第18話BLUE ON BLUE ~敵対行動~ Part.6

「結~局、夜じゃねえか」


 仮宿に戻るなり装備を外したグリムは、長椅子に腰掛けてぼやいた。昼に出立する予定が崩れに崩れ、結局また一夜をこの村で過ごすことになっているのだから、そりゃあぼやきの一つも出るというもので、ランプの滲む光の向こうで変化を解いたメアに向けて彼は続ける。


「明日は陽が昇るまえに発つからな、そのつもりでいろよ」

「…………」

「おい、メア。聞いてるのか?」

「今日の事はすまなかったのじゃ、グリムよ。お主には迷惑をかけた」


 明日の予定を決めている最中に唐突な詫びをされれば胡乱な顔にもなり、ぽかんと開いたグリムの口が締まりを取り戻すのには、少しばかり時間が掛かっていた。


「……魔王女様ともあろう者が殊勝だな、いきなりどうした?」

「本来ならばとうに村を離れ、王都へと向かっていたじゃろ。使命があるとのたまっておきながら、妾の行いは目的に反している。お主が申した通り、意固地にならず早々に発つべき――」

「――ホリィが言ってたこと気にしてんのか」


 確信を持ったグリムに遮られ、メアは驚きのうちに顔を伏せた。

 自覚はあっても、他人から指摘されると堪える物がある。


「寒気がしたのじゃ。ホリィは、あのゴブリン達の死を望んでいたじゃろ……」

「両親と姉貴を殺されてるんだ。魔物を憎んでて、なにが不思議だよ」

「逆じゃ、グリムよ。当然だから怖かったのじゃ。魔物の死を願った眼差しは、つまり妾に向けられたものじゃろう」


 魔物とは魔族に使役される動物、或いは知能が低かったり力の弱い魔族を指す言葉だ。つまり大別すれば、魔物も魔族も人外であり、人類の敵という同じくくりに含まれる。だが……


「今更だな。どんな感情があるかなんて分かりきってただろ」

「頭では理解していた。じゃが、実際に目の当たりにしてみると、やはり恐怖を感じてしまう」

「拒絶に?」

「それもあるが、なによりも妾自身の立ち位置にじゃ」


 メアはようやく顔を上げてグリムを見た、不安そうな表情で――


「ゴブリン達は逃げた、とお主に伝えたな? あの言葉が正しいのかどうか、妾自身が疑っているのじゃ。追撃を行おうと思えばきっと出来たはずじゃが、妾はそうはしなかった。であれば、彼奴等が逃げたのではなく、妾が彼奴等を逃がしたことになるのでないのか」


 メアの説明は、まぁ納得がいくところで、わざわざ否定してやる要素も理由も少ないのだろう。しかし、唇を尖らせて顎を掻いているグリムは、また別の見方でもって彼女の行動を見直していた。


「故意に逃がしたのかどうか。その場にいなかった俺には判断できねえけど、お前はホリィを助けることを優先しただけなんじゃねえのか?」

「妾もそう信じたいが自信が無いのじゃ。肯定できればどんなに楽じゃろう……」

「赦しが欲しくても、俺は出せねえぞ」


 疲れた声で、だが確実に突き放すように言われたメアは大きく目を見開いていた。

 自責や後悔、その他自らの行いに起因する悩み事は、結局のところ、最後には自分で自分を納得させるしかなく、そしてそれは他者に慰めてもらうものではない。


 彼女が吐露した心情は、つまるところ慰めを乞い願う甘えた告白でしかないのだが、メアの年齢を考えれば、むしろ彼女は強すぎるくらいだろう。ただし、お前は悪くないと浅はかな肯定を口にするのも躊躇われたグリムは、もしかの話をメアに語る。


「仮に――、仮に相手が人間で、そいつらが知り合いの魔族を襲っていて、俺がその魔族を庇うことになったなら、俺もきっと、お前と同じ選択をするだろうな」

「……それは何故じゃ?」

「ダチが怪我してるなら、連中にかまけるより先にやることがある。お前はゴブリンを逃がしたことを気にしてるようだが、大事なのはそこじゃねえんだよ」


 つまるところ二者択一の中でなにを取るかって問題で、その場にあってホリィを救うことを選んだメアの選択を否定するなど、誰が出来るだろうか。

 しかもそれは、きっと容易い選択ではない。仮にグリムが同じ状況にあったとてしも、自らの言葉の通りに行動できるかは、正直なところ四分六だ。


 間違いなく、躊躇いは生まれる。


 しかし、メアは身体を張ってホリィを守り切ってみせたのだ。ならば彼女に、この魔王女に僅かながらも尊敬の念を抱いてしまうことは、果たして人間に対する裏切りなのだろうか?

