第45話STAND ~狼煙を上げる刻~ Part.4
持ちうるすべてが実力であるならば、口の巧さもまた同義。言葉というのは時により、獄炎にも勝る効果を発する。誇り高い相手ならば尚更だ。
「魔族の決闘は思い切り殴り合うのが基本ブヒィ。まっ、お城暮らしで世間知らずな魔王女様なら知らなくて当然ブヒィ。ブッヒッヒッヒ!」
「……力で勝ればよいのじゃな?」
しかめっ面のメアを眺めているグリムから溜息が漏れている。あんなあからさまな挑発に乗ってしまうとは、やはりプライドというのは首を絞めるばかりだ。
「ハラガよ、もう一度尋ねるぞ。力で、勝れば、よいのじゃな?」
「凄んだってぜんぜん怖くねえブヒ、そんな細腕で俺様を殴れると思ってるブヒか」
「やってみせよう。妾も魔族、弱者と嗤われては退けぬのじゃ」
メアはそう嘯くと、蒼炎を握り消した拳を構えた。だが構えはしたもののぎこちなく、身に染みついた形でないことは明白、どう見ても接近戦を苦手としている気配がある。
なのに、そのぎこちない構えとは不釣り合いな気迫が、メアの痩身からは放たれていた。
「かつての父上も時に獄炎を封じて戦っていたと聞く、であれば、これは宿命かもしれぬな。獄炎も魔法もなし、身一つじゃ、ハラガよ。妾はこの拳を以てお主をくだしてみせるのじゃ」
「上等ブヒィ! 叩き潰してやるブヒィッ!」
地を蹴った両者
今度は互いに前へ
すると先程まで浮かんでいた余裕が、すっかりメアから消えていく。
しかし、それも当然のこと。
これまで取ってきた退きながら躱し、隙を縫って反撃するのがメアの得意とする戦法であったとすれば、いま彼女が行っている戦法は全く正反対に位置するもの。前に出ながら攻撃を躱し捌いて肉薄するのは、後衛の魔法使いではなく前衛の剣士が担う役割であり、求められる技術は大きく増える。
しかも、徒手であるメアに対して、ハラガは野太い棍棒を握っているのだから、彼女にしてみれば拳を当てるだけでも一苦労といったところだろう。身長とリーチの差は、こと近接戦において重要で、懐が遠い相手を殴るというのはかなりの難度がある。
だから、メアの脇腹に棍棒がめり込んだのも、当然の帰結といえた。ただし、喰らいはしたが沈みはせず、吹っ飛ばされても彼女はすぐに体勢を整えている。
「くぅ……。流石に、堪えるのじゃ……」
「意外と頑丈ブヒィね、それくらい頑丈なら、
「勝ち名乗りには
接近戦はハラガの土俵だし、明らかに旗色は悪い。にもかかわず、神妙な面持ちで見つめるグリムと目が合ったのは、楽しげな笑みを湛えるメアであり、彼女の紅い瞳は『我に策在り』と語りかけているようである。
しかし、剣士であるが故に、グリムには不安ばかりが浮かぶ。
敵に近づき攻撃する。
言葉にすれば三言だが、されど三言とでもいうべきで、敵に接近すればするほど攻撃も防御も難しくなる。特に懐まで潜り込もうとする場合は、大変な危険を伴うのが必然だ。なにしろ近づきすぎては相手の挙動が見て取れず、視界の外から攻撃されることが増える。拳を武器として戦う僧兵《モンク》や武闘家、それに剣士などは、敵の足運びや重心移動から攻撃を予測し対応するが、魔法使い色の強いメアにはその発想すらないはずだから、彼女が覗かせた自信の根拠がグリムにはさっぱり分からない。
だがそれでも、彼は口を噤み続けた。
