第15話BLUE ON BLUE ~敵対行動~ Part.3

 魔物に引かせる魔族の馬車に比べれば、人間達が重用する馬はとても素直であって、メアは大して難儀することなく手綱を操っていたが、彼女はいまだふくれっ面のままである。しかし村へと続く道のりを御者席で揺られていると、振動に溶かされていくようにして、いつの間にやら健やかな笑顔がその口元に浮かんできていた。


 言いたいことを言って、言いたいことを言われる。


 魔王女として育てられてきたメアには、従者は多くても友と呼べる者は少なかったので、そんな至極当たり前のやりとりをしたのは久しぶりの事だった。

 思い通りになってくれない他者の存在、その理不尽さと同居している温もり。ましてや人魔の線を越えた相手と、そのような関係を築けるなんて、冷静になってみればみるほど、なんと素晴らしいことかと思えてくる。


 だからこそ彼女は、荷降ろし素早く済ませて、グリムを驚かせてやろうと考えていたのだが、村へと続く坂道の下で、はたと馬車を止めることになる。


「あれは……?」


 訝るメアの視線の先には真っ赤なリボンが落ちていた。

 あれが誰の持ち物であるかは悩む必要すらないくらいだ、村の中でリボンを付けている人間は一人きりなのだから。


「ふぅむ、やはりホリィが身につけていたリボンじゃ……」


 馬車を降りてリボンを拾い上げたメアは、周囲にホリィの姿を探すが見当たらない。村までは一本道であるから行き違いになるということも考えにくい、であれば、きっと木の実を取りに森の中に入っているのだろう。


 そう思い、彼女は気軽にホリィを呼びながら近場の藪の影を覗いてみるが、偶然見つけたある物によって、背筋に悪寒が奔るのを感じる。


 そこにあったのは壊れたバスケットと、踏みつぶされた大麦パン


 なにか悪い事が起きたのは明白で、更に尚悪い事に、メアはそこら中に残されている小さな足跡に見覚えがあった。


「これは、ゴブリンの……」


 魔王軍の中で最も多い魔物の一種であるゴブリン。

 知能が低く、数を頼った戦いに用いられる彼らだが、自身よりも弱い相手に対しては滅法強く、凶暴である。しかし、彼らの最たる強みは戦いによって発揮される力ではない、魔王軍において重要視されているのは、その異常なまでの繁殖力の高さ。他種族であろうとも孕ませ、新たな子孫を生ませる異常性は、魔王軍の数を補う点において重要な役割を負っていた。


 ……故にである、メアが感じる不安はとてつもなく大きな物であった。


「ホリィ! どこにおるのじゃ、返事をせいッ!」


 とにかく足跡を辿りながら、あらん限りの声を張る。ゴブリン達の習性を知っているだけに時間が惜しく、メアは何度も何度も呼びかけ続けた。木々に視界を遮られても声ならば通る、せめて返事の一つでもあれば場所が分かると祈りながら――


 すると、どこからか微かな悲鳴が聞こえてきた。

 その悲鳴は短く、木々に揉まれて弱くなっていたが方向を知るには十分で、メアは脇目も振らずに駆けだしている。悲鳴が上がったのならばまだ間に合う、そう願いながら草木を掻き分けていけば、しかして彼女の願いは半分通じていた。


 少し開けた場所に飛び出せば、三匹のゴブリンの姿

 そして頭から血を流して倒れているホリィがいた


「そこまでじゃ!」


 ホリィの脚を掴もうとしているゴブリンの手を払い、メアは彼らの前に割って入る。その行動には理屈などなく、ただ感情に突き動かされるがまま、身体が勝手に動いていたと評するのが正しいだろう。


「め、あ……おねえ、ちゃん……?」

「案ずるでない、ホリィ。すぐに助けてやるのじゃ」


 肩越しにメアが応えてやると、ホリィは静かに瞼を閉じる。安堵なのか傷のせいなのか、とにかく彼女は意識を失ったらしい。

 代わりに一段鋭くなったメアの眼光は、前に立つゴブリン達へと向けられる。


「貴様等の行いを妾は許せぬ」


 人間の姿をしたメアが発する、その常軌を逸した威圧感にゴブリン達は怖じけているのか、興奮しているのか。とにかく奴らはギャアギャアとした鳴き声で会話していた。


「……すまぬが、貴様等の言葉を妾は解せぬ。じゃが、妾の言葉は分かるじゃろう? 妾は貴様等を許せぬが、貴様等を裁く資格を妾は持たぬ。故に、大人しく立ち去るのであれば追いはすまい。今後、人間に危害を加えずに過ごすことを誓うのならば、此度の行いも許すのじゃ」


