第16話BLUE ON BLUE ~敵対行動~ Part.4
血塗れの少女を抱いてメアは走った。
馬車を置き捨て、魔族の姿でもって全力で地を蹴る。老いた馬よりも速力は早く、機敏な駆け姿はいっそ黒い残像としか写らないほどだ。
息を切らしての疾駆、そうして
「グリム……ッ!」
倒れた立木がいくつもあるが彼の姿が見当たらず、近くに居るはずだとメアが張り上げる声は、焦りと恐れに震えていた。
「グリムよ、何処じゃ! 何処におるのじゃッ⁈」
木々の隙間、岩の影、その何処かからグリムが現れることを願いながら、メアは首を回していた。立ち止まり、悠長している時間が惜しいというのに、グリムは一体どこに消えたのかと考えた矢先だ。
ガサガサ、と葉擦れ
走り寄るメア
「グリムッ!」
「喧しいな、なんの
二人の有り様を認めたグリムは続く言葉を呑み込んだ。
冷や汗で濡れたメア
血塗れのままで身じろぎ一つしないホリィ
二人の身になにが起きたのか気になると所ではあるが、しかしグリムは仔細を尋ねるより先に行動を起こしていた。
「落ち着けメア、此所に寝かせろ」
木にかけていたコートを地面に敷くと、グリムは冷静に指示を出す。
だが、落ちついているグリムに対して、メアはホリィを寝かせた後もパニクったままだった。
「ホ、ホリィは平気か⁈ のうグリム、助かるじゃろッ⁈」
「静かにしてろ」
グリムは片手で傷口を覆うと、空いている手でホリィの身体を撫でていた。それはまだ膨らみ乏しい胸部に始まり、脇に触れ腹部へと下っていく。その一見すればふしだらとも取れる彼の手つきに、思わずメアは遮ろうかと口を開きかけたのだが、瞼を閉じたグリムの真剣な表情に言葉を呑み込んだ。
なによりも、驚きが先行していたのかもしれない。彼女が見つめているのは、ぼんやりと温かな光を放っているグリムの両掌、そこに生じている魔法は明らかに――
「回復魔法……」
「傷は頭だけか。内臓が無事なのは幸いだな」
「では、助かるのじゃな⁈ 妾にできることはあるか、グリムよ」
細く目を開けて、グリムは渋面になる。
正直なところ、この場においてメアに期待できることも出来ることもないのだが、このまま黙って気を揉ませるくらいならば、手を動かさせてやった方が良い。
「メア、川から水を汲んできてくれ。水筒ならそこにある」
「う、うむ! 水じゃな、任せるのじゃッ!」
すぐさまメアは水筒を引っ掴んで川へ向かって走り出す。慌てていても変化することは覚えていたらしいが、慌てているから詰めが甘い。
「おい、尻尾が出てるぞ」
「問題ないのじゃ」
駆けながら変化を完璧なものとし、メアは川へと向かっていく。不慣れな人の姿では時間が掛かるところだが、彼女が十分足らずで水を汲んで二人の所へ戻ってくると、どっと疲れた顔をしたグリムが地面に座り込んでいた。
明らかに血色の悪い彼の表情に、メアの背筋が寒くなる。それは毒沼の上に赤い月が昇っているのを眺めるのに似た不穏さで、尋ねる彼女の声は明らかな緊張を孕んでいる。
「グリムよ……、ホリィは、助かったのじゃよな……?」
震える声で尋ねても、グリムはだがぼやけた眼で地面を見つめるばかりだった。
「グリムよ! 聞こえておるのじゃろう⁈」
「あ、あぁ……」
「……どこか悪いのか、お主も顔色が優れぬようじゃが」
「疲れがたまってるだけだ、大した事ねえよ」
目頭を揉んでいるグリムの返事は気もそぞろ、しかし彼はやるべき事はやっていた。
「とにかく頭の傷は塞いだ。コブはしばらく残るだろうが、まぁすぐに治るだろ」
「……では、安心して良いのじゃな?」
「そもそも、命に関わるような傷じゃなかったのさ。つっても、頭の傷は浅くても派手に血が出るからな、お前が焦るのも無理はねえよ」
「べ、別に慌ててなどいないのじゃ……!」
「そうか? ケツに火が付いてるような走りっぷりだったぞ」
にへら、とグリムが笑うのでメアは唇をきつく結ぶ。しかしやはり、血色の悪い彼の表情を目の当たりにしているせいか、反論する気は削がれていた。
「……それで? 汲んできた水はどうするのじゃ」
「血、拭いてやれよ。傷塞いでも血塗れのままじゃ可哀想だろ」
「一理ある、お主にも情はあるのじゃな」
促されるままにメアはタオルを濡らして、ホリィの顔を綺麗に拭ってやる。流石に服に染みこんだ血はどうしようもなかったが、それでも大分マシになったと言えるだろう。少なくとも顔の左半分が赤くなっているよりは、確実にいい。
そうして水筒を空にした頃、メアは血染めのタオルを絞りながら尋ねる。
「して……、この後はどうするのじゃ? 村へと戻るのか?」
「ああ、一度引き上げよう。ホリィ転がしたまま木を伐《こ》るわけにもいかねぇしな」
そう言いながら、グリムは揺らさないよう慎重にホリィの身体を抱きかかえる。背中に大剣を背負っているのに、器用に身体を捌くものだと感心しながらメアは眺めていたのだが、不意に向けられた質問に、思わず固まってしまうのだった。
「――ところでよ、メア」
「む、どうしたのじゃ? なにか忘れ物か?」
「そうじゃなくて……、いや、ある意味忘れ物なんだが……。お前、馬車はどうした?」
「馬車?」
しばらく怪訝な顔で見返していたメアだったが、思い出した彼女は王女らしからぬ間抜けさで、ポカンと口を開けていた。
「…………あ」
そう。彼女が乗っていった馬車は、道の途中に置いてきたままである。
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