第44話STAND ~狼煙を上げる刻~ Part.3

「さぁて、どうする? 拾った命をとっておくのか、それとも、まだやるかい?」


 魔物達にしてみれば、グリムはまさに仲間を殺した仇であるから、彼らが少なからず怒りを抱いているのは必然と言え、むしろ咆哮とあげて飛びかかるのが自然とさえ思える。

 しかしだ。魔物達は怖じけ、そして一歩さえ踏み出せずにいた。知能が低くとも、或いは理性が消失していようとも理解出来る事柄によって――。


 彼等に語りかけているのは本能である。


 もし仮に、いま立っている場より一歩でも前に出るのなら、それはつまり眼前に拡がる死体野原の一部になるのと同義で、目の前にいる人間は、きっと容易くその想像を現実の物とするであろうという直感。


 戦力差は数にして三千対二だったが、蓋を開けてみれば三千対一騎当千が二人という事態。

 いかに死を恐れぬ魔物といえども、進んで崖から飛ぶような無謀に挑むものは早々いない。


「最初に言った通り、メアに協力するなら斬りはしねえが、逃げようとするなら話は別だ。周りの村でも襲われたら堪らねえからな、動く奴は追って斬るぜ」


 グリムは自分の言い分だけを宣言すると、眼の光かたに注意しながら、動かずにいる魔物たちを見渡した。眼に闘志が残っていると馬鹿な真似をしかねないが、幸いなことに、もしくは賢いことに、彼等の瞳からは抵抗の意思が薄らいでいっていた。


「利口だな、メアが喜ぶだろうぜ」


 魔物たちの選択はきっと正しいが、誰しもが納得するものではなかった。特に、指揮官からすれば怒鳴り散らしたくなる状況だろう。


「フ、ザ、ケ、ル、ン、じゃねえブヒィッ! この腰抜け共が、ビビってねぇでそいつを挽肉にしてやるだブヒィ!」

「やる気があんならテメェで来たらどうだ? そんなに遠くちゃ棍棒は届かねえだろ」

「……まったくグリムよ、お主はつくづくケンカ腰じゃな」


 ふわりとグリムの横に舞い降りると、メアは呆れるような笑みを浮かべていた。


「しかしこやつの言うとおり、陣奥から吼えるばかりでは倒すべき敵に届きはせぬのじゃ」

「メア、そっちも片付いたのか」

「僅かにじゃが灼かずにすんだ同胞もいる。――さて、残るは貴様だけじゃハラガよ。すでに大勢は決したが、魔族の将であるならば示すべき事が残っておるじゃろう」

「ぶ、ぶひぃ…………」


 戦力の大半を失い、敗軍の将となったハラガ。悔しそうに豚鼻を鳴らす彼に残されている道は二つあった。


 それは逃げるか果てるかの二択であるが、メアは無言の内に『力を示せ』と強いている。平和的解決を蹴り、魔族の理を以て戦を始めたのならば、それに殉じる意気をみせろ。

 ハラガを見据える彼女の眼差しは少女らしからぬ力強さで、さながら魔族の矜恃を背負っているかのようであるが、残念なことに、ハラガにはその意気に応える肝が備わってはいなかったらしい。


 怖じけた鼻音を鳴らしたかと思えば、ハラガは騎乗している猪を反転。それこそ一目散に逃げるべく猪を急かすが、そうは問屋が卸さない。グリムの放った地を這う剣戟によって、猪の脚を斬られてしまえば、ハラガなすすべ無く地面に投げ出されるだけで、呻きながら顔を上げればより絶望的な光景が迫ってきていた。


