二
意味が分からなかった。何か酷い悪戯をされているのだと思った。
そんなことを口走ったその男は「ごめん、だけどお前は絶対知っとかなきゃだめだと思った」と言って立ち去ってしまった。口をはさんだあの男は「アイツを責めないでくれ」と申し訳なさそうな表情をした後立ち去ってしまった。硬直していた僕が何か言葉を発する前に。
その日のうちに僕は電話を掛けた。何か悪い冗談なのだろうと信じて。それかお茶目なドッキリだと思って、それならネタ晴らしをしたと彼らから伝わるから。きっと電話に出てくれると思って、掛けた。けど、でなかった。帰ってくるのは無機質な『この電話番号は使われておりません』という音。目の前が、真っ暗になった。
そろそろ、あの冗談が嘘に思えなくなった。けれどもう、陽は暮れ始めていて彼の家に走って向かうのはあまりに迷惑が掛かってしまうからその日は静かに帰った。昨日の夜に食べたものが何だったのかも覚えていないし、眠るまでの間になにをしたのかも不鮮明で、何時に寝たのかも分からない。挙句、その事実に気付いたのは朝目覚めて彼の家に向かう途中のこと。
僕は、動揺していたのだと思う。いまだコレが、白昼夢のように思えてならない。
彼らの言葉が質の悪い冗談であるのかを確かめなければあまりにも不安で仕方がなかった。もちろん、殆ど冗談なのはわかっている、何も知らない彼の両親が僕を見て、僕が言う「アイツいますか?」なんて台詞に何事もなく頷いて、アイツを連れてくることは殆ど決まりきった未来だ。けど、万が一があまりにも怖かった。
だから僕は彼の家へと歩いている。馬鹿げたことだとは思うけれど、ついでに彼の顔を久しぶりに見れるわけだし、第一笑われるだけでこの不安が消えるならいくらでも笑われてやろう。そのあと質の悪い冗談を宣った友人たちを〆れば楽しい記憶を脳に焼き付け、いつも通りの日常に戻って行く。それだけのために、彼の家に向かう。
この道も酷く久しぶりだった。高校に通う為にも、なにか買い物に行くためにも通る必要のないところだからこそ、懐かしい。すこしだけ迷いながらたどり着いた彼の家は別段姿も変わることなくそこに立っていた。
大きく一つ息を吐き、ほんのすこし意識が薄くなるくらい大きく息を吸ってチャイムを鳴らす。久しぶりというのもあるし縁起の悪い言葉を言われたこともあって割と緊張していた。なにか反応が帰ってくるまでの間、ドクドクと鼓動は速くなる。
「中学校の時に
『……益田、くん?』
久しぶりに彼のお母さんの声を聴いたと思う。でもそれ以上に、なぜだか酷く動揺していたことに注目が行った。
「えっと……はい、お久しぶりです」
インターホン越しではどんな顔をしているのかも分からないし、どういった声色なのかも詳しくは聞き取れない。それでも確か、昨日の同窓会の時もこんな感じの反応をしている人が何人かいたことを思い出した。なんだか変な人たちだ。
『どうして、ここに?』
「えっと? 翠くんに会いに来たんですよ?」
質問の意図が良く分からなかった。結構前の話だとは言え彼の両親とは何度も顔を会わせたことがあるし、こちらに警戒しているようなことを言うのかあまりが分からなかった。ある程度、警戒される理由は分からないでもないけれど、ここまで見るからに警戒心をあらわにされるほど、僕が何かをした記憶はなかった。
『ほんとう、ですか?』
「いや、まぁ、そう、だと思いますよ?」
なんだか話がかみ合わない。そもそもなんだか会話がおかしい。小、中の友人の家に来る用事の中に、遊びに来た以外のものがあるのだろうか。
『誰かに、なにか言われませんでした?』
「昨日の同窓会で、すごい質の悪い冗談を言ってたこともここに来た理由ですね」
言い切る前にインターホンは途切れ、数十秒後暗い表情をした彼の母親が玄関のドアを開けてくれた。挨拶を交わす間もなく、彼の家へと入り込んだ。
そこで紹介されたのは、彼の写真がど真ん中に置かれた仏壇と、白い封筒に書かれた懐かしい癖のある字体の遺書という文字だった。
休日だからか家にいた彼の父と母に、リビングの椅子に座らされてからようやく同窓会の時の台詞に真実味が帯びてきて鼓動が激しくなっていた。
「どういうこと、なんですか?」
全身から冷や汗が流れてきて、手汗が酷く明瞭に感じられ、それでもまだ嘘の可能性を望んでいた。手の凝った質の悪い悪戯だと、望んでいた。
「うそ、ですよね?」
「……」
彼らはなにも喋らなかった。目を逸らしているのが嫌に目についた。
「だって、僕にはなにも、知らされてないじゃないですか」
「……」
ただただ彼らは、顔を俯けていた。僕が今まで見たことがないくらいに、彼らの顔は複雑な感情が入り混じっているように見えた。まったく感情が読み取れなかった。
「ねぇ、なにか、言ってくださいよ」
それでも彼らは喋らない。
十分程度が経過して、ようやく彼の父が口を開いた。
「それが、アイツの最後の望みなんだ」
「……どういう、ことですか?」
まるで言っている意味が分からなかった。
「
「そんなことは分かってるんですよ!」
なんでそんなことを彼が望んだのかを、僕は知りたいんだ。でも、そこまで叫んでしまったところで、申し訳なさそうに、辛そうに、そして疑うように、僕を見る彼の両親の瞳にあるように思えた。だから、言葉はしぼんでしまった。
「ぼくが、原因、なんですか」
「それは違う」
「じゃぁ、なんだってアイツは死んだんですか!」
信じられない、信じたくない。けど、現実は目の前にある。冗談なんかで仏壇なんて家に置く様な家庭がどこにあるんだ。でもそれ以上に信じたくないのは、頑なになぜ死んだのかを、死んだこと自体を僕にだけ隠していた事実。
また沈黙が、この場を支配する。
「いつ、死んだんですか。それくらい知っても良いじゃないですか」
それくらいしか聞くことの出来ないことがただ、悔しかった。悔しいだなんて感情を、僕は初めて抱いた。
「中学校を、卒業してから、一年と少しが経った頃だ」
一年と数カ月前、彼は命を絶ったのだ。
それがまた、もし中学校を卒業してから一度でも彼と言葉を交わしていれば、彼は死んでいなかったのかもしれない、と心が滅茶苦茶になる。考えも、おぼつかない。
「ならせめて、お墓参りだけでも、させてください」
「……わかった」
長い沈黙を経て、彼の父は頷いてくれた。
彼の両親に案内されている間、あまりにも恐ろしく残酷で絶望的な想像が頭を過ぎ去った。本当に僕が彼を殺してしまったのかもしれないと、何度か頭に浮かんだ。それでも何かできることもなく、僕は墓場へと着いた。
いっぱいの墓石、小さい頃はオバケが出そうと怖がって、近頃はお盆の時に面倒臭く感じて、そうして今は初めて心苦しく涙さえ流れてしまいそうなくらいまとまりのない考えを抱きながら、墓石の中を歩いて行った。
「は?」
そうして連れられたその墓石の上には彼がいた。
僕の混沌としていた脳みそが真っ白にさせられた。彼の両親が、息子が眠る場所、と言って連れてきた墓石の上に、少し硬い表情をした半透明の彼がいたから。
「はっ?」
僕はあまりの出来事に、硬直した。
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