 だが、グリムが自らの立場に悩んでいるなど露ほども知らないメアは、まったく別の言葉によって、微笑みを浮かべているのだった。


「友、か……。良い言葉じゃな、やはり……」

「……なにか言ったか?」

「いいや、なんでもないのじゃ」


 感謝も尊敬も湧いていたが何故だか急に気恥ずかしくなり、口に出そうになった勇者という言葉を呑み込んだメアは、微笑むだけにとどめて水を貯めた桶を持ち上げる。

 それは仮宿に戻るまえに汲んできた水なのだが――


「何に使うつもりなんだ? つぅか、何をしようとしてるんだ?」


 思わずグリムは、不思議そうに問いかけていた。

 メアは水桶を抱えたままで台所を観察しているから、竈(かまど)を使ってあの水をどうにかしたいことまでは分かるが、じいさんに夕餉を御馳走になった後に料理をするわけでもないだろう。


「今日は色々あったじゃろ? 汗もかいてしもうたし、就寝前に身を清めたいのじゃが……」

「身を清めるってのは、なんだか魔族に似合わねえ言葉だな」

「魔族が心身共に穢れを好むと考えるのはお主ら人間の想像じゃ。それに忘れているようだが妾は女子おなごじゃぞ、綺麗好きで悪いか? 願わくば湯浴みをしたいのじゃが、う~む……」

「濡れタオルで身体拭け、それで我慢しろ」

「高望みはせぬが冷たいのはイヤなのじゃ」


 魔王女といっても暖炉やかまどの使い方は分かるだろうし、よしんばこれまで知らなかったとしても、じいさんが目の前で使っているのを見ているから想像はできるはずだ。


 なのにメアは、まじまじとかまどを観察しながら呻くばかり。

 薪を突っ込んで火に掛けてやればいいだけの話なのだが、その為の薪はじいさんたちへの礼として割ったものなので、それに手を付けては本末転倒であると彼女は気にしているらしい。とはいえ、運びきれはしなかったが、優に半年分の薪は割ったので多少使っても誤差みたいなものである。

 ただ、まぁこの理由でメアが納得するかは別の話で、薪を使わずに事を済ませたいらしい。


 薪が使えなくてもメアは火の魔法が使える。ならば鍋に水を移して魔法で沸かしてやれば良い。思いついてしまえば早いはずなのだが、メアは渋面になって首を振る。


「妾も思いついておったが、その方法では駄目なのじゃ」

「――? 爆発魔法が扱えるなら、火焔だって出せるだろ。そいつで炙ってやりゃあ良い」


 はずなのだが、またもメアが浮かべた渋面。

 そして先程とは別の恥じらいに、彼女は歯切れが悪くなる。


「なんと言うべきか……。実のところ、妾は火焔魔法が使えぬのじゃ。お主には一度は見得を切った手前、口にしたくはないのじゃが、火焔魔法に限らず、ほぼ全ての魔法において未熟といってよい。火の魔法に関しても、着火魔法フリントが精々じゃ」

「んな、馬鹿な。爆発魔法は火属性魔法から派生する上位魔法だ。そいつを扱えるのに、火焔も出せねえなんてあり得ねえだろ」


 魔法の習得は下位から上位、そして横へと派生するのが基本形。

 火属性なら火属性、水なら水、風なら風。


 種類によって伸び方は異なるが、大体は根から幹、そして無数の枝へと分かれていく、いわば樹木に似た形態になっているものだ。一足飛びに身につけるような天才もいるにはいるが、人間も魔族も基本の習得形式は同じ。にもかかわらず、火属性上位にある爆発魔法が使えるのに、下位の魔法が扱えないというのは中々に珍妙な事態なのだ。