手出し無用の決闘には、当然助言もお呼びではない。仮に口出ししてメアが勝っても、彼女の勝利を穢すだけになるだろう。となれば、グリムに出来ることはやはりただの一つだけで、彼は何度吹っ飛ばされても突撃していくメアの姿を、しっかりと眼に焼き付けていた。
「ブヒヒィ~、諦めた方がいいブヒよぉ? 殴り合いで俺様に勝てるワケがねえブヒ」
「……うむ、確かに認めねばならないのじゃ。形勢は、妾に不利じゃろうな」
と、血を拭いながらメアは言うが、その表情から追い詰められている危機感は感じられない。
「アタマ叩きすぎてイカレたぶひぃ? なにを笑ってるブヒか」
「何ということはない、ただ妾はやはり魔族なのだと改めて自覚しただけじゃ」
殴り飛ばされたのはこれで何度目だろうか。しかし、不屈の闘志で立ち上がる彼女には、やはり笑顔が浮かんでいる。
「人魔の平和を妾は望み、戦の終わりを欲しておる。じゃがこうして戦いに身を置くと、どうにも楽しくて堪らぬ。魔族の血が騒ぐと言うほかない昂揚を感じているのじゃ、強き者に挑むことが、こうまで楽しいとは知らなかった」
「降参すれば、
「お主の欲望も見上げたものじゃが生憎とそうはならぬ、妾も負けるのは嫌いじゃからな」
これで構えるのは何度目だろうか。
右拳を突き出すメアは、あくまでも接近戦での決着を望んでいる様子である。
「もう十二分に堪能した。やはりこの間合いはお主に有利、妾が勝つ見込みは薄いじゃろうな」
「だったらどうするブヒィ、腰抜けの魔法に頼るブヒか?」
「いいや、次で決めるのじゃ」
「ブッヒッヒッヒ、ハッタリしても馬鹿にしてるブヒィ! 俺様に触ることも出来てないのに、どうやって勝とうっていうブヒか⁈」
「……一撃じゃ」
「ぶひぃ?」
メアの構えに起きた僅かな変化。だがその極々微妙な変化に、グリムの眉根が寄っていた。
両足の間が少し拡がり、先程までのうわずっていた重心は、すとんと下に降りている。それは武闘家など、近接格闘戦を旨とする戦士達にとって基本の足運びであり、また前後左右に素早く対応するために必須のスキルでもあった。だが、一番感心すべきなのは、誰から教わることなく、その足運びが正しいと気付けた戦闘センスであろう。
「互いに殴り合えば、確実にお主が勝つじゃろう。戦知識も経験も劣る妾では、長引くほど不利なのは明白。であれば、渾身の一撃でもってお主を沈めるのが、妾に残された細き勝ち筋。――故にハラガよ、警告しておく。決して油断するでないぞ。妾は魔王の誇りを乗せて、この拳を、お主の顔に叩き込むのじゃ」
「無理ブヒよぉ~? お前じゃ絶対に無理ぶひぃ」
「ならばハラガよ、来るがよい。妾は逃げも隠れもしないのじゃ」
そう言って手招く彼女からは、明らかな挑発の意図が汲み取れる。誘う指先と細い瞳、どちらもまるで、愚かな道化を嘲笑うかのようなしなやかさで、ハラガの神経を逆なでした。
と、なればである。
絵に描いたように単純短気なハラガが、どういう反応を示すかは火を見るよりも明らかだ。
脂肪でだぶついた腹を揺らして突撃するハラガ
対するメアは今度は動かずピタリと構えをとったままで
これは上手いとグリムの眉根が上がっている
