12.嵐の前触れ

 優利がいなくなったことに、こころが気づいたころには、優利の姿がその場から影も形もなくなった後だった。

「優利……? 優利、どこ行ったの?」

 呼びかけても返事は来ない。こころは公園を飛び出していった。その後を、シェムが慌てて追ってくる。

「なんだあいつ、いきなりいなくなったりして……」

「もしかしたら、先に港に行ったのかも」

「港に? そういえば、行きたいって言ってたな」

「港から、船で水の町に行く予定だったんです。女王様に会いに行くために」

 こころの言葉に、シェムは変な顔になった。目を見開いたかと思うと、奥歯が痛くなったように片頬を歪めている。

「冗談だろ? 女王様はいま地底にいるって言ったよな」

「女王様に会いに行くってさっき言ったじゃないですか! 本気です」

「それが冗談だと思ってたんだって! つーか、あいつは港がどこにあんのか知ってるのか? 普通に坂道下りただけじゃ、そうそうたどり着けねーとこにあんだぞ港は」

「どうしよう、迷子になってるかも」

 シェムはイライラと首を横に振った。

「ともかく、下に行きながら探すっきゃないな。そんな遠くまで行けないだろ、たぶん」

 こころは頷き、シェムと共に小さな公園から離れていった。広場まで一度戻り、坂道を下っていく。町はひっそりと静まりかえっている。さっきまで、風の妖精たちが、噂話に花を咲かせていたとは思えない静けさだった。

「静か……」

「恐れてるんだ。いままでは、楽しく生きてりゃ恐いことも忘れられた。けど、騎士様が、しかもあのミカがやられたって聞いて、もうそんな気分にもなれないんだ」

「ごめんなさい、私たちのせいで」

「君が謝ることじゃねーって。ミカが選んで救ったんだ。そもそも、ミカが君に夢の扉のことを教えたんだろ。あいつにだって責任があるだろ?」

 理屈はそうかもしれない。それでも、自分が妖精の国に来たことは軽はずみなことだったのかもしれない。妖精の国に来たせいで、優利もミカも巻き込まれてしまった――こころはどうしても、そう思ってしまうのだった。


 沈んだ気持ちを抱えて、こころが優利を探し回る一方で――。


 当の優利は、港の方ヘなど向かっていなかった。

 

 優利は来た道を戻り、展望台へと足を運んでいた。すると、そこにはラビーの姿があった。ラビーは木のベンチに、目を閉じて腰かけていた。

「ラビーさん」

 優利が呼びかけると、ラビーはおもむろに目を開け、優利へと目を向けた。

「ユウリさん……何故、ここに? 港の方へ、向かったはずでは?」

「いや、その……」

 どこから話すべきか。順序を考えた優利だったが、自分のことよりもまず、何よりも、確認しなければならないことがあった。

「ラビーさん、聞きたいことがあるんです」

「聞きたいこと、ですか。私に、答えられることなら、お教えしましょう」

「……あなたが監督者をやってるのは、地底にいる、友だちのためなんですか?」

 ラビーは驚いたように目を丸くした。だが、すぐにその目蓋を伏せ、苦笑した。

「どうして、そのことを?」

「えっと……その、風の噂で。あなたが妖精の騎士の裏切り者を、地底の牢獄送りにしたって聞いて。その妖精はあなたの友だちで、それをずっと気に病んで……本当は地底の牢獄に、罪を犯した妖精を送る様な仕事なんて、したくないって」

「……そうですね。そう言われるのなら、そうなのでしょう」

「違う」

 優利は即座に否定した。否定しておいて、自分自身もその否定の言葉に驚いていた。そんなにも強く、相手を否定することを言ったことは、初めてだった。。

「もちろん、仲間の騎士を地底の牢獄へと送ったことは、辛いんだと思います。けれどそれ以上に、あなたには……たぶん、使命とか、そういうものがあったんじゃないですか」

「……どうして、そう思うのですか」

「ここに来るまでに、この町の、風の妖精たちに会ってきました」

 そう、優利はシェムの家の前の公園からここに来るまでの間に、恐れて家に閉じこもってしまった妖精たちに会いに行ったのだ。そして、そこでラビーについての話を聞いた。だからこそ、ラビーが辛い仕事をする理由に見当がついたのだ。