 この事態があり得るとすれば――


「天才ってことか? 基本を飛ばして覚えたなら、下位魔法を使えないってのも納得出来るが」

「天才? 妾がか……?」


 嘯くメアの微笑みは、だが彼女には珍しく明らかな自虐が見て取れる。


「とんでもない、むしろ逆じゃよ。妾が持つ魔法の才といえば変身魔法くらいのもので、しかも大した才ではない、魔族の者ならば誰でも容易に達する程度の技術じゃ。他の魔法に関しては、目も当てられぬと評するが適切なほどじゃろう」

「爆発魔法を使っておいて能なしだって? 信じられねえな」

「妾が使ったのは爆発魔法にあって爆発魔法にあらず、お主の知る魔法とは別物なのじゃ」


 つまりは特別な魔法なのだと彼女は言うが、特別を扱える割に嬉しくはないようで、メアはどこか寂しげだった。


「グリムよ。お主が指す爆発魔法とは、火焔魔法の延長にあるものじゃろう?」

「ああ、爆発といったら火。だからお前の言う特別ってのが、俺には見当付かねえ」

「じゃろうな、人間で扱える者はいない。魔族の中でも二人しか扱えぬ特別な属性の魔法じゃ」


 選ばれし者、特別な二人

 その内の一人がメアなのだとしたら、もう一人は――


「察しがよいな。あとの一人は妾の父上、魔王ディアプレド。特別な魔法とは、魔王の血筋にのみ扱える蒼き焔を指している」

「魔王城で見たぜ。魔王は別の呼び方をしてたな、確か――」

「『獄炎・・』と、我らはそう呼んでいるのじゃ」


 その苛烈極まる熱量は、灼かれる者に熱さではなく寒さを感じさせるという。日頃、人間や魔族が目にする温かい朱とは対照的な冷たい蒼が発するのは、本来、焔が抱いているはずの生とは真逆に位置する死のオーラ。


 見た者に絶望を与える蒼き火焔、故に獄炎

 なるほどそいつは魔王の血筋に相応しい魔法だが――


「湯を沸かすには過ぎた代物だな」

「未熟ならば身に染みておるのじゃ、皮肉は聞きとうないぞ」


 冗談交じりに茶化しはしたが、グリムは決して皮肉ってはいなかった。ただし、どういう意図があろうとも、発言というのは受け取る側が印象を決めるものなので、彼は改めて、真面目に訂正した。


「生まれもある意味才能だ。そうやって最初っから生まれ持ったものにあぐら掻いてる、いけ好かねえ連中もいるけどよ、その様子じゃ色々試してみたんだろ?」

「む……? うむ、その通りじゃが……」

「なら馬鹿になんかしねえ、時間と頭使って考えようぜ。……どっちもそんなにねぇけどな」

「……お主も、知恵を絞ってくれるのか?」

「満足しねえと寝ないだろお前。近くでガチャガチャ鳴らされたら、こっちも休めねぇの」


 ぶっきらぼうに言い放つグリム。

 だが、迷惑半分、世話焼き半分といった具合の彼の言葉に、メアは眉間の力を緩めて考える。さしあたって獄炎で湯を沸かすためには、問題点を洗い出す必要があるだろう。……いや、洗い出すと言うより、それはグリムに伝えるという作業であった。


「魔法の珍しさは問題ではない。妾が窮しておるのは、獄炎の威力と妾自身の技量なのじゃ。ただの鉄鍋程度では、どんなに弱く放とうと鍋を溶かしてしまうじゃろうし、第一妾には、そこまで繊細な制御は出来ぬ」

「う~ん、魔法によっては周囲に熱を出さない焔を生んだりもするけど、鍋が溶けるってことは熱は出てるんだな?」

「うむ。じゃが通常の火焔魔法とは比べもにならぬ熱量じゃぞ。瞬間的な爆発魔法ならば被害は少ないが、獄炎を生み出すとなれば離れている物さえ燃える。この場で掌に獄炎を生めば、数十秒もかからず部屋中の家具が燃え始めるじゃろうな」

