9.気ままな案内人

 食事を終えると、こころと優利は、ラビーと共に一階に下りた。ラビーは一階の棚や木箱から、様々な物を取り出して、二人に授けてくれた。

 ここより寒いという、水の町や地底の町で着るコート。太めのロープに、小ぶりなナイフを一本。パンや干した果物をいくつも。そして、それらを入れておく肩かけの鞄を一つと、こころには、鞄にランタンを取り付けられる、チェーンも与えられた。

「本当ならば、私も同行したいのですが……あなたがたに成すべきことがあるように、私にも、果たすべき役目があります。ここからは、お二人だけで……行くことになるでしょう」

 こころと優利は、深々と頷いた。内心、二人とも酷く心細い気持ちで一杯だった。自分の部屋のベッド、人間の世界からいま、自分たちは遠く離れ、そして帰るために、困難に満ちているだろう旅に出なければならないのだ。考えれば考えるほど、ラビーの前から去ることすら困難なように思えた。

「行こう、優利」

 それでもこころは、そう言って踵を返した。優利は体をびくっと震わせて、姉の顔を見た。唇を引き結んだ顔は、いままで見たことがないような緊張に満ちている。ミカを思い、悲しみに暮れる面持ちは、そこにはもう無い。

 そのま歩き出すこころの後ろに、優利はついて歩く。すぐ後ろに感じる弟の気配が、こころの足を前へと進めていた。

(私が……私がしっかりしないと)

 優利は、色々なことを考える。学校の成績は同じほどだけれど、日頃何かを見聞きして考えることは、自分よりも優利が得意だということを、こころは知っている。逆に、考えを表に出すのが苦手だということも。

 きっといま、優利は、この先にあるだろうことを深く考え、そして、考えの鋭さや深さのせいで、前に進めなくなっている。そういう時、行動を起こすのは自分の役だ。そして何かあったとき、優利は力を貸してくれるだろう。だからこそこころは、いつも優利の先に立って歩くのだった。


 ラビーの家の外に出て、展望台を下っていく。妖精は空を飛ぶものだからなのか、山道はとても簡素な作りだった。土や砂利を固めただけの道に横木が埋め込まれ、幅の広い階段の形になっている。山にはあまり背の高い木はなく、道の脇には、こころと優利の腰の高さほどの木が生えている。ラビーが手入れしているのだろうか、展望台のまわりの低木は、こんもりと丸い形に刈り込まれていて、親指の先ほどの大きさをした、オレンジ色の木の実が鈴なりに実っていた。

 坂を下る間、二人は無言だった。話したいことは色々あった。妖精の国に来てしまったこと。ミカのこと。風の町のこと、これから向かう水の町のこと。そして、妖精の女王と、夢魔の主のこと。言いたいことはあるのに、それでも言葉にはならない。こころにとっては初めての感覚だった。

 けれど、優利は違った。優利はよく、言いたいことが言葉にならなくなる。思い浮かぶことが多すぎて、何から言っていいのか、本当に言っていいのか、分からなくなるのだ。そういうことに慣れているからか、考えを整理して話を切り出すのは、優利が早かった。

「姉ちゃん、あのさ」

「……あ、えっと……なに?」

 自分の考えに没頭していたこころは、ワンテンポ遅れて、優利の方へ顔を向けた。後ろにいた優利は、こころの隣に並んで言った。

「次にあの……夢魔? が出たときのこと、考えてたんだ」

「夢魔が出たときのことを?」

「うん。戦うなんてできないから、ともかく逃げるしかないと思う。だから、なるべく逃げやすい、道が入り組んでたり、人が……じゃなくて、妖精が多いところを選んで行くのがいいんじゃないかなって」