前進しながら攻撃を躱し、殴りつけるのがメアのやりたい事であるが、如何せん、距離を詰めながらの回避は難しく、現状では不可能であると彼女は判断したのだろう。とはいえ、獄炎と魔法を使わずハラガを倒すには、やはり殴りつけるしか手はない。
とくれば、一番の問題である距離をハラガに潰させてしまえばいいのだ。
待ちはするが下がらず、一撃で差す。
早い話がカウンター。大振りに合わせての強烈な一撃、それこそがメアの狙いだったが――
「オラァ! ブチ殺してやるブヒィッ!」
メアが待っているのは棍棒での攻撃なのだが、ハラガの初撃は左拳での腹打ちで、彼女は大きく飛び退いて身を躱し、続く連続攻撃も回避に撤して凌いでいく。
彼女が舞うのは、拳と棍棒が作り出す竜巻で、しかし喰らうことはなかったが、遂に限界に来たように今一度、大きくメアは飛び下がる。
そうして空いた両者の間合いは、まさに丁度いい距離だった。
例えばそう、生意気な小娘の脳天を棍棒で叩き割るのに丁度いい距離とくれば、ハラガはここぞとばかりに、右手の棍棒を振りかぶる。
「雌ガキがァ! くたばるブヒィッ!」
怒声と共に棍棒が地を叩き、舞い上がる土煙
だがそこにメアの姿はなく
次の瞬間
目を剥いたハラガの横っ面を強烈な衝撃が叩いた
メアの拳は小さく、しかし魔力を乗せたその威力は桁外れの一言に尽きる。
ハラガも反撃を喰らうことを予想はしていたはずだが、それでも大砲並の威力で顎を砕かれるとは想像さえしていなかっただろう。仰向けに倒れたまま微動だにしない。
……いや、或いは出来ないのかもしれないが、とにかくメアは、倒れたままのハラガを見下ろして、ふぅ~と長く息を吐いた。
「降参するかハラガよ、それとも続けるか?」
続けるのであれば受けて立つ。
メアからは昂ぶる戦意が感じられるがしかし、ハラガの方は砕けた顎で不明瞭な言葉を吐くばかりである。
「……なんじゃ、ハッキリと申さぬか。止めるのか、続けるのか」
「うぅ、ふぁいっふぁ……ぁぁ、ぁ」
「降参するのじゃな?」
だが、メアの問いに答えることなく、ハラガは気を失ったようにぱたりと動かなくなってしまう。いかに魔族の身体が頑丈とはいえ顎を砕かれればダメージは残る、むしろ意識を繋いでいただけでも驚異といえるだろう。
……とはいえ、終わった。
しかし勝利の喜びは思いの外あっけなく、深呼吸で緊張を吐き出したメアは、離れたところで待っているグリムに向かって手を挙げると、最初になんと言おうか考えながら歩いていく。
緩んだ筋肉で歩みはしなやか。緊張の糸もすっかり解けているのだが、こと戦場において、その緩みは別の名で呼ばれることが多く、また近づけてはいけない存在だ。
曰く、油断――
完全に気を抜いてしまったメアは、背後で息を吹き返したハラガの攻撃に対してまるで反応できていなかった。
「ドタマかち割ってやるブヒィ! 死ィ――」
「――ぬのはテメェだ、豚野郎」
メアの視界から遠くにいたはずのグリムが消え、かと思えば耳元で応じる彼の声。
あまりの速さに目でさえ追えず、状況不覚のまま振り返った彼女が目にしたのは、大剣を振り抜いたグリムの姿と、地面を転がり跳ねていく、切り落とされたハラガの頭部であった。
目にも止まらぬ、とはまさにこの事で、メアが口をきけるようになったのは、棍棒を振り上げたままだったハラガの胴体が、ようやく頭を無くしたことに気付いてグニャリと潰れてからである。ただし――
「莫迦野郎ッ!