「監督者の役目は、メッセージを悪用した人を捕まえて、牢獄へ送ること。けれど、あなたが監督者になってから、牢獄へ行った人は、ただの一人もいなかった。みんな……水の町へ向かう船に乗って、途中で船が転覆したりして、行方知れずになってしまったと聞きました」

「それは……事故です。私の、不手際で起きてしまった、事故ですよ」

「本当にそうなんですか?」

 優利は、ラビーの目を真っ直ぐに見て問いかけた。ラビーの深い緑色の瞳は、悲しげな色を宿したまま、真っ直ぐに優利を見返してくる。優利はすぐに、その目から目をそらしたくなった。それでも必死に堪えたのは、自分が目を背けてしまったら、もう二度と、ラビーは本当のことを言ってくれないような気がしたからだ。不思議なことに、それだけは嫌だった。優利はただ、ラビーのことが知りたかった。

「……もう、止めましょう」

「ラビーさん……」

「もはや、偽り通せません。あなたの目を見て、そう思いました。けれど、どうしても……あなたがたには、お教えしたくなかった」

「教えたくない? どうして……?」

 ラビーはゆっくりと、瞬きを繰り返した。涙は浮かんでいなかったが、それでも優利は、ラビーの目が、泣いているように見えた。

「人間の子供は……時に、思いもかけないほど、強い夢の力を使うことが、あるのです。といっても、それは、妖精の夢を得た子供だけが使える、特別な力です。そして……あなたがたは、ミカの力を託されている」

「……! そう、なんですか。でも、それとこれと、何の関係が……」

「あなたがた姉弟は、強い夢の力を使えるかもしれない。そして、あなたがたは、これから地底の町へと向います。そう考えると……もしかしたら、あなたがたは、私の友を救ってくれるかもしれない。そんなことを……思ってしまって」

 だから、どうしても言いたくなかった――その言葉は、ほとんど掠れて聞こえなかった。それでも優利は、その声をしっかりと聞いたような気がした。

「あなたがたは、ミカの客人。だからこそ、頼りたくはなかった。話してしまえば、頼んでしまうのが、自分でも分かっていました」

 優利は、何も言えなかった。こころならきっと、ここで「頼ってもいい、任せてほしい」と言うに違いないだろう。けれど、優利の頭の中にあったのは、他人を救う余裕など自分にあるだろうか、ということだった。だから、頼ってほしいとはどうしても言えず、代わりに、

「話を……聞かせてください」

 それだけを言った。助けられるかどうか、分からない。ただ、教えてほしい――そんな思いを、ラビーも感じ取ったのだろう。悲しげに、眉を下げて微笑むと、その口を開いた。



「――は!? 港に誰も来てないって?」

 一方そのころ――優利を探しに、港へと向かったこころとシェムは、船着き場にいた風の妖精から思いもかけないことを聞いた。驚いてシェムが「本当だろうな?」と勢い込んで尋ねると、聞かれた妖精は、勢いに押されたように上半身を反らせて答えた。

「本当だって! 今日は人間の男の子どころか、妖精一人来てないんだって。ていうか、この港だってもうずいぶん使ってないし!」

「ええ? ずいぶんってこと無いだろ? ちょっと前だって、地底にメッセージを送ろうとした奴が捕まって、牢獄送りになったって聞いてるぜ」

 シェムがそう言うと、舟守ふなもりの妖精は目を剥いた。

「嘘だろ? ラビーと一番仲良いお前が何にも聞いてないの?」

「仲良くは無い!」

「あの、ラビーさんが何か? もしかして、シェムさんに隠してることがあるんですか?」

 こころの言葉に、舟守はこころとシェムを交互に見比べ、それから口を開いた。

「ああもういいや、シェムさんになら話してもいいよね、うん」

「何だ?」

「ここから地底の牢獄に、罪精を送り出したことなんて、いままで一回も無いよ。ラビーさんがそんなことするわけないじゃないか。牢獄送りの途中、船が難破なんぱしたように見せかけて、みんな逃がしてたんだよ。船は空っぽのまま海にドボンさ!」

