夏のある日、君の声を聴く
酸味
一
中学校の同窓会に行く。夏の凄まじい日差しの下、蝉たちが有難迷惑なことに風情と言うものを押し付けてくる日々の中その決断に要したのは、その通知を開くための半日と同窓会に行くかと悩んだ二日の、二日半。
同窓会という行かなくてもいい行事の為に浪費したその時間は、僕が玄関に立ち、暑さと言うものを視覚的でなく数値でもなく肌で実感した瞬間にさらに浪費される可能性が生まれた。そこで初めて人間の身体が融解する予感を覚えたのである。
茫然と立ち尽くす。日焼けしていない僕の白い腕や肩や脚に反射する陽光に目をひそめながら、正気を破壊する苛立たしいほどの蝉時雨を背景に唖然とする。夏休みの半分以上をクーラーの効いた科学文明によって保障された楽園に引き籠っていた僕には、到底信じられぬ過酷な現実が目の前にあったのだ。
夏は嫌だ。数分しか外に出ていないというのに汗は早くも呪詛と共ににじみ出る。
それでも同窓会に行くと決心したのは、偶然、家先で中学校の同級生に出会ったからである。白い肌を眩しそうに、そして不思議そうにこちらを向いていた同級生の存在があったからである。この過酷な世界へと飛び込み挑戦するのか、あるいは自然の摂理に従って脆弱な生物たる僕は安全な場所に引き返すのか、その天秤がどちらかに傾き切る前に出会ってしまったからである。
こうして久しぶりにその道を歩き始めた。
はたして僕は、この同級生とどのように話していただろうか、とふと考える。横に並び口を開く。するとどう喋っていいのかという戸惑いと、二年近く顔を合わしていない同級生と近頃の口調で喋ることに違和感が噴き出る。高校生になって別段なにか大きく変わったとは思わないけれど、でも口調が分からない。だから、そのあと自然に声は出ない。なんだか良く分からない気持ちになる。
「最近おまえ、どうしてんの?」
僕と同級生の間に生まれた沈黙を破ったのは向こう側。口調を悩み声を出しあぐねていた僕とは違い、彼は殆ど他人のような相手にする口調で問いかけてくる。彼の唐突で典型的な間を繋げるだけの言葉にどこか悲しさが生まれてしまう。
「なんだい、それ」
その癖、僕も昔のように気軽く言葉をつづけることができない。ぎくしゃくとした、居心地の悪い雰囲気が僕らを包み込んだ。深い深い深淵の峡谷がほんの二、三年の間に出来上がっていた。
「……」
それから僕ら二人はなにもしゃべらず歩いた。
歩きながら、隣の彼以外の友人たちの顔を思い浮かべる。かつて過ごした素面とは思えない馬鹿げた時間に生まれた友情の暖かさ思い浮かべる。特に、一番初めに名前が浮かび上がった親友のことを思い出していた。
小学校の頃に出会い、長い年月の間で交友を深めた相手。僕と同い年の人間とは思えないくらいに義理堅く、己と言うものを確立していたすこし大時代な性格の親友。二年前のいざこざからは一度も会えていないけれど、ほんの少し前まで彼がいない生活を想像すらできなかった、それくらい唯一無二の親友。
そんな彼と顔を合わせた時も今のように沈黙で満ちてしまうのかと不安になる。彼との間柄は他の誰よりも深いからこそ、そんなことはないだろうと願ってしまう。
それから間もなく、途中で出会った同級生たちと懐かしさに場を暖かくしながら、二年前までの日常が詰まった懐かしき中学校にたどり着いた。
高校に比べるとかなりこじんまりとしている中学校が、入ってみると思っている以上に広く思える。そもそも大人数の高校に進学したから、学年全員の顔が思い出せるほどの人数しかいない、ということにほんの少し違和感を覚えてしまう。これが数年前までの普通だったというのに、おかしなものだ。
久しぶりに会うかつての担任は姿も雰囲気も変わることなく教壇で僕を迎えていて安心する。懐かしき同級生たちは思春期の終わりを間近にして、記憶にある姿とは違う立ち姿になっていた。髪の毛を染めている人もいれば髪型を変えている人もいて、体型が変わっている人もいれば雰囲気が変わっている人もいる。そのくせ面白いのが、みんながみんな自分が変化していることには気づいていない。そうしてそれは僕も同じなのだろうと思った。
それが、この教室に違和感を覚えさせる。まるで見ず知らずの人といるように思えて悩ましい。容姿が大きく変わった人には、特にその記憶との相違が激しく混乱してしまう。とはいえそれは不快なものではなかった。むしろ愉快だった。
学年で一番根暗だと言われ、挙句自称までしていた一人の男は今では髪の毛を染め損なったのか、少し汚い色合いの金色になっていた。イヤリングはつけていなかったけれど、中途半端に長い髪の毛に隠れた耳たぶに小さな穴が開いているのを見た。人はこんなに変わることが出来るのかと、まざまざと人類の克己心を目撃しながらも面白くて仕方がなかった。
