11.ラビーの過去

「シェムさん……! ちょっと、待ってください!」

 どんどん先に行ってしまうシェムの背中に向けて、こころは必死になって呼びかけた。しかし、シェムがその足を止めたのは、歩き出してから五分以上経った後だった。

 そこは、崖と縁に沿って花壇がいくつも並んだ、小さな公園だった。妖精たちも周囲にはいないようで、風の音だけが聞こえてくる、静かな場所だった。

 シェムは大きく息を吐くと、石を積んで作られた花壇の囲いに腰を下ろした。

「……はー。参ったな。まだまだいいとこ案内しようと思ってたのに、こんなとこに来ちまった」

「ここは、いったい?」

「公園だよ。人間の世界とは違うのか? 俺の家が近いからさ、よく来るんだ」

 首を傾け、シェムは上の方を見た。崖に張り付くように木の板が渡された、簡素な階段があり、階段の先に鳥かご型の家があった。一つだけでなく、数軒の家が並んでいる。こころはふと、自分の家を思い出した。こころと優利の家、可愛家も、たくさんの家が並ぶ住宅地の中にあった。

「あれが俺の家。それで……ちょっと前まで、隣にラビーが住んでた」

「ラビーさんが? でも、ラビーさんはこの町の、上の方のお家に……」

「ありゃ仕事場なんだ。監督者かんとくしゃになったやつは、あそこに住むんだ」

「かんとくしゃ……?」

 それがラビーの仕事なのだろう。ただ、名前を聞いただけでは、どんな仕事なのかまでは想像もつかなかった。

「俺たち風の妖精は、夢の力で色んなことを知って、そして伝えることができるんだ。この風の町だけじゃない、国中に色んなメッセージを伝えられる。けど、メッセージの中には、教えて良いことと、悪いことがあるんだ」

「教えちゃいけないことって、どんなことなんですか?」

「色々あるけど……一番は、外の世界の知識を与えること。そんで二番目は、地底の牢獄にいるやつに、この国のいまの様子を伝えることだ。そういうことをやらないように監視したり、やったやつを捕まえるのが、監督者の仕事なんだ」

 優利は首を捻った。そんなことで、どうして捕まったりするのだろう。悪いことだとも思えないし、たとえ妖精の国ではやってはいけないことだとしても、捕まるほどのこととは思えなかった。

「そんなことで、って顔だな。けど、本当ならさっき言ったことは、危険なことなんだよ。何せ俺たち風の妖精のメッセージは、夢の力を分け与えるようなもんなんだ。牢にいるやつに力を与えたら何をしでかすか分からないし、外の世界の知識はそもそも、妖精が夢の力として持ってていいもんじゃない。外の世界の知識が、夢の力で形になったりしたら……よくないことになるに決まってる」

「でも、ミカさんは外の世界に……」

「あの人は特別なんだ。本当なら外の世界には行っちゃいけないけどな、あの人は……理由があって人間の世界に出て行った。これは噂じゃなくて、俺がラビーから教えられたことだ」

「理由って?」

 優利が尋ねると、シェムはうなるような声を出して顔をうつむけた。が、すぐに顔を上げると、

「人間を探しに行ったんだ」

 と言った。優利はこころを見た。もしかしたら、という考えが頭をよぎる。ミカはこころと仲が良かったからだ。けれど、その目を見たシェムは「違う違う」と言った。

「たぶん君じゃない……といいんだけどな」

「私じゃないといい、って……」

「ミカが探しに行ったのは、この世界をめちゃくちゃにした元凶。夢魔の主だ」

「えっ!? 夢魔の主って、人間だったんですか? それに、人間の世界にミカさんが行ったってことは……その人は、人間界にいるってことですか?」

「そうさ。人間は夢の中に心を飛ばして来るんだ。体はもちろん、人間の世界に残ったままだ。……そのはずだったんだ」

 けど、と一拍置いて、苦々しくシェムは続きを言った。

「そいつはどこをどう探しても、見つからなかったんだ。ラビーはずっと、人間の世界に行ったミカをサポートしてた。けど、お互いにメッセージを伝え合うほどの力も無くなって……最後のやりとりで、ミカは、妖精の国に来たのは子供じゃなかったのかもしれないって、そう言い残したんだ」

「夢の扉を、妖精の夢を、子供以外が……大人が見つけたんですか?」

「俺は信じられなかった。正直いまでもちょっと信じられねーっていうかさ。だってそうだろ? 子供が夢の扉を見つけられるのは、純粋に俺たち妖精のことを信じてくれるのが子供だけだからだ。もし夢魔の主が人間なら、俺たちがここにいるって、俺たちに会いたいって強く想ってくれたはずなんだ。そいつがさ、どうして女王様を連れて逃げたりするんだ?」