 大剣担いだ人間と、獄炎を灯した魔王女


 この両名が横並びで歩み寄ってくる様は、敵にしてみれば悪夢以外のなにものでもない。


「おいおいおい、豚さんよぉ。俺は確かに言ったよな、逃げるつもりなら斬るってよ」

「生き残った部下を見捨ててまで遁走するとは、見下げ果てた男じゃな。貴様のような臆病者が魔王軍の将などと、妾は正直信じたくないのじゃ」

「二人がかりなんてひ、卑怯ブヒィよぉ……ッ!」


 まるで真綿で首を絞めるように距離を詰めてくるグリム達に、ハラガは震える声で訴えているが、そんなものに耳を貸すグリムではなく、彼はむしろ冗談だろうと笑い飛ばした。


「卑怯って……、千単位で嗾けといてよく言えるな。自分で言ってて恥ずかしくねえのか?」

「汚えブヒよ、人間のくせにそんなに強いなんてッ! それに姫様をたぶらかすなんて、お前こそ卑怯者ブヒィ!」

「……なぁメア。こいつ斬っていいか、斬っていいかこいつ」

「処刑の赦しを求めているなら妾の答えは否じゃ。どちらを取るかは、ハラガ自身に決めさせる。お主の気持ちは分かるがのう」

「それはそれは、魔王女様はお優しいこって」


 グリムの皮肉に笑みで返すと、メアは表情を引き締めてハラガを見下ろす。


「ではハラガよ、改めて尋ねるのじゃ。人魔の平和を叶える先駆けとなって妾の夢を叶えるために力を貸してくれるのか、或いは魔族の理に則って我らと戦い果てるのか。無理強いはせぬ、たとえどちらを選ぼうとも全力でお主に応えよう」

「…………そ、それなら」

「否定も肯定もせぬ、お主の心のままに決めるがよいのじゃ」


 まるで子供をあやすような、メアの声音はそんな柔らかさを孕んでいたがしかし、ハラガの選んだ行動には、流石に硬さを取り戻さずにはいられない。


「あ、あんたに、決闘を申し込むブヒぃ……」

「なんじゃと?」


 訝るメア。


 そして彼女を遮るように、グリムが馬鹿らしいと声を上げた。すでに九分九厘勝ちが決まっているのに決闘もクソもない。提案自体が馬鹿馬鹿しく、冗談としか聞こえない発言であるが、メアは緩やかな所作でもって、熱くなるグリム言葉をいさめたのだった。


「いやいやメア。お前正気か、今更決闘なんて受ける必要なんてねえだろ。戦うっていうなら、さっさと斬っちまえばいい」

「そう簡単にはいかぬ。一対一の決闘を申し込まれて、反故にしたとなれば魔族の名折れ。死ぬまで付きまとう恥となるのじゃ」

「……それも魔族のしきたり?」

「理解が早くて助かるのじゃ」


 そう言って向けられた笑みに、グリムは溜息を漏らすばかり。メアはすでに闘る気で、なにを言われようとも収まらないだろう。となれば彼に出来ることは、決闘がすみやかに済む事を願うくらいのものである


「はぁ~……。分かったよ、好きにしろ。どうせ手出し無用、そうなんだろ?」

「当然、決闘じゃからな」


 呆れかえるグリムが数歩下がり、変わって歩み出したメアは、優雅にだが油断なくハラガとの間合いを詰めていく。


「ハラガよ、約束してもらうのじゃ。妾が勝利したあかつきには武器を収め、人魔和平の先駆けとなって妾の夢のために尽力することを。そして問うのじゃ、お主が勝利した暁に、妾になにを臨むのか」

「んなの決まってるブヒィ……、あんたには、俺の奴隷になってもらうぶひぃ。どんな命令にも従う奴隷になってもらうブヒよぉ」

「いいじゃろう」


 下卑た笑みから告げられる条件を、だがメアはにべもなく飲みこんで両手に蒼い焔を灯す。

 するとハラガも、野太い棍棒を拾って立ち上がった。


 双方共に万端整い


 いまは静かな睨み合い



 ……先に仕掛けたのはハラガである


 攻めは簡潔な力押しで、手にした棍棒を矢鱈目ったら振り回すばかり。とはいえハラガには一軍を率いるだけの力があり、あの野太い棍棒の直撃を受ければゴーレムだって砕けるだろう。


 破壊力があることは、唸るような風切り音が教えている。しかし、どれほど強力な一撃であろうとも、あたらない限りは威力を発揮することは叶わない。


 ハラガは決して鈍くはなかった。むしろ図体の割にかなり素早いと言えるのだが、メアは軽い足取りで、その猛攻を躱し続けている。無駄の少ない体捌きには、観戦していたグリムも感心のあまり鼻を鳴らすほどだ。


