10.風のうわさ
シェムが言っていた広場は、坂をずっと下っていったさきにあった。そこは、さらに下へと向かう道と、崖沿いに伸びる左右の道、さらに谷の反対側に渡る橋が繋がる場所だった。円の形に石畳が敷き詰められた広場には、一本大きな木が生えており、その周囲に十数人もの妖精たちが集っていた。
「ここが町の中心なんだぜ。おーい、みんな! 噂の人間の子供が来たぜ!」
「……噂?」
優利は首を傾げて呟いた。妖精たちは手に木のゴブレットを持ち、なみなみ注がれたジュースを飲んでいる。石畳の上には、あちこちバスケットが置かれ、中には色とりどりの果物が入れられていた。妖精たちは手に手にゴブレットや果物を持ち、こころと優利の周りを取り囲んだ。
「人間さん、どうだい? この町で採れた果物は!」
「ジュースもあるよ!」
「人間界の話を聞かせておくれよ。人間界じゃ、夢の力が無くても空を飛べるんだって?」
「来て早々、夢魔に襲われたんだって? 災難だったねえ」
次々に話しかけられ、こころは口をぽかんと開けて固まってしまう。優利も、こころの隣で妖精たちを順々に見ながら、黙って質問が止むのを待った。しかし妖精たちはともかくおしゃべりな性格らしい。矢継ぎ早の言葉は止むことなく襲いかかってくる。
「あの、すみません」
優利が途中で声を上げた。だが、優利の声は妖精たちの声にかき消されてしまった。代わりにこころが「すみません!」と声を張り上げると、ようやく妖精たちは喋るのを止めた。
「……えっと、何の話?」
「いや、オレたちのことが噂になってるってさっき言ってたから。どういうことなのか気になって」
「なんだ、そんなことか。俺たち風の妖精は、噂話が大好きなんだ。さっき火の町の方で、誰かが夢の力を使ってとんでもない爆発を起こしたみたいだったからさ。何があったかみんな空を見上げてたんだ。そしたら、ラビーのやつが君たちを連れて空から降りてきたんだ。人間の子供なんてもうずっと来てなかったからさ。その話をするために、ここにはこんなに妖精がいるってわけだ」
「そういやラビーで思い出した。おいシェム、あんたラビーから仕事任されてたんじゃないのか?」
妖精の一人にそう言われ、シェムは「げっ」と声を出して顔をしかめた。
「わっすれてた。でもさー、そんな真面目に仕事なんてやんなくていいと思うんだよな」
「……いいんですか、そんないい加減で」
じっとりとこころに横から睨まれても、シェムは堪えた様子もなく両手を軽く上げて言い返す。
「いいんだよ。だってもう、俺らもこの国も、どれぐらい先があるか分からないんだぜ? いまのうちに楽しんどかないと。つまんない気分のまま消えるぐらいなら、仕事なんてしたくないね。そもそもラビーの言う仕事っての、陰気くさくて嫌なんだよー」
「陰気くさい、って……いったい、なにを……?」
優利の問いに、シェムは答えなかった。代わりに、バスケットの中に入っていた緑色の丸い果物を手に取ると、手で二つに割り、その半分に食い付いた。
「あいつも昔は明るかったんだ。けど、仕事なんて始めたばっかりに、ずーっと家にいて、出てきたかと思えば暗い顔! 俺はああなりたくないね。っと……そんなことより、いまは君らの話だ。なあ、せめて上で何があったかだけでも教えてくれよ。ラビーのやつ、いつになくぶすくれててよー。たぶん俺が聞いても何にも教えてくれないからさ」
「ちゃんと仕事したら、話してもらえるんじゃないですか? あ、いっそ私たちもそうしてもいいかも。お仕事したら、お話しするっていうのはどうでしょう」
「うっ。お嬢さん、手厳しいなー。けどそうとなったら、涙を飲んで君らの話を諦めないとな!」
断固として仕事をしたくない。そんな意思を無駄に感じてしまい、こころは呆れて物も言えなかった。
――とはいえ、何か話の一つでも無ければ、周りを取り囲む妖精たちは退いてくれないだろう。
そう考え、口を開いたのは優利だった。
「あの、ところでみなさんは、女王様がどこにいるのかご存じですか?」
「へっ? 女王様か? そりゃここには色んな噂話が舞い込んでくるけどよ……そんなこと知ってどうするんだ?」
「……知りたいですか?」
「そりゃもちろん!」
「じゃあ、お話しするので、代わりに女王様のことについて知ってることを教えてください」