そうこうしているうちに、僕は自然と中学生の時の雰囲気を思い出し、彼らに言葉を投げ掛けていた。早めにこの場所に来てしまったから本来ならばまだ同窓会の時間ではない。それでも記憶の中と同じばか騒ぎに心の箍が外れて行った。
そんななか、親友である彼が来ていない事に気付いた。
「ねぇ、だれか狩野のことしらない?」
あれから一応彼へと電話をしてみた。なんで同窓会に来ていないのか、とメッセージも送った。しかしながら返ってくるのはなにもない。電話に出ることもなければ既読が付くこともない。なにか僕が悪いことをしてしまったのかと、焦り司会役の同級生が口上を述べ始めるまで彼の反応を待っていた。それでもなにも返ってこない。
「全然反応返ってこないんだけど」
偶然近くにいた彼との共通の友人である男にスマホを掲げ問いかけた。もちろんなにか語気を強く叫んだわけでもない。なにか凄まじい形相で胸ぐらをつかみ、畏怖させるような低い声でお話したわけでもない。そもそも背の低い僕は胸ぐらをつかんだところで滑稽な事にしかならない。
「……ぅん、まぁ、アイツ予定でもあるんじゃねえかな」
なにかおかしなことを言ったつもりはない。言葉も普通。状況だっておかしなことではない。けれどその彼はほんの少しだけ目を揺るがしていた。
「どうしたの、急にどもって」
小さくピクリと動いた唇の端。途端に変雰囲わった周囲の気。僕だけがおかしいのだと言外に伝えてくるこの状況に小首を傾げる。少しのいざこざが彼との間にあった、けれどそれが原因でここに彼がいないとは思えない程度のことでしかない。周囲から変な目で見られるほどのことでもない。
「なんでもねぇよ、ちょっと喉が変になっただけ」
無理にはぐらかそうとしているのは分かった。こちらに事情を踏み込みさせないという意思は彼と、その周りの人達の態度から伝わっていた。
不満を抱く。けれどもここで足掻いても仕方がないから、僕はなにを考えているのか分からない彼らの策略に乗ることにした。
それから何時間か、僕はほんの少しの疑惑を抱きながらも旧友たちとの交友を楽しんだ。久しぶりに顔を合わせた時のぎくしゃくとした居心地の悪い雰囲気はいつの間にかに霧散していて、僕もはしゃいでいた。それはもうちょっと落ち着いたらようやく頭痛に気付いたくらいに、箍が外れてしまっていた。
結局彼が来ることはなかった。メッセージには既読さえつかなかった。彼のことを聞いた時の周りの反応はおかしかったし、なによりあれからチラチラといろんな人に見られていた。なにかおかしなことをしてしまったのかと思ったけれど、何度かはぐらかされてから問い詰めることは諦めた。精一杯楽しむことに意識をシフトさせた。
終わりが間際になって、何となく寂しさを覚える。彼らとまたこうしてバカ騒ぎをするのは果たして何年後になるだろうか。中学校の同級生なんて大したつながりでないなんて大人は良く言っていたけれど、どうなのだろう。なんて考えてしまう。
結局そうこうしている間に記念写真を撮ってこれで同窓会は終わってしまった。なんだか柄じゃなく懐かしさに心を揺らしていたけれどそれでも、結局楽しかった。
「なぁ、ちょっといいか?」
「ん? どしたの?」
ぞろぞろと同級生たちが出口へ向かう中、共にこの場所へと歩いてきた男友達が声を掛けてきた。顔を見てみると想定していたのとは違う神妙な顔つきで、思わずピクリと肩が動く。ここでそれまでの態度に対する種明かしでもするのだろうか。
気分は断罪されるような気分だった。
「おい、やめとけって」
彼に口をはさんだのは親友と共通の友人である男。そいつは僕をなんだか良く分からない目で見つめていた。
「でも、言った方がまだ救いようがあるだろ」
「……だからって、アイツが望んでないことをするのはどうなんだよ」
なんだか揉め事の予感。状況的に僕と今日来なかった親友のことが原因なのだろう。だけれど、一体何を伝えようとしているのかがまるで分らなかった。救いようがあるとか、アイツが望んでいないとか、まるで意味が分からない。
「ねぇ、ほんとに君らどうしたのさ?」
その返答に、彼らは良く分からない表情だけで返すのだ。
「その、出来ればショックを受けないでほしいんだけどな」
「おいって!」
なぜだか口論をしている彼ら。
「あいつは、結構前に自殺したんだんだよ」
その言葉に体は動かなかった。
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