻んだ。そして、自分を見た優利に首を振ってみせる。

「カシェさんの作戦……やるなら、いまだと思う」

「うん……でも」

 それでも、と食い下がりたい気持ちが前に出そうになって、優利はぐっと堪えた。いま、ガビルがその剣を振るって、夢魔を倒してくれている。ここで自分が前に出て戦っていても、ガビルの足を引っ張るだけだ。やるべきことは、初めから決まっている。

「分かった。ガウリィさん……お願いします」

「……はい」

 ガウリィは噛み締めていた唇を緩めて、それだけを言った。舵と、そしていまからの作戦を任せられたガウリィは、他の妖精たちと共に戦うことを、カシェから禁じられていた。ガウリィが、こころや優利と共に生きること。それが最優先だとカシェは言ったのだ。

「お二人とも……私の手を取ってください」

 ガウリィが、決意を固めて手を二人に差し伸べた。二人は迷わずガウリィの手を取る。ガウリィは一度、カシェの方を見た。すると、カシェは視線に気づいたように振り向き、首を縦に振った。

「……ガビルさん! この場を……お任せします!」

「ああ、行け!」

 ガビルの短い返事を最後に聞き、ガウリィとこころ、優利は視線を交わし――そして、三人そろってその場から身を翻して駆け出した。短い疾走の先にあるのは、海。三人は船のへりを乗り越えると、そのまま海へと飛び込んだ。

 全身を水に叩き付けられる傷み――それはほとんど無かった。水に触れる直線、体がふわりと浮き上がり、迎え入れられるように三人は、海の中へと入っていった。ガウリィの体が、ほのかな水色に光っている。その光を、上にいる夢魔たちから隠すかのように、ガウリィは二人の手を繋いだまま、深く沈んでいく。そしてある程度まで沈むと、地底へと目がけて猛スピードで泳ぎだした。

 これが、カシェの作戦だった。

 夢魔は、深い水の中に何故か入れない。それを利用して、船でなるべくクゴンレ島へと近づき、最後にガウリィが、夢の力を使って海から二人を地底へと連れて行く。

『ほんの少しの夢の力なら、あいつらはきっと気づかないか、気づいてもほっとくはずさ。それに、僕たちがやつらの目を釘づけけにしてやる。ガウリィは地底にこの子たちを届けて戻ってくる。そして僕たち全員で逃げる――こうすれば、みんな消えないで済むよ』

 決死の戦いなど、カシェは初めからするつもりなど無かったのだ。こころと優利が、人間の世界に戻れるならそれでよかったのだ。

 そして――その作戦は、とても上手くいった。

 静かで、そして冷たい海の中には、夢魔たちは入ってこなかった。ガウリィはこころと優利を連れて海を泳ぎ切り、そして、ついにクゴンレ島が近づいてきた。ガウリィは、クゴンレ島に開いた横穴へと、二人を導いていった。

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