第17話BLUE ON BLUE ~敵対行動~ Part.5

「まったく、運が良かったぜ」


 ガタガタと音を立てる薪積みの馬車。

 御者席で手綱を握るグリムは、呆れかえった呟きを荷台へ向けて漏らしていた。


「馬と馬車を無くしたなんてなったら、弁償なんてできやしねえからな。何日留まって恩返しする羽目になったか分かったもんじゃねえ」

「お主もしつこい男じゃな、老いて尚、賢き馬のおかげで馬車も無事に回収できたのだし掘り返す必要もなかろう。それに、火急であったことを鑑(かんが)みれば、文句よりもまず、妾の判断を認めるべきだと思うのじゃがな」


 メアはそう返しながら、膝枕しているホリィを撫でた。傷はグリムの回復魔法のおかげですっかり塞がっており、多少コブになってはいるが、ゴブリンに頭を殴られたにしては軽傷といえる。服が血を吸っていることを除けば、うたた寝しているようにしか見えないだろう。


「のうグリムよ、もうすこし丁寧に進めぬのか? ホリィが起きてしまうじゃろ」

「これ以上遅くしたら、カタツムリにも抜かれるぞ。坂道はゆっくり進む方が辛いんだ、老馬に無理難題をしつけるなよ」


 緩くても上り坂だし、荷は重い。多少慣らされてはいても地面は凸凹だ、一度止まれば動き出すのが難しいので、正直、老馬の好きに登らせてやった方がいい。

 なので、そのままガタゴト馬車に揺られていると、坂のうえに村のアーチが覗き始める。いまのペースで進んでいけば、十分くらいで着くだろうか。


 グリムがそんなことを考えていると、沈黙を破ったメアがおずおずと尋ねた。声こそかけてはいるが、彼女の視線はホリィの寝顔に注がれたままである。


「……訊かぬのか? グリムよ」

「…………」


 その質問の意図を、グリムはずばり理解していた。

 ホリィがゴブリンに襲われたことも、その最中に飛び込んだメアが彼女を助けたことも、彼は道中で聞いていた。メアと別れていた間に、彼女が遭遇し、彼女が起こした出来事はグリムも全て知っていた。ただ一つ、メアの選択を除いては――


「訊いてどうなる? 何かが変わるのか」

「分からぬ。じゃが、尋ねられぬのもまた収まりが悪いのじゃ」


 つまり、それは訊いてくれということだ。なのでグリムは、彼女が望んだ問いをする。


「ゴブリン共は殺したのか?」

「…………いいや、彼奴等は、逃げたのじゃ」


 メアはホリィの頭を撫でていたが、偽りの姿、偽りの手で傷ついた少女を労っていると、先程の返事さえも偽りなのではないかと思えてくる。


 ゴブリン達が逃げたのか


 それともゴブリン達を逃がしたのか


 取り方一つで大きく変わる事象を胸に詰まらせているメアは、視線を感じてそちらを向いた。

 そこにあるのは、肩越しに様子を覗っているグリムの鳶色をした瞳。じぃっと、まるで真意を見透かそうとしているような眼差しに、メアからは細い吐息が漏れていた。


 ――疑われているのだろうか。それとも、結局は魔族なのだと蔑んでいるのだろうか。


 視線が交わる数瞬の間に、メアの頭には多くの不安がよぎっていたし、そう取られても仕方の無い状況であることは彼女も理解していた。だからこそ、再び問われたのであれば詳細までも順序立てて話し、その上で再考しようと決意していたのだが……


 グリムはもう一度問うことはせず、何度か小さく頷くと「そうか」とだけ言って前を向いた。しかし、彼の首肯の意味を察しきれずにいたメアは、むしろやきもきするばかりで、意図を確かめようと言葉を探す。


 だが、結局、彼女がグリムへと尋ねる機会は失われた。意識を取り戻したホリィが、ぼんやりと開けた眼で、彼女のことを見上げていたから。


「うぅ、ん……、メア、おねえ、ちゃん…………?」

「これこれ、動くでないのじゃ」


 身体を起こそうとしたホリィをやんわりたしなめるメア、彼女の手は依然として少女の頭を撫でていた。


だいないとはいえ怪我人なのだから大人しく寝ているのじゃ、じきに村に着く」

「ケガ…………?」


 意識は戻ってもすぐに記憶が戻るとは限らない。特に頭部に強い衝撃を受けたりすると、気を失う直前の記憶が曖昧なることも珍しくなく、ホリィもご多分に漏れず、何が起きたのか思い出そうとして、ぼんやり視線を彷徨わせていた。


