6.夢魔

 ミカの言葉に、ついさっきまで感じていた、未知のものへの昂揚感や恐怖といった感情は、二人の中から消え失せていた。

「そんな……そしたら、もう夢の扉も見つけられなくなっちゃうじゃないですか!」

 叫ぶようなこころの言葉に、ミカは沈黙で返した。まるで答えることそのものが辛いという風に。

「……どうして? どうして女王のリンゴが無くなると、夢が見れなくなるんですか?」

 その背中に優利は問いかける。ミカはおもむろに口を開き、重々しく言った。

「女王様のリンゴには、夢の力が詰まってるんだ。それを食べることで、妖精は夢を見られる。そして、妖精の夢は子供たちの見る夢でもある。夢で俺たち妖精と、君たちみたいな子供は、ずっと繋がっていたんだ」

「オレたちの夢が、妖精の夢……で、でも夢って、脳の中にある記憶を整理してるときに見るものだって、本に書いてあったけど……」

「物知りだなぁ、優利くんは。もちろんそれも嘘じゃないんだろうけど……でも、不思議に思ったことは無いかい? 自分の見たことのないもの、行ったことのない場所、会ったことのない人……そんなものが、夢の中に現れたりするのはね。妖精の夢と、子供たちの夢が混ざり合ってるからなんだよ」

「じゃあ、妖精が夢を見なくなったら、私たちの夢はどうなっちゃうんですか?」

 ミカは、そこでゆっくりと振り返り、こころを見た。その青い瞳はとても悲しそうで、こころは、わけもなく泣きそうになるのを、唇を噛んでぐっと堪えた。

「……分からない。ただ、良くないことが起こるような気がするんだ。夢を見られなくなったり……それか、悪い夢を見るようになるかもしれない。いま、この妖精の国は、とても大きな悪夢の力が渦巻いてるんだ」

「悪夢の力?」

 回りを見ても、そんなものがあるようにはとても見えない。枯れ果てた巨木以外は、とても美しい世界だ。しかし、ミカは首を横に振って、

「ここにはまだ悪夢の力が及んでいないだけなんだ。ここよりも下にある三つの町は、悪夢に飲まれつつある。ここも時間の問題さ。そうなる前に、君たちを外の世界に帰さないと」

 優利は、扉へと目を向けた。もう、すぐにでも帰りたくて仕方ない。しかし、こころの方は名残惜しそうに、ミカや、周りの景色へと目を移している。「姉ちゃん」と声をかけてみても、こころは中々動き出さなかった。

「もう、ここには二度と来れないんですか? ミカさんとも……もう、会えなくなっちゃうんですか?」

「ああ、そうだ。でも、君が妖精の夢を見られなくなっても、妖精の国が消えてしまうわけじゃない」

「けど……」

「こころちゃん、優利くん。俺のわがままでここに導いてしまって、すまなかった。ここのことを、たまにでいいから思い出してくれると嬉しい。さあ、扉を開けるんだ」

 ミカが言い終えるころには、優利はもうドアの取っ手に手をかけていた。こころもミカに促され、渋々といった様子でドアの前に立つ。

「さようなら、二人とも。どうか――」

 別れを告げるミカの声が、途中でふっ、と途切れた。扉へと顔を向けていた優利は、不自然に切れたような声に振り返った。いや、振り返ろうとした。

「危ない!」

 ミカの大声が響いた。と同時に、優利はこころに腕を強く引かれていた。横へ、隣に立つこころの方へと倒れかかるように数歩踏みだし、そのまま二人してどっと地面に転がってしまう。かと思うと、今度はミカの手によって、優利は引きずられるように立たされていた。

「なに……いったい何だよ!?」

「俺の後ろに隠れてるんだ!」

 混乱する優利の問いには答えず、ミカは怒鳴り返してくる。その気迫に、そして目の前に現れたものに、優利は文句を引っ込めた。

 何かが、渦巻きながら空から降りてくる。それはこころと優利が立っていた扉の前の地面に、ぶつかるように着地していく。それは黒い粘土のような物だった。形という形がなく、引き延ばした球のような形で落ちてきて、地面に落ちると割れた卵のように広がって、それからまた、棒のような形になって並んでいく。

「何だ、あれ……」

「悪夢から生まれた化け物、夢魔むまだ」

「むま……? な、なんでそれがいきなり、こんなところに?」

「分からない、でも君たちが帰ろうとする願い……それを察知して来たのかもしれない」

 話している間にも、夢魔たちはどんどんと増えていき、その形もはっきりとしたものになっていった。棒のような体から枝のようなものが突き出し、下の方は車輪のような形になる。それらは壁のように扉の前に並んで、両手を突き出しながら、じりじりと全身を始める。空いたスペースにはまた夢魔が降り立ち、前進しながら、頭の無いマネキンのような形へと変形していく。

「これじゃあ扉に近づけない!」

「ミカさん……私たち、どうすれば……」

「……大丈夫だ。俺がこいつらをやっつけてやるから」

 不安を露わにする二人を振り返り、安心させるように微笑むと、ミカは夢魔たちに鋭い視線を向けて右手を掲げた。手の平の上に炎が灯る。さっき姿を変えた時に見せた炎と、その炎はまるで違う色をしていた。赤々と燃える炎は、まるで生き物のように――しかも獰猛どうもうな獣のようにうねり、ぱちぱちと音を立てて火花を散らしていた。