 こころは頷いて、同意を示した。

「うん、それがいいと思う」

「……そういうところが都合良くあれば、いいんだけどね」

 憂うつそうに、優利はそう付け加える。こころも似たような表情になった。どんなとき、どんなところに夢魔が出てくるかなんて全く分からない。それに、自分たちだけが襲われるだけならまだしも、もしかしたらそのときに、周りにいる妖精も巻き込んでしまうかもしれないのだ。

 こころは、ランタンを握る手に、我知らず力を入れていた。

 火の国では、ミカが守ってくれた。夢魔たちを燃やし尽くした上に、その目をくらましてくれていた。その守護が、いまも有効であってほしい。縋るような気持ちになる一方、申し訳ないような気持ちにもなる。そして、そんな気持ちを、こころはミカにだけではなく、優利に対しても抱いていた。

「優利。……ごめんね」

「え?」

「私が、夢の扉を開けちゃったから……優利を巻き込んじゃった」

 優利からの言葉は、すぐには返ってこなかった。そして、返事をしたかと思えばそれは「別にいいよ」という淡々としたものだった。

「……それに、オレが巻き込まれなかったら、姉ちゃん一人でここに来たんじゃないか」

 しばらくの沈黙の後。優利は前を向いたまま、あまり表情の変化もなく、淡々と付け加えた。弟が心配してくれていたことに気づいたこころは、お礼を言うべきか、もう一度謝るべきか迷い――それを口に出す前に、驚きに息を飲んだ。

「やあ! 君たち人間の子供? どうしてラビーなんかのとこから来たんだ?」

 唐突に、目の前に一人の妖精が降ってきた。下るうちに、周りにはこころと優利の背を超す木々がぽつぽつ現れ始めていて、その妖精は、どうやら木の上から飛び降りたようだった。癖の強い黄緑色の髪に、青々とした葉がいくつかついていた。

「あの、あなたは……?」

「俺はシェム。君たちの名前は?」

「私はこころです。こっちは弟の優利。私たち、妖精の女王様に会うために――」

「ココロにユウリか。いま暇? せっかく妖精の国に来たんだからさ、楽しいことしようぜ! 君ら全然なーんか暗い顔してるじゃん?」

「いえ、あの、私たちは……」

 シェムの勢いに、こころはたじたじになってしまう。優利の方も、考えている間に次々と言葉が投げかけられるせいで、間に割って入ることができない。そうこうしている間にも、シェムは一方的に話し続け、勝手に予定を立てていく。

「下の方の広場でさ、パーティやっているんだよ。まずはそっちだな。風の町は色んな見どころがあるからさ。この町のこと教えてやるよ!」

「すみません、私たち先を急いでるんで……」

「おいおい。そんな子供の頃から何かと急いでどうするんだ? 人生楽しまないと損だぜ」

「でも……」

「じゃあ、オレたち港を見に行きたいんですけど……そこまで連れてってくれますか?」

 ようやく優利が口を挟むと、シェムは何度も頷いて、

「港かー。俺的には楽しい場所じゃあないけど。ま、景色はいいよな。つってもいまは波が高いし……いや、むしろ普段より面白いかな? よし、じゃあそっちに行こう。でも先に、庭園に行って他の妖精も見てこう。どうせそこを通らないと、港までは出られないしな」

 シェムはくるりときびすを返し、こころと優利に背を向けた。それから、足取りも軽やかに進んで行く。こころと優利は困ったように顔を見合わせたが、シェムが急かすように「早く来いよ」と呼びかけてきたので、仕方なく後に付いていくことにした。


 ――しかし、こころと優利は、すぐにシェムについていったことを後悔した。

 シェムは道々で足を止め、そこから見える景色について、様々なことを教えてくれた。不思議な形の家のこと、果物を並べる店のこと、道ゆく風の妖精のこと――何も無ければ、ずっと聞いていたいと思えるような話ばかりだったが、いま二人は、先を急いでいた。

「いつになったら、広場に着くんですか?」

 ついにはこころが急かすようなことを言って、シェムはようやく、不満そうな顔をしつつも広場の方へ向かってくれたのだった。

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