第42話STAND ~狼煙を上げる刻~ Part.1

 さくりさくりと、彼女は草を踏んでいく


 一本角に緋色の瞳


 蒼い肌には黒いドレスを纏わせて


 魔族の姫は一人草原を進んでいた


 背後にあるのは高い壁


 その内に暮らす人間達を守るため


 同胞の軍勢と相対するために


 着実に迫っている魔王軍の足並みは地響きさながらの重さを伴って、メアの心身を奥底から震わせてくる。遠目からでも士気昂揚、彼等の戦意は漲っている様子である。


 だがその正面に、四つ足の魔物や巨大な熊の魔物、ゴブリンにコボルト、ワーウルフ、それらが集った三千からの獣魔族の軍勢に、メアは単身立ち塞がった。

 腕を組んだ仁王立ちは威風堂々たる姿であり、少女のあどけなさの代わりに魔王の風格を漂わせている。そして効果は確かにあったのだ。魔王軍は進行を止めて、突然立ち塞がった魔族の少女にがなりつける。


 声の主は、猪に跨がった巨漢のオークで呼吸の度になる豚鼻が耳障りだった。


「なんだ女! このハラガ様の邪魔をするとはいい度胸ブヒぃ!」

「威勢がいいのう、お主が部隊長じゃな?」

「偉そうなガキンチョだブヒィ、そういうお前は何者ブヒか」


 案の定顔さえ知られていなかったが、メアは立派に胸を張り猪上のハラガに向けて言い放つ。応じようが応じまいが、とにかく言葉にしなければ始まらないのだ。


「妾は魔王ディアプレドが娘、ミィトメア・ディアプレドである。後ろに見えるアヴァロン王国と、人魔戦争の平和的解決に向けて前向きな検討を進めているところじゃ」

「……お前が、魔王様の娘、ぶひぃ?」

「そうじゃ。しかし妾の姿を知っているのは父上の配下でもごく僅か、魔王城に詰めている者と上級魔族に限られておるから知らなくて当然じゃ。故に先程の無礼を咎めるつもりは――」


 と、メアが赦しを与えようとしたところで、下品な嗤い声が彼女の言葉を遮った。癪に障る豚嗤いの主は、言うまでもなく部隊長ハラガのものである。


「ブッヒヒヒ、こいつは最高ブヒィ! 城を落とすついでに、魔王の娘まで手入れられるなんて、ラッキーすぎて堪らねえブヒよぉ⁈」

「……ハラガと申したな? お主、妾の言葉をどれくらい理解しているのじゃ」

「ぶひぃ。魔王の娘ってだけで充分ブヒ。お前も運がいいブヒよ、なんたって獣魔軍最強の隊長、このハラガ様の女になれるブヒィ。貧相な身体だけども、顔はいいから可愛がってやるブヒよぉ~」


 得意絶頂のハラガに対して、メアが浮かべるのは嫌悪ばかり。あまりの低脳さに歯ぎしりしたくなるところだがしかし、彼女は努めて冷静に言葉を紡ぎ続けるのだった。

 まずは説得すると、そう決めて赴いたのだから。


「よいかハラガよ、二度は繰り返さぬからよく聞くのじゃ。兵に武器を捨てさせ、攻撃の意思を収めよ。いま、この世界オーリアには未曾有の危機が襲来しており、同じ世界で暮らす者同士で争っている時ではない。そしてアヴァロン王国との和平交渉は、すべての人魔戦争を終わらせるきっかけとなる重要なもの、この機を逃せば我らは互いの絶滅まで続く無益な戦を続けることとなり、それ以前に新たな危機によって世界そのものが滅びかねない存続の瀬戸際にある。どうか妾とともに平和の先駆けとなり、人間と手を取り合ってもらいたい。これは魔王女である、妾からの頼みじゃ」


 メアは命令とはしなかった。


 命令とは上位から下位へと下されるもので、魔族における序列とはすなわち力の大小によって決まっている。それは従えている配下の数であり、殺した敵の数であり、そして個人の力であるから、彼女は敢えて上からの物言いを避けたのだった。