「夢を蝕む悪意どもめ……一匹残らず燃え尽きるがいい!」

 それまでの様子からは想像も付かないような怒声を上げ、ミカは炎を放った。炎は弓なりに夢魔立ちの頭上に飛んでいき、その真上まで来たかと思うと、ドーン! と爆音を響かせて弾け飛んだ。炎は無数の火の玉となって勢いよく降り注ぎ、夢魔たちを貫いたかと思うと、その体を火で包み込んだ。夢魔たちはほとんど身動ぎもせず、薪のようにただ燃やされていった。

「や、やった……」

 優利が呟いて肩から力を抜く。だが、生まれた安心を踏み潰すように、空からはまだまだ夢魔が降りてくる。今度はもっと大量に、扉の前だけでなく、優利たちの後ろにも落ちてくる。優利は恐怖のあまり、喉の奥で悲鳴を上げた。こころが手を握ってくれなければ、その場にへたり込むか、考えなしにどこぞへと走り出していたかもしれない。

 ――こころの行動は些細なものだったかもしれない。だが少なくとも、このおかげで優利は、姉と離れ離れになる、なんてことにならずにすんだのだ。

 こころが優利の手を握り、ミカが扉の前の夢魔目がけて再び炎を放った――その時だった。

 地面がガクン! と大きく揺れたかと思うと、徐々に扉とは反対側の方へと傾き始めた。ぎょっとして優利が坂の下になりつつある方を見ると、そこには、前に立った夢魔とは比べものにならないほどに大量の夢魔がいた。見ている間にも傾斜はキツくなり、ついには立っていられないほどになってしまう。

「このままじゃ……落とされる!」

「くそ、こんな強硬手段に出るなんて! こうなったらもうしょうがない……二人とも、俺に掴まって!」

 こころと優利は、ミカが来ている赤いローブのような衣服にしがみついた。するとミカは二人の背中に手を回し、地面を勢いよく蹴って飛んだ。

「わ……!」

 叫び声が途中で切れたような声が聞こえた。それが自分のものだったのか、それとも姉のものだったのか優利には分からなかったが、ともかく悲鳴すらろくに上げられず、二人はごうごういう風の唸りを前に口を引き結んだ。口を開けていると、風が勢いよく入ってくるからだ。

 ミカは、二人を抱え、隼のように空を滑空していた。さっきまで立っていた雲の大地はみるみるうちに遠ざかっていく。けれど、夢魔たちの姿は中々消えてくれない。大地から滑り落ちた夢魔たちは、再び黒い塊に戻ると、今度は平べったい、三角形のたこのような姿へと変化した。

「追ってくるよ!」

 背後を見た優利が叫ぶ。ミカは空中で一度、強く羽ばたいた。すると黄金の羽根が舞い散り、猛烈な勢いで炎と光を放った。燃える羽根に当たった夢魔は次々と燃え落ちていったが、それでも全てを撃退することはできない。ミカは一度、二度と燃える羽根を振りまきながら羽ばたき、体の向きを変えていき、夢魔との距離が充分に空くと、近くに浮いていた雲の上へと降り立った。

 地面に足がつき、こころと優利はこわごわミカから手を離す。しがみついて、動きを妨げることはできない。まだ終わりではないと二人とも分かっていた。

 二人が自分から離れると、ミカは飛んできた方へと振り返った。空には無数の、黒い凧のような夢魔がいて、くるくると弧を描きながら、いまにも降りてきそうだった。

「二人とも、よく聞いてほしい」

 空を見上げながら、ミカは静かに切り出した。二人は黙ったまま言葉の先を促す。目の前の恐ろしい光景に――そして、これから待ち受けているだろう恐ろしい出来事を直感し、何も言えなかったのだ。

「あの扉はもう使えないだろう。再び夢の扉を作るには、妖精の夢の力が必要だけど……夢魔を倒したとき、その力は俺に残ってないだろう。いや、この国のどの妖精にも、もうそんな力は残っていない。しかしたった一人、妖精の女王、イコタだけは例外だ。女王様に会いに行くんだ」

 ミカは話しながら、両手を大きく広げ、手の平に炎を灯した。その炎は巨大で、あまりにも強い光を放っていて、ほとんど白に近い金色に見えた。こころと優利は、眩しさのあまり目を細めたが、それでもミカの姿から目を離さなかった。

「けれど、女王様はいま、ある者に捕まってしまっている。夢の力を独占しようとする夢魔の主――悪意持つ人間の手によって。女王様のところにたどり着くまで、長い旅になる。三つの町、そこにいる妖精の力を借りるんだ。大丈夫、君たちならきっとたどり着けるさ」

 ミカの両手に灯った炎はいよいよ勢いを増し、その手の平からいまにもこぼれ落ちそうなほどになっていた。極限まで増大した黄金の炎――ミカはそれをぶつけあうように両手を合わせた。炎と炎が合わさった、その瞬間、太陽のような光がミカの体を包み込んだ。

「ミカさん!」

 叫ぶこころの前でミカの体は黄金の炎の中に溶け、かと思うと、矢のような勢いで空へと向けて打ち出された。金色の彗星と化したミカは夢魔たちへと飛び、黒い体を焼き尽くしながら天へと昇っていく。そして、らせんを描いて飛ぶ夢魔たちの中心まで来ると、とてつもない爆音と共に、彗星が弾けた。

「ミカさん……? そんな、ミカさん!」

「あ……ああ……」

 弾けた彗星は、ミカは、波のように広がる炎を辺りに広げていく。灰の一つも残さず夢魔たちは次々に焼かれていき、全ての夢魔が焼き尽くされたころには、空には金色の火の粉がちらちらと舞っていた。

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