19.嵐の夕べ

 手紙を渡し終え、こころと優利は、港でガウリィの操る船に乗った。ガウリィはほっとした様子だったが、二人の気分は沈んでいた。それぞれが、妖精たちにかけられた言葉を、重く受け止めていた。


 港を離れ、郵便屋へと戻ると、郵便屋の中にエサミの姿があった。

「エサミさん! お届けですか?」

 声を上げたのはガウリィだった。エサミは首を振って「違う違う」と言い、

「お二人に用があってね。まあ用って言っても、洗濯物が乾いたから、もしここを離れるなら取りにおいでってだけの話なんだけどさ」

「わざわざすみません。ありがとうございます」

 こころが礼を言うと、エサミは笑って「いいのよ」と言って、それからふっと真顔になった。

「本当はねぇ……ちょっと、心配になって来ちゃったのよ」

「心配?」

「ガウリィの前で言うことじゃあないかもしれないけどね。もしかしたらガウリィの話を聞いて、いっしょになって無茶するんじゃないかって、そんなこと思ってね

「そんなこと……大丈夫ですよ、エサミさん」

 そう言いながらも、こころはエサミの目を真っ直ぐに見ることができなかった。手紙を渡そうとしたときに出会った妖精の子供の、助けを求める切実な声がいまも耳に残っている。あのとき、ガーギがすぐに取りなしてくれたからこそ、言わなかったけれど。こころの口からは、あと一歩のところで、約束の言葉が出そうだったのだ。

(私が助けます、って……そう言えたらどんなにいいか!)

 いま、自分の側にはミカの火があり、優利の体にはラビーの夢の力が宿っている。風の町から水の町への船の間、優利が眠りから覚めた後、こころは優利から聞いていた。自分たちはとても強い、夢の力を操れるかもしれない。それが本当なら、夢魔の主とも戦えるかもしれない。

 戦えるものなら、戦いたい。子供のころからずっと、妖精に触れてきた。実際に会うことはできなくても、物語の中で、夢の中で、数え切れないほどに。妖精の国は自分にとって、もう一つの故郷のような場所なのだとすらこころは感じていた。

「エサミさん。私、もう誰かを巻き込もうとは思いません。私がしたいことは、私の力でやるものなんだと思います」

「うん……そうかい、そうだねぇ。けど、頼れるところはちゃんと頼るんだよ。ガウリィも、それからあんたたちもね。無理に頼むのは良くないけど、助けたいって気持ちは、ちゃんと預かるんだ」

 こころと優利、そしてガウリィは、それぞれ「はい」と言って頷いた。

「さて、と……ガウリィ。行きがけに言っていた、地底への郵便船のことだが……」

 話が終わったのを見計らって、奥に座っていたディエが、椅子から立って言った。

「やはり君だけには任せられない。カシェを連れていってやってくれ」

「カシェさんを……けど、いまの地底は危ないですよ」

「危ないから、君ひとりに任せてはおけないんだ。君だけでなく、いっしょに船に乗る彼らもだ」

 こころと優利へと一度、ガウリィは目をやった。二人がガウリィを促すように頷くと、ガウリィは言った。

「分かりました。カシェさんも、いっしょに行ってもらいます。ところで……カシェさんは? 配送ですか?」

「ああ。あまり量は無かったから、すぐ戻ってくるとは思うが」

 ディエが言い終わるやいなや、郵便屋のドアが開いた。入ってきたのはカシェだった。勢いよく走り込んできたわけではないが、息が切れている。どうやらかなり急いで戻ったらしい。

「戻ったか、カシェ。船の準備は――」

「駄目だ、出航は取りやめにする」

「……どうしてですか!?」

 ガウリィが驚きに声を上げる。カシェは首を横に振り、片手で額を押さえるように頭を抱えた。

「夢魔が出てきてるんだ。この島の西、地底の方からだ。数匹が空を飛んでるだけでこっちへ襲いかかってくる様子は無かったけど、こっちが動けばどうなるかは分からない」

「どうして……」

 ガウリィが呟く。その先は言葉にならなかった。何故、いまなのか。何をしに空を飛んできているのか。そんな疑問を口に出そうとして、言えなかったのだ。何故なら、答えられる者は誰もいないからだ。