 そして――


「魔物ッ! そうだ、わたし魔物に……ッ!」

「案ずるな、ここにお主を傷つける者はいないのじゃ」


 今度こそホリィは飛び起きたが、あくまで優しい口調のままにメアは再び彼女に膝を貸す。ちょいとばかし過保護な気もしなくはないが、怪我人相手ならばむしろ適当かも知れない。その証拠に、もう一度横になったホリィは、落ち着きを取り戻していたようだった。彼女はメアを見上げながらおずおずと尋ねる。


「ねえねえ、おねえちゃんが助けてくれたの?」

「のじゃ?」


 すんなり頷けば済む話しなのに、今度はメアが視線を彷徨わせる番だった。ホリィの窮地を救ったのは確かでも、あくまでメアの働きは半分といったところ。傷の手当てをしたのはグリムだったし、なによりも彼女には胸を張って「そうだ」と言える自信が無かったのだ。


 ゴブリン達を逃がしたことが、明らかに尾を引いていた。


「……メアおねえちゃん、どうしたの?」

「あ、うむ……、何と言うべきか、妾は、そのじゃな……」

「メアの手柄だ」


 本人が良いあぐねていると、みかねたグリムが口を挟んだ。

 詳細がどうであれ、メアがホリィを救ったのは事実だし、傷の手当て云々なんてのは、まずメアの行動がなければ起きえなかったこと。そこは疑いようがないのだから堂々としていろと、まるでグリムは言いたげだった。


「薪を運んでる最中に気付いたんだと、メアがいなけりゃどうなってか」

「まぁ、そうなのじゃが……」

「ホリィ、礼言っとけよ。命の恩人なんだからな」

「うん。――助けてくれてありがとう、メアおねえちゃん」


 そう口にしたホリィの笑顔は弱々しくも眩しくて、沈みかけていたメアでさえ思わず笑みを返したほど。だがしかし、続く少女の問いがメアの表情をすぐに曇らせることになる。

 ホリィは間違いなく感謝していたし、メアに懐いてもいたのだが、彼女にとってこの問いは、非常に重い意味を持っているのである。魔物に家族を殺されていることを考えれば、いかに少女であっても恨みを抱くのが自然というもの。


「ねえ、メアおねえちゃん。魔物はどうなったの?」

「……え?」

やっつけてくれたの・・・・・・・・・?」


 メアは答えあぐねる。

 グリムに応えたときとはまた違う思いが沸き立ち、彼女の口を重くしていた。

 なによりもホリィの眼差しが問題だ、快晴さながらに輝いていた少女の顔には、先程までの明るさが嘘のように影が差している。そこに抱えている魔族・魔物へと向けた憎悪は改めて確かめるまでもない。


「ねえ、メアおねえちゃん。やっつけてくれたの?」

「いや、命を奪うまでは……」

「どうして?」


 またしてもメアは言葉に詰まり、ここに至った彼女は気が付いた。膝の上で横になっている年端もいかない人間の少女、その内にある憎悪に気圧されていることに。


「な、何故かと問われても、妾は、ただ……」

「お前を助けるために決まってんだろ、ホリィ」


 グリムは依然として前を向いたままであるが、その意思はホリィの額をぴしゃりと叩いていた。叱りつけるような硬い声音で彼は続ける。


「逃げるゴブリンと、怪我した友達。どっちを選ぶかって話で、メアはお前を助けることを選んだんだ、友達の方が大事だから」

「……でも!」

「魔物が憎いのは俺も同じだが、メアに八つ当たりするのは違う、だろ?」


 物静かでも圧は強く、そして込められている理屈は幼いホリィを宥めるのにも十分な利が含まれていた。グリムが語ったのはたったこれだけであったが、その裏にある深い記憶を想像させるのに十分な重さを孕んでいる。


 彼は剣士だ。魔族と戦い、魔族を殺し、そして魔族によって奪われてきた者。戦の場で、或いは旅路の途中で、ホリィと似たような事態に陥ったこともあるだろう。

 無論、幼いホリィにその全てを想像し、察することなどできはしなかったが、それでも、自分がメアにぶつけている感情が、あまりにも我が儘なのだと理解することは出来ていた。


 だからだろうか。村に戻るまでの間、誰一人として口を利くことはなく、青い顔して出迎えたじいさんに事情を説明している時も、そしてまたしても感謝の夕餉をいただいている間も、メアは口を結んでままであった。


 わだかまりは残っている。しかし、望んだときにその解決を模索できるとも限らないわけで、彼女がようやく言葉を発したのは、仮宿に戻ってからのことだ。

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