 明らかにメアの動きがよくなっている。


 攻防の切り替えはまだまだ苦手な様子だが、どちらかに専念している限りは、かなりいい線までいっていた。敵のど真ん中で攻撃を躱し続けたあの時間は、確かにメアの力となっている様子で、成長した彼女に対して正面から、しかもサシの勝負で攻撃を当てるのはそう容易いことではない。


「ブヒィ……ッ! 逃げてばっかブヒィ、王女様は腰抜けみたいブヒィね」

「お主は強い。故に加減が難しいのじゃ、殺さず動きを止めるには」

「馬鹿にしてるブヒィか⁈ 俺様相手に手加減ブヒィッ⁈」

「嘗めてはおらぬ、ただ落とし所が異なるだけじゃ。妾にとっての決着は生死ではなく制すること、そこに全力を注いでいるのじゃ!」


 ハラガの大振り。

 その豪腕を避けたメアは二歩三歩と飛び下がって、魔法を放つに充分な間合いを作ると、同時に両手の獄炎を投げ放った。


 あの蒼炎に触れたら最後、焔はすべてを燃やし尽くす。蒼き獄炎は容赦を知らない魔法であるがしかし、これもまたハラガの強打と等しくあたらなければ用を成さないのである。


 一体、誰が予想しただろうか。一軍の将とはいっても魔王軍では末端の魔物。そのオークが、棍棒の一振りで魔王女の獄炎をかき消せるなんて――


「ほぅ、意外にやる……」


 これにはグリムも独りごち、だが変わらず静観の構えてでもって決闘を見守る。


「見たことない魔法だけど、大した事ないブヒィ!」

「ふむ、やはりお主は相当に強いようじゃな。いまの魔法は獄炎という、魔王の血筋によって伝わる特別な魔法なのじゃが、それをああも容易く払うとは」


 触れれば灰に変わるばかりの獄炎を、棍棒の風圧でかき消すなんて、そうそう出来るものではなく、メアも素直に感心していた。


「しかしこうなると困ったのう、お主を殺めず制するのは難儀しそうじゃ」

「ぶっひっひっひぃ~、俺様もひとつ分かったブヒよ」


 戦い方を思案するメアに向けて、だがハラガは汚い鼻を鳴らして笑う。口角から垂れた涎が、笑い声に合わせて揺れていた。


「よほど素晴らしい発見をしたとみえるが、一体なにが面白いのじゃ?」

「そんなの、お前に決まってるブヒィ」

「要領を得ぬな、妾がどうしたというのじゃ」

「お前、本当は弱いブヒィ」


 メアは、魔族の中ではかなり温厚な性格だと言えるし、実際にグリムもそう感じていた。冗談も解すユーモアを持ち、対話を望む理性だって持っているが、その種族が有する本質というのは存外に拭いがたく、思いがけず顔を覗かせる事がある。


 魔族にとって力こそ正義であれば、弱いと嘲笑われたメアが三白眼になるのも、まぁ無理からぬ反応である。


「……何を以て、そう断じたのかのう」

「お前の力は借り物、自分の力じゃないブヒィ。親父が強いからって粋がってるだけの雌ガキとおんなじ、それに決闘で魔法を使うなんて腰抜けがやることブヒィ。だぁ~れも認めねえブヒよ、そんなんじゃ。悔しかったら俺様を殴り倒してみるブヒねぇ~」


 個人が有する戦力とはつまり、その個人が有するすべてを指す。

 血筋も、技も、努力も賜りものも区別なく、自ら意図して扱えるのであれば、それは個人の実力、もしくは戦力と数えていいだろう。ましてや一対一の決闘という場面においては、持ちうるすべてをぶつけてこそ、戦いに意味が生じるはずだ。


 だからメアが魔王の血筋に伝わる獄炎を放とうと、それが卑怯のそしりを受ける理由にはならないし、むしろ全力を尽くしている点においては賞賛に値する。

 しかしグリムは、メアを卑怯者呼ばわりするハラガこそ、真の腰抜けだと呼ぶこともまた控えて、二人の戦いを眺めるだけだった。

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