「待っていれば帰ってくれるかもしれない。ともかく夢魔のことは明日考えよう」

「それなら、ココロとユウリはあたしの宿に泊まってきな。風の町からの船旅で疲れてるだろうし、どっちにしろ、地底に行くなら元気いっぱいになってからでないとね」

 こころは、ガウリィに言葉をかけようとしたが、結局何も言えなかった。無理をしてまで急ぐ必要はない。カシェの言うとおり、明日、現れた夢魔を見てから考えればいい話だった。

 二人はガウリィたちに別れを告げると、エサミと共に宿へと向かった。そして宿に入ると、こころはあ、と声を出した。

「そういえばエサミさん……私たち、お金持ってないんですけど……」

「なんだい、そんなことかい! 気にしなくていいんだよ、あんたたちは。ま、どうしても宿代を払いたいって言うなら、夕食作りや皿洗いを手伝ってくれてもいいんだよ」

 こころは笑って「じゃあそれで」と言った。優利も小さく頷いたが、

「優利は休んだ方がいいよ。船酔いもしてたし、顔色もちょっと悪いよ」

 と、こころに反対されてしまった。一応は反論をしてみたが、こころは頑として、一人でやると言って譲らなかった。


 夕方。優利は、用意してもらった部屋で休んでいた。ただ、数分はベッドに横になっていたものの、すぐに身を起こしてしまった。船の上で寝てしまったせいか眠気は無かったし、気分的にも、なんだか休まらないような気分だった。

 気分を少し変えようと、優利は窓の方へ足を向けた。白い木の枠で囲われた窓は、あまり大きくないものの、部屋が二階だからか、外がよく見渡せた。遠くに海が見え、下には公園のような場所がある。

(夢魔の主が来る前は、きっと宿に泊まった人が、海を眺めたりしたんだろうな)

 在りし日のことを思うと、優利の気分はまた沈み込んだ。自分の意思で来たわけではなかった、姉に引きずられるような形で来てしまった妖精の国。けれど、そこに生きる妖精たちを見ているうちに、優利はこの国が好きになっていた。だからこそ、好きになれた場所からただ逃げるだけなのが、辛かった。

「どうにかならないのかな……ん?」

 呟きながら視線を公園の端に目をやる。するとそこに、誰かがいることに気づいた。一心に海の向こうを見ているその後ろ姿に、優利は見覚えがあった。

「ガウリィさん?」

 傘も差さずにどうしたのだろう、いや、水の妖精は雨でも傘はいらないのだったと思っていると、不意にガウリィが振り返って優利の方を見た。優利が自分を見ていることに気づくと、ガウリィは驚いた様子で目を見開いた。どうやら、自分を優利が見ているとは思っていなかったらしい。ガウリィが軽く手を振ってきたので、優利は小さく手を振り返し、それから意を決して、窓を開けた。

「……あの、ガウリィさん! 下のロビーで、少し話しませんか?」

 嵐に負けないよう大声でそう言うと、ガウリィは「いいですよ」と言った。優利はほっと息を吐くと、窓を閉めて部屋を出た。

 一階のロビーに下りると、ガウリィが入ってくるところだった。目配せをして会釈すると、ガウリィは丸いテーブルを囲む、ひとりがけのソファに座った。優利も、ガウリィのはす向かいの席に座る。

 そうして、話す準備はできたのに、優利は中々話す準備ができなかった。話そう、と誘ったのは優利だったのに、中々話しを切り出せない。しかしガウリィは、話を無理に促したりせずに、優利の言葉を待ってくれた。

「……あの、ガウリィさん?」

「なんでしょう」

 ようやく、考えに整理がついて、優利は話しを切り出した。

「ガウリィさんが戦おうとした理由って……復讐、だったんですか?」

「えっ……」

 ガウリィは、優利の問いに一瞬、驚いた様子だったが、すぐに苦笑して、

「そういう気持ちも、ありましたけど……一番感じていたのは、このままだと、みんな何もせずともただ、夢を失って、弱って消えていってしまうと……そう思ったからなんです」