「どうじゃハラガよ、妾の頼みを聞き入れてくれるか」

「ぶひぃ~、もちろんブヒ。王女様の言いたいことはよぉ~く分かったブヒぃ」


 メアの選択には、自ら歩み寄ってもらいたいという儚い希望も込められていたのだが、そう易々と叶わないからこそ『儚い』と呼ぶのである。

 にちゃりと歪んだハラガの汚い笑みによって、メアの希望は簡単に汚された。


「つまりあんたは魔族を裏切ったんだブヒィ!」

「そうとられても致し方ないが、平和を望んでいるのも、危機が迫っているのも本当じゃ! 人魔で争っている時ではない、矛を収めよ、ハラガ!」

「裏切り者の命令なんて聞くわけないブヒ! 言い訳なら人間共をぶっ殺したあと、城のベッドで聞いてやるブヒよォ!」


 ハラガが号令を下せば先頭の魔物達が一斉に襲いかかり、同時にメアは両手に蒼炎を焚いて大きく飛び下がった。


 毛皮のドレスを翻す彼女が奥歯で硬く噛みしめるのは、自らの無力と彼等の浅はかさ。口火を切ってしまったのなら、有無を言わさずやるしかない。

 戦闘に備えて距離を保っていておかげでメアには迎撃の間が与えられていたが、そんなもの百近い魔物が寄せてくれば無いも同然。魔法を主軸として戦う彼女にとって交戦距離はそのまま生命線であるのだが、いとも容易く接近されてしまう。


 獄炎と爆発魔法で魔物の数を減らしても、倒れた味方を乗り越えて次から次に詰め寄られては、いかな彼女でも防ぎようがなかった。


「くッ……、ハラガ、攻撃を止めさせるのじゃッ! これほどに無駄な戦いがあるものか!」

「死ぬのがイヤなら大人しく捕まればいいブヒ」

「妾の生死など問題ではないと、何故分からぬのじゃ!」

「殺すんじゃないブヒィよ~。生け捕りにした奴は、俺様の後で楽しませてやるブヒィ」

「聞く耳もたぬか、痴れ者め!」


 好き勝手に襲いかかってくる同胞の爪を牙を、メアは懸命に躱し続けた。それはただ逃げ回っているようにしか見えない、いっそ戦いの光景としては無様で情けない姿であったかも知れないがしかし、彼女の選択は正しいといえる。


 多勢に無勢。しかも攻撃は正面左右、上下から息つく間もなく仕掛けられているから、一つでも受け止めようと足を止めれば力の濁流に呑み込まれることになる。圧倒的な流れに呑まれないようにするコツの一つは流れに逆らわないこと、もっと言うなら流れに乗ることが大切だ。


 押されたならばその分だけ下がり、受け止めたくなる攻撃も身を翻して対処。反撃は間隙を縫っての最小限に留め、攻撃するよりも攻撃を受けないことに重点を置く。


 攻撃か防御。


 どちらかだけに集中しろといったグリムの助言をメアは確かに覚えていて、そして確実に実行していた。元々メアの身体能力は魔族の中でも高く、だからこそ接近戦を苦手とする彼女であっても、攻防を切り替えて集中することで開戦から十分経っても、いまだ一撃さえ受けずに戦い続けている。


 しかし、だ――


 どれだけ巧みに流れに乗ろうとも、それだけではいつかは呑み込まれるのが常である。波乗り人が捲いた高波に沈むように、鉄砲水から走って逃げ切れないように、流れと同じ方向へと進むだけではいつか必ず捕まるもので、メアもまたその例に漏れなかった。


 綻びはそう、ほんの些細な事だった。

 爆発魔法で吹き飛んだ魔物の腕、その残骸に足を取られたことである。後ろ向きに移動し続けていたメアはよろめて、倒れないように手を付いた。


 上体はのけぞり、重心は後ろと完全なる死に体。


 こうなってしまうとメアの体捌きでは素早い動きなど出来るはずもなく、魔物達にしてみれば絶好の機会となり、巨大熊が放とうとしてる大振りの一撃だって躱せやしない。

 だからメアは、せめて直撃だけは防ごうと腕を上げて備えていたのだが、いくら硬く身構えていても襲ってくるはずの衝撃はいつまでたっても伝わってこず、恐る恐る視線を向けた彼女は別の意味で驚くことになった。


 攻撃が来ないはずである。なにしろ腕を振り上げていた巨大熊の側頭部には黒銀色の大剣が突き刺さっているのだから。


「アレは……」


 深紅の魔法石が埋め込まれた黒ミスリル製の大剣は、見紛うことなきグリムの剣だが持ち主の姿が見当たらない。――と、メアが思った次の瞬間だ。どこからともなく、まるで攻城弩砲バリスタで撃ち出された弓矢さながらに飛び込んできたグリムが、熊の頭部から大剣を引き抜いてメアの隣に着地したのである。


「グ、グリム、お主――」

「――頭下げてろ」


 言うが早く振るわれた刀身は地面を抉って振り抜かれ、横凪ぎに放たれた斬撃でもって周囲にいた魔物達の胴を二つに割って肉塊へと変えた。

「地奔一閃・鎌鼬かまいたち。……うーん、まだ少し調子出ねえな」


 本調子から遠いとは信じ難い一撃だったが、グリムは一瞬にして血の海に変わった草原で不満げに嘯くと、まだ転んだままのメアに手を差し伸べる。


「わるい、待たせたか?」


 勿論、彼は悪びれていなかったし、なんならその表情は笑みさえも湛えていたという。

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