 シェムはその言葉に、あんぐりと口を開けて固まってしまった。その様子に、舟守は堪えきれないという風に噴き出し、それからすぐに表情を引き締めた。

「俺はここにいるから、水の町の噂も、その向こうの地底の噂もよく知ってんだけどさ。地底に夢魔の主が現れたあの日からずっと、地底には、何かと理由をつけて、妖精たちが集められてるんだそうだ。みんな、何か良くないことに使われてるってラビーさんは思ったんだろうな。だから、本物の罪精だろうが何だろうが、夢魔の主に狙われてそうなやつはみーんな、どこかにこっそり逃がしてるのさ」

「そんなこと……俺は一回も聞いたことなかったぞ! なあ、それ、ただの噂だろ?」

「だーかーら、空っぽの船を沖に出したって言ったじゃないか」

「でもどうして、ラビーさんは一度も、シェムさんにそのことを話さなかったんでしょう? 仲の良い友だちなのに」

 こころの言葉に、もはやシェムは「友だちじゃねー!」と否定する声も上げられなかった。うろたえた表情で、落ち着きなく視線を左右に走らせ、唇を震わせていた。

「さあねー。けど、ラビーが監督者になったぐらいから、ずっとシェムはラビーを避けてただろ?」

「……お仕事、したくないって逃げてたの、いつものことだったんですか?」

「う、あ、ま、まあ……うん……」

「だから話す機会が無かったんじゃないですか! もう……」

 叱るような口調でこころに言われ、シェムは完全に消沈してうなだれてしまった。が、すぐにがばりと顔を上げると、

「お、俺のことはいいだろ! それよりユウリだ。あいつ、結局どこ行っちまったんだ。ココロ、どこ行ったか、思いつかねーか?」

 こころは、考えを巡らせた。優利はどこに行ったのか。そもそも、先を急ぐために港に行ったのでなければ、どうしていきなり、一人でどこかへ行ってしまったのか。優利がいなくなったのは、シェムがラビーの話をした後だった――

「もしかして、優利――」

「うわ、なんだありゃ!」

 こころが言い終わらないうちに、舟守の妖精が驚いた声を出した。その目は川の下流――海の方へと向いている。海の先、水平線の向こうから、何かが飛んでくるのが見えた。それはまるでカラスのように黒く、しかし、それよりももっと大きくて、不気味な姿をしていた。こころはそれが何なのか分かって、あっと叫んだ。

「おいおいおいおい! なんか来るぞ!」

「夢魔だ……! 風の町にも夢魔が来たんだ!」

 こころが声高に言うと、シェムと舟守は鋭く息を飲んだ。二人とも恐れに視線も体も釘づけになり、口も利けなくなる。こころは、そんなシェムの腕を掴んだ。

「シェムさん、逃げて! 妖精たちを連れて、どこか……遠くへ!」

「……! な、なに言ってるんだよ。そりゃ、逃げろって言われれば、どこにだって逃げるけど……君はどうすんだ」

「私はラビーさんのところへ行きます。弟が、優利がそこにいるかもしれない」

「ラビーのとこに、ユウリが?」

 こころは頷くと、シェムの腕から手を離し、その場から駆け出した。「あっ、おい!」とシェムが呼び止めようとしたが、見る前にその背は遠く、小さくなっていく。

「……あー、もう! しょうがないな!」

「お、逃げないのか?」

「逃げるに決まってるだろ! ココロとユウリと、それからラビー連れて逃げる! あ、そうだ、ミェル! お前は他の妖精をどっかに逃がすか隠すかしててくれ!」

 舟守、ミェルにそう言い残すと、シェムはこころを追って走り出した。後ろから「上手く逃げろよー」と投げかけられた言葉には、返事もせずに全速力で。

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