 そう言って、優利の言葉を否定した。ただ、否定されても優利は、考えが外れたとがっかりはしなかった。何となくだが、そっちの方がガウリィらしいと感じられた。

「なんとんなく、オレが思いついた理由は違うだろうな、って……カシェさんと話したときから思ってました」

「カシェさんが、なにか?」

「僕は違うと思うって言われただけなんですけど……あ、その、カシェさんから聞きました。地底へ向かった、妖精たちのこと」

 優利に言われ、当時のことを思い出したのだろう。かすかに、ガウリィの表情が悲しげに歪む。言ってはいけないことだっただろうか、と優利が慌てそうになったが、ガウリィは、悲しげな雰囲気を残したまま、微笑んだ。

「カシェさん、他人事だったでしょう」

「え、他人事って言うか……でも、そうですね」

「あの人も、あの場にいたんですよ」

「えっ!?」

 帰ってきたのは、ガウリィと、五人の騎士だけ。カシェはそう言っていた。あの場にいたということは――

「カシェさんは騎士、だったんですか!?」

「はい。カシェさんは昔、とても勇敢な騎士だったそうです。けれどあのとき、他の騎士を助けるために夢の力を使いすぎて……騎士を辞め、郵便屋になりました」

「ラビーさんはそんなこと、一言も」

「カシェさんは……地底でのことを、一言も語ってくれませんでした。ラビーさんも、カシェさんにはそれを聞いてはいけない、と。とても……辛いことがあったそうです。ラビーさんがとても親しいお友だちを失ったように、カシェさんにもきっとなにか会ったんだと思います」

 だからか、と優利は思う。だからラビーは、カシェではなく、ガウリィの名前を出したのだ。共に戦い傷ついた仲間ではなく、騎士に憧れたガウリィこそが、自分たちを助けてくれるだろうと考えて。

「私は、たくさん傷ついた妖精たちを見ました。一緒に地底まで行くことはできなかったから、地底で何が起きたかまでは分からなかったけれど。ただ、夢魔の主がとても残酷な人です。これ以上、何も、誰も奪われたくない……」

 そう言ってガウリィは唇を噛み、うつむいた。そして、小さな声で言う。

「でも……とても、情けない話しですが……カシェさんに叱られたとき、私は全然、戦う覚悟なんかできていなかったことに気がついたんです」

 ガウリィは、また苦笑する。ただ、唇の形が歪んだからそう見えただけで、優利には泣いているようにも見えた。

「他の人を巻き込んで、自分も消えてしまう。そう言われて、ようやく、自分が消えることを考えたんです。……妖精は、女王様の夢がある限り、完全に消えることは無いといわれています。だけどいま、女王様はその力をきっと自由に使えない。一度消えれば、もう戻ってこられないかもしれない。そう思うと……恐くなりました」

「恐いだなんて、そんな! そんなの……当たり前じゃないですか……」

 ガウリィは小さく頷いた。そして「そうですよね」と続けて言う。

「消えるのが恐いって、当たり前のはずなんです。でも、ミカさんも、ラビーさんも……他の妖精たちもみんな、そうだったに違いないし、その恐怖を、いま全ての妖精が持っている。なのに、何もできない自分が、情けなくって」

「オレだって、同じ気持ちです。たぶん姉ちゃんも……この世界を救えないのが、みんなみんな、悔しいし、辛い」

 手紙を渡したときの、ガーギの様子が思い起こされる。悔しくて悔しくて、仕方がない。何もできない自分が情けない――それはきっと、自分たちや騎士の生き残りだけでなく、この世界の妖精たち全てが感じていることだろう。

「……この世界に、最後に来てくれた人間がユウリさんたちでよかった」

 その言葉に、優利は何も言えなかった。良かったなんて、自分は思われるような人間じゃない。ただ助けられるばかりの、小さな子供でしかないのだから。

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