「そいつはスゲェが……。単純に滅茶苦茶あつい焔や、マグマみたいって解釈であってるか?」


 魔王族のみが受け継ぐ秘術を陳腐な例えで表されたのが癪だったのか、メアは認めたく無さそうに唇を結んだが、やがてこれ以上適切な説明がないと判断したように頷いた。

 しかし、悪い事だけではない。

 彼女が首肯すると同時、グリムが軽く諸手を挙げる。


「――なら解決だ」


 彼はそう言って立ち上がると、何故か大剣を手にしてメアへと歩み寄る。


「湯を沸かすと言っておるのに、剣など何に使うのじゃ」

「見てれば分かる。とりあえず、桶を下に置け」

「…………?」

「今のは偶然だ、そんな目で見るな」


 一転して真顔になったメアが床に置いた桶に、グリムは大剣の鋒を静かに浸す。浅く大きい桶のため、深さは精々掌くらいだろうか。

 怪訝そうに眉根を寄せているメアに、グリムは続けた。


「獄炎で炙れば鍋は溶けるし、そもそも素打ちだと威力が安定しないんだろ? なら、いっそこの剣に付与エンチャントしてやればいい。属性魔法を武器や防具に乗せるのは珍しいことじゃねえ、獄炎が乗れば、その熱が剣から水に伝わって勝手に沸くだろ」

「うぅむ、付与エンチャントの概念は妾も理解はしているのじゃが……」


 不安、というより心配している様子で、メアは大剣からグリムへと視線を上げた。


「剣が痛んだりはせぬか? 想像を超えた熱量じゃぞ」

「まぁ大丈夫だろ。純粋なミスリルに比べれば、黒ミスリルは魔力適正で劣る。つってもミスリルの適性が高すぎるだけで、これまでこの剣で魔法を受けるのに困ったことはない」

「しかしじゃな……」

「大丈夫だって。攻撃を防ぐわけじゃなく、あくまで付与エンチャントなんだ。魔力はぶつかり合わず、混ざって同じ方向に流れるから、剣にかかる負担もかなり少ない」


 それに同じ魔法を使う場合でも、魔法の威力ってのは発動時に込めた意思によって変わる。害することを目的とするならばより攻撃的になりやすく、守護を目的とするならば力は小さくまとまりやすい。

 意思が魔法に及ぼす影響は大きなものではないかと、魔法使い達の間では長らく議論されているようなのだが、当然そこには肯定派と否定派がいて、そしてメアは否定派だった。


「知識としては知っているが、個人的には懐疑的じゃ。魔法とは内にある魔力を用いて発動する術じゃ、そこに意思や感情などが影響を及ぼすなどとは考えにくい。影響があるとすれば、練度や才が大きいはずじゃろ」

「一概にそうとも言えねえと思うぜ、火事場の馬鹿力って言葉もある。それに、同じ言葉でも意思によって相手が受ける印象は変わるだろ、それと同じさ。――話を戻そう。まぁ、俺の剣を気遣ってくれてるのは分かった。でも、魔王城じゃあ、お前の親父の獄炎をこいつで斬ってるんだぜ? それでも不安か?」

「父上の、獄炎を……?」


 魔王たる父の力を痛いほど理解しているメアには、にわかに信じられなかった。グリムの腕が立つこともまた彼女はどことなく察してはいるものの、それでも父の獄炎を切り裂くほどの実力者だとは到底思えなかったのである。


 かといって、グリムが見栄からくる浅はかな虚勢を張っているとも思えない。それくらい、彼の眼差しは自信に満ちていたので、結局メアは彼の言葉を信じることにした。


「――で、あれば、妾の獄炎程度では揺るがぬな、残念じゃが安心じゃ。してグリムよ、妾はどうすれば良いのじゃ? 獄炎を制御するための修練は重ねてきたが、付与エンチャントの経験はないぞ」

「簡単だ、刀身に触りながら獄炎を使ってみろ、なるべく水面に近いところでな。コツは一気に押し出すんじゃなく、少しずつ、少しずつ絞るように魔法を流し込むことだ」

「経験があるのか? お主、攻撃魔法はからきしなのじゃろ?」

「もちろん又聞きだ。でも、実績のあるアドバイスだぜ。このコツを聞いてから、付与エンチャントがうまくなった奴を何人も知ってる」

「何故、借り物の知識で自信満々に振る舞えるか謎じゃが、物は試しじゃな。やってみよう」

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