 こころはシェムの言葉に答えられなかった。優利もまた、口に出しては何も言えなかった。

 ただ、優利は一つだけ、思いついたことがあった。ただ、それを思いついても、シェムには言えなかった。

(あの大きなリンゴの木は、妖精の女王様そのもの……リンゴの木を食べて夢の力が得られるなら、夢の力で何だってできるなら――……)

 もしかしたらその人間は、夢の力のために妖精がいると信じて、夢の扉を開けてしまったのではないだろうか。姉のような純粋な願いではなく、欲望のために――そんなことを考え、優利はひとり、恐ろしさに身を震わせた。

「まあともかく、ミカさんは妖精の騎士の中でも特別な方だったんだ。そんで、そういう方さえもやられちまうような世の中だからさ。仕事だなんだって張り切る気になんねーよ。ラビーは無理に頑張りすぎてんだ。自分が何もかも、頑張んなきゃいけないって思ってる」

「頑張るのは……悪いことじゃないと思いますけど」

「悪くないけど、良くもない。あいつ、もうずっと、全然楽しそうじゃないんだ。頑張っても頑張っても苦しそうでさ。あんな顔、俺は見てたくねーもん」

 唇を不機嫌そうに尖らせるシェムに、こころはようやく、シェムがラビーを心配しているのだということに気づいた。しかし――

「心配なら、ラビーさんの仕事を代わりにやってあげればいいのに……」

「へぇ!? 俺が? いやそもそも俺、全然あいつのこと心配してねーし!」

「……どこらへんが?」

 優利が呟く。どう見ても、シェムはラビーのことを心配しているように見えた。

「別に心配してねーよ、ねーけどさ……ただ、俺が仕事したって、あいつは休んだりしないんだよ。だからやるだけ無駄なんだって」

「……どうしてそんなに、ラビーさんは頑張るんですか?」

「知らねー……って言いたいけど、ちょっとだけ知ってる。これは噂な」

 シェムはこころと優利以外誰も聞いていないのに、声を潜めてその先を言った。

「ラビーはな……昔、友だちを自分の手で、地底の牢獄送りにしちまったんだ。そっからなんだ、あいつが楽しくないことしかしなくなったのって」

 二人はラビーの言葉に息を飲んだ。自分たちが会ったラビーはとても親切で、妖精を癒やす薬草を育ている、心優しい妖精に見えた。とてもではないが、友だちを酷い目にあわせるようには思えなかった。

「監督者って、そういうことも……仕事として、しなきゃいけないんですか」

「いや。あいつが変わったのは、監督者になる前……あいつがまだ妖精の騎士だったころの話なんだ」

「えっ。ラビーさんは妖精の騎士だったんですか?」

「ああ。女王様と夢のリンゴを守る、妖精の騎士の一人だったのさ。妖精の騎士には四人、特に強い夢の力を使えるやつがいて、女王様の近衛騎士このえきしをやってたんだけど……ラビーはその一人だった。ミカにルリエ、エイザはみんな火の妖精だった。騎士として、強い夢の力を使えるやつはだいたい火の妖精だったけれど、ラビーは風の妖精なのに騎士になったんだ」

 想像もつかない、そして予想もしなかった話だった。ただ、こころにも優利にも、それが嘘ではないと分かった。ラビーが妖精の騎士について詳しかったのには、自分が妖精の騎士だったからなのだ。

「とまあ、ここまでは事実なんだが……ここからは全部、噂な。ラビーが騎士を止めて監督者になったのは、女王様が連れ去られた後だったんだけど……その時、騎士の中に裏切り者がいたんだ」

「裏切り者?」

「そいつが夢魔の主に、地底の国のことを教えたんだ。地底の国は、ほとんどの妖精が力を出し切れなくなるところで、そこに女王様を連れて逃げれば、どんな強い妖精とも戦える……ってね」

「そんな、それじゃあその妖精のせいで、女王様が連れ去られてしまったんですか?」

「あくまで噂さ。でも、俺もそんなとこだろうとは思う。でなけりゃ、いくらなんでも、ラビーが友だちを捕まえて牢獄送りになんかしないだろ? どうしてもやらなきゃいけなかった。けど、そのことをずっと、ラビーは気に病んでるのさ」

 こころは顔をうつむけて、眉間にしわを寄せた。その時のラビーのことを思うと、自分のことのように辛くなってしまう。優利も似たような顔をしていた――が、途中で、その表情を変えた。視線をあらぬ方へと向ける。優利は上の方を、ラビーの家がある方を見るともなしに見ていた。

(本当に……シェムさんが言ったことは本当のことなのか? 自分がしたことを気に病んだり、もしかしたら後悔してたとして……そんな人がどうして、人を捕まえなければならない仕事をするんだろう?)

 考えに考え――結局分からなかった優利は、うなだれる二人をその場に残し、そっとその場を後にした。

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