 ギャアギャアと鳴き声

 そして顔を見合わせたゴブリン達は、手にした棍棒を強く握ると前傾姿勢を取る


「……戦う、つもりか? では、これならばどうじゃ」


 メアが顔の前で手を振ると、その表情が一変した。

 肌は青に染まり、垂れた前髪は一本角へと。


 黒い模様で縁取られた顔つきは明らかに魔族のそれであり、変化を解いたメアの顔は、脆弱な人間から、ゴブリン達にとって服従すべき存在へと変わった。


「妾はミィトメア・ディアプレド。魔王ディアプレドの娘、魔王女である。妾の姿は知らずとも、この魔力で理解は出来よう。貴様達は、主たる魔王の娘に向けて弓を引くか」


 ホリィに正体を知られる危険を冒したうえでメアが変化を解いたのは、この姿を見ればゴブリン達が従うと考えてのこと。万事うまく回ればこれ以上の流血なく、穏便に事態を収められると期待しての行動だったが、彼女の期待はゴブリン達の本能によって露と消えた。


 雌とみれば、他種族だろうと犯さずにはいられない繁殖欲、ましてや上位種である魔族の若い雌ともなれば、ゴブリン達にとってはイチモツをおっ立てるのにこれ以上の相手はいないといった具合だ。


 魔族、そして魔物にとっては力こそが全てであり、その他の価値観は大した意味を持たない。

つまり下位種である魔物であっても、魔族を力で制すれば何をしても許されるのだ。

 魔に属する者にとっては、有形無形を問わず奪い取った者が正義と呼ぶに相応しく、ゴブリン達は、知らず刻み込まれている本能に従って、棍棒を振りかざし突撃をはじめ――


「このォ……痴れ者共がァッ!」


 怒気を吐き出すメアが手を振り下ろせば、ゴブリン達の正面で爆発が起きる。

 その爆炎は直撃こそしなかったものの、彼らが数秒後に踏んでいた地面を爆ぜ消し、蒼い残り火で爆心地の縁をチロチロと焼いている。


 メアが放った爆発魔法は範囲こそ控えめであったが、一瞬のうちに抉った地面の深さが殺傷力の強さを示していた。直撃すればゴブリンの肉体など粉微塵、万に一つも助かりはしないという現実は、いかに愚かな頭であっても理解できたようで、ゴブリン達はすっかり尻込みしている。


 粉塵越しにメアが口を開かなければ、彼らはその場で漏らしていただろう。


「此度の狼藉には目を瞑ってやるのじゃ。早々にね、続けるのであれば命の保証はせぬぞ」


 鋭利な紅の三白眼。

 幼い外見に反したメアの威圧感は、紛れもなく魔王の血を引く者のそれ。

 本能によって前へと出る者を退かせるのもまた本能で、ゴブリン達は圧倒的強者を敵に回した恐怖から、我先にと木々の隙間へ逃げていく。


 粉塵がすっかり収まる頃には、彼らが森を逃げていく雑音さえも聞こえなくなっていた。

 ただし、騒々しさは残っている。

 すぐさまホリィを抱きかかえたメアが、蒼い顔をさらに蒼くして森の中を駆け戻っていた。

 彼女の腕の中で、ホリィはぐったりしたまま動かない。綺麗な髪は出血でぬめり、いくら呼びかけても、僅かな反応さえ示さなかった。


――妾は、どうすればよいのじゃ⁈


 馬車の所まで戻ったメアは左右に伸びた道の先を見る。急に飛び出してきた魔族の姿に、馬が嘶き声を上げているが、彼女は一切意に介さない。


 右へ行けば村がある


 左に行けばグリムが居る


 腕を濡らす血の温度


 腕に抱く少女の細い呼吸


 冷や汗と動悸が収まらない


 右か左か、村かグリムか


 逡巡しゅんじゅんしている時間が惜しく、メアは意を決して走り出していた。

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