――彼女の憤りは、グリムの叱咤にかき消された。
手出し無用の決闘に割って入るなど言語道断。その一太刀が、この戦いのすべてを無に帰すのだとメアは怒鳴りたかったのだが、グリムが見せた形相には言葉を詰まらさざるおえない。
戦場の法度、あまりに無謀。
まだ息のある敵の傍で油断するなど、それこそが言語道断で怠慢の極み。そう怒鳴るグリムの言葉は、疑いようもない経験からきている言葉だと理解したメアは、呟くように声を絞り出していた。
一瞬の油断がまさに命取り。彼が反応していなかったら、不意を打たれていたメアは、どれほどの痛手を被っていたことだろう。
「……す、すまなかったのじゃ、グリム」
「気を失ってようが、生きてるなら反撃してくる。油断するなんざ素人同然だ」
「勝利の安堵に気が抜けた、弁明のしようもないのじゃ……」
メアは落ち込み、そして転がっているハラガの頭部に目を遣った。
奴の首が飛ばされたのは、ひとえにメアが油断した為であり、出来ることなら殺さずに決着を付けたかった彼女にしてみれば、自身の甘さに歯がゆくなるばかりだった。
だが、済んじまったものは仕方が無い、とグリムは言う。
「決着は決着、勝ったのはお前だ。豚野郎にしたって、俺の動きに気付いてればまだ首は繋がっていたろうさ。とどのつまり、戦場での生き死にはテメェでなんとかするしかねえんだ」
「……そう、じゃな」
目を見開いたままのハラガの生首を見つめて、メアは呟いた。
この経験、この犠牲を無駄はしないと肝に銘じながら――
「傲慢だなメア。なんでも自分の所為にするなって言ったろ」
「分かっている……。じゃが、前に進もうとした矢先に道が閉じれば、暗くもなるのじゃ」
「……と、いうと?」
メアの口からは残念そうな溜息が漏れる。
「ハラガにとどめを刺したのはお主じゃろ、しかも決闘に割って入ってじゃ。無論、助けてくれたことには感謝しているが、これでは誰も妾を認めはしないのじゃ」
「自力じゃないからってか? アホくせぇ」
「お主にとってはそうじゃろうが、妾にとっては大事じゃ。魔族が他を率いるには力を示さねばならぬのに、決闘において手を借りるなど、末代までの恥と言っても過言ではないのじゃぞ」
「……そっちじゃねえよ」
舌を鳴らしたグリムの口角は、呆れ加減にひん曲がっていた。
「正直、戦場で決闘おっ始めるなんて馬鹿馬鹿しいと思ってるが、俺が呆れてんのはお前のネガティブさの方だ。――
「……のじゃ?」
グリムのしゃくった顎の先。
言われたメアがそちらを振り返れば、生き残った数百の魔物たちが跪いていた。
二足の獣魔族は武器を置き、四つ足の魔物は地に伏せて、暴れ回っていた巨大熊でさえ、その尻を地面に付けて座り込んでいる有り様で、彼等の意図は明確だった。
しかしながら、この明らかな事態を、メアは呑み込めずにいる。
「これは、一体どういうことなのじゃ……」
「俺は、魔族のしきたり疎いけどよ。認めたってことなんじゃねえか、お前のことを」
「じゃが、とどめを刺したのはお主じゃし、決着に至っては有耶無耶ではないか」
「なら俺に跪いてるとでも? ンな訳あるかよ。俺が斬る前に勝負は付いてたと、こいつ等もそう見たんだろ」
それか、ハラガの不意討ちを卑怯な腰抜け的行為と判断したのかも知れない。
まぁ彼等がどう感じたかは想像の域を出ないが、とにかくグリムは、跪いている魔物たちを眺めてから「実際、いいパンチだったしな」と冗談混じりに続けた。
「それは真か? 気遣っているわけではあるまいな」
「当たり前だろ、あの一発が入った時点で終わってた」
「……あぁ、ではグリムよ。妾の勝利、ということでよいのじゃろうか?」
「訊く相手が違う」
そう言われたメアは、微笑みを浮かべてから、改めて平伏している魔物達に向き直る。
「諸君! 突然のことで思うところもあるじゃろう。じゃが、これより進む道こそが、最も困難で、そして価値ある戦となる。力だけでは到底及ばぬ、難しい戦いじゃ。故にどうか。妾の夢に、人魔の平和に、力を貸してもらいたい」
凜としたメアの声が神風さながらに草原を抜けていけば、魔物達は一層深く傅いて、無言の忠誠を誓ったのだった。
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