少し話しただけで、喉がカラカラに渇いたような感覚になる。優利は喋りながら、ゆっくりと深い呼吸を繰り返していた。雰囲気飲まれてつい、勢いに乗って話し始めたはいいが、話すうちにだんだんと言葉に詰まりそうになっていた。
「オレたちは、女王様にどうしてもお会いしなければならないんです」
「ふーん。でも、俺らも正確な場所を知ってるって分けじゃねーんだよな。地底の町ってのはみんな知ってるけどな。な?」
シェムの言葉に、口々に同意の言葉が返り、そしてあちこちから色々な話が舞い込んできた。
「地底の奥にいるって話だけど」
「塔の上じゃなかったか?」
「いやいや、水の町の海の底って聞いたぜ」
「けど、何にせよ夢魔がうじゃうじゃいるって言うじゃないか」
「それに、地底って罪精の牢獄があるんだろ? あ、罪精ってのはそっちの世界で言う、罪人ね」
「夢魔の主は罪精も牢獄から解き放っちまったって」
「ひー! おっかない! あんたがた、本当に女王様に会いに行くのかい?」
「え、ええと、はい。女王様にお会いしないと、妖精の国から人間の世界に帰れないんです」
最期の言葉に、どうにかこころは反応して返事をした。途端、口々に感嘆だか呆れだか分からない、ため息のような声が出た。
「そんな危ない思いしなくたって、この国でのんびり生きてけばいいんじゃないの?」
「そうそう、本当にさ。いまの地底なんて、行くどころか近づけやしないって。水の国の玄関口だった、地底湖の港も水没してんだろ?」
「それでも……私たちなら大丈夫だって、言われましたから」
こころの胸には、ミカの言葉が刻み込まれていた。それは勇気を与えるのと同時に、使命感のようなものもこころに与えていた。女王の下へたどり着かなければ、ミカが命を賭けて守ってくれたことが、無駄になってしまうような気がしたのだ。
「何だか……君ら、ちょっといまのラビーに似てるよなあ。雰囲気がお堅いっていうか。なんでそんなに女王様のとこに行きたがるんだ? この国で生きるのは嫌かい?」
「そういうわけじゃ……ただ、オレは人間の世界に帰りたいし、そのためにミカさんは……」
「んあ? ミカ? なーんであの方の名前……あれ、待てよ。あのときの黄金の炎って……まさか」
シェムが口に出していった途端、その場の空気が一変した。それまであった楽しげな盛り上がりはさっと消え失せ、冷たい静寂が生まれる。すぐに囁くような声音で、ミカの名前を妖精たちが出したが、それでも谷を吹き渡る風の音が一番大きく聞こえる音だった。たっぷり十秒は経っただろうか。おもむろに、シェムが確認するように言った。
「火の町であった大爆発って……あの夢の力を使ったのって、本当に、ミカさんだったのか?」
「……はい。ミカさんは……私たちを守って……」
こころは、そう答えるだけでやっとだった。ミカの身に起きたことは、まだ受け止められない。きっと数日、数ヶ月、数年経ってもずっと心に残り続けることだろう。そして、その喪失は、こころや優利にだけショックを与えるものではなかった。風の妖精たちもまた、悲しんだり、嘆いたり、恐れたりする様子を見せた。中には泣き出す者もいたり、こころが持つランタンに気づいて、口をぱくぱく開け閉めしたかと思うと、気絶する者まで現れる始末だった。シェムもまた、へらへらとした笑みを引っ込め、青い顔でランタンの火を見ていた。
「……ココロ、それにユウリ。君らはもしかしたら知らないから、教えておいてあげよう。これは噂なんかじゃなく本当の話なんだけどさ。ミカさんは、妖精の騎士の中でも、一二を争うほどに強い妖精だったんだ。それが……それが夢魔にやられちまったってことは……もう、騎士様たちでさえどうしようもねーってことじゃねーか……!」
シェムが口に出して言うと、その瞬間、恐怖が波のようにどんどん伝わっていったかのように、妖精たちは体を震わせた。そして手からゴブレットや果物を取り落としたかと、いきなりその場から走り去ってしまった。
「あっ……」
「今日はお開きだな。……はー。こうなりゃ気分転換に観光案内するしかないな!」
「えっ!? ちょ、ちょっと……どうしてそんな話に」
優利の声に、やはりシェムは耳を傾けようとはしなかった。勝手に先に立って歩き出してしまったシェムを、こころと優利は慌てて追いかけた。
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