その十一 部室

 やった。努力の甲斐があった。

 大岩根先生の承諾を取れた。これで博物クラブも正式に発足、一歩前進だ。うん、土日を潰してふたりで頑張った甲斐があったというものだ。結局完璧な整理は無理だった。取りあえずカテゴリ毎に記録して棚に収め、手が空いた時に整理を続けられるようにするので手いっぱいだった。

 それでも、整理された準備室を見た大岩根先生は歌舞伎役者が見栄を切ったような顔をしていた。本物は見た事ないけど。『恐れ入りいりや鬼子母神きしもじん』と今にも言い出しそうな顔だった。この間借りた本に書いてあった言葉だけど、語呂が良いので覚えてしまった。


 上部には「なんだそれ、聞いた事な。古くさっ」と言われた。でも、捺稀さんには「うまい!」と言われたからいいのだ。

 取りあえずでも先生の承諾は取れたし、博物クラブも発足できた。でも捺稀さんとの関係はまったく変わらなかった。


 今日は水曜日、博物クラブの第一回部会が開催されている。そして、地学準備室改め、博物クラブ部室には部員が四名いる。

 他薦自薦含め、部長は当然のように捺稀さん。副部長は他のふたりに固辞されて僕に回ってきた。何かの役の付いた事をやるのは初めてだけど、まあ、自然な流れだよね。捺稀さんとふたりで始めたようなものだしね。


 それにしても、準備室には小さい冷蔵庫やふたり掛けのソファも埋まってた。部屋の端には小さな流しも付いていた。先生にお願いして棚を追加してもらったので場所も空いて部室として使うには至れり尽くせりだ。

 そのソファの端には堤野さんが座っており、上部は反対側のひじ掛けに腰かけている。ふたりの間はひとり以上の間隔を空いていてしかも、そっぽを向いている。他に座る場所がないから仕方なしというのがありありと見て取れた。

 上部はスマホをいじっている。


「まったく、上部も一緒だとは思わなかったよ。上部がいると知っていたら考えたかも」

「堤野さん、今それは……」


 僕に最後まで言わさずに堤野さんは返事をした。


「判ってるって。私も参加するって言った手前約束は守るわよ。でも、約束した時に言ったように、元々入っている放送部の空きの時間でいいのよね」

「ええ、それで構わないよ。参加できる時にしてもらえればわたしとしては充分だから」

「俺は、何でも良いけど。このクラブはまず何をするんだ?」


 捺稀さんが自分の番だとばかりに元気良く立ち上がり鞄からノートを取り出し広げた。


「このクラブは、面白い事を楽しむ事と世の中の面白い事を皆に伝える事が活動の目的です。なので、まずは文化祭で博物展示会を行います。また、それまでにわたし達の身の回りの面白い物を調べて発表します」


 周りを見回して続ける。


「この部屋の中の物は大岩根先生が集めた色々な物品ですが、中には博物学的にも面白い物があるので、博物展示会はそれを利用します」


 広げたノートの真ん中を指さし頷く。そこには大きく「トマソン」と書いてある。


「そして、身の回りの面白い物は『トマソン』を探してそれを発表します」


 捺稀さんを除いた三人の頭の上に大きな?マークが浮かぶ。僕も始めて聞く言葉だった。


「トマソンはね40年以上前にある芸術家が提唱した概念で、簡単に言うと、都市に存在する『建築物に付属して明らかに無用なものが、そのまま残され、その美しい遺物をトマソンと呼んででよう』というものよ」

「それじゃあ判らないよ」


 捺稀さんは顎に指を当て、目を瞑り一所懸命思い出そうとしている。その仕草も可愛い。と、そんな彼女を観察していることを他の人には気がつかれないよう、すぐに視線をはずす。


「えーとね、学校から最寄りの駅までの道の右側に古い工場があるでしょ。そこの敷地の駅側の端の建物の二階の壁にドアがあるの知らない?」


 言われて思い出した。気にはなったけどそのまま忘れていた。

 僕が口を開く前に上部が返答する。想い出せただけにちょっと悔しい。


「ああ、あれ。知ってる。外側に階段もないのに二階の高さに普通のドアがついているやつ。あれじゃあ出たら落ちちゃうじゃないかと気になった事がある」

「そう、それがトマソン。博物学とは関係ないけど、面白いからうちのクラブで扱おうと思う」

「そうか、ああいうような物がトマソンって言うんだね。探せばもっとありそうだ」

「と云う事で、今月の活動は文化祭の出し物の構成を考えるのがひとつ。あと、放課後や、休日に学校から駅を中心としてトマソン探しをやろうと思います」

「休日は、参加の約束はできないけど、可能な時には参加するよ」


 堤野さんはちょっと済まなさそう。


「大丈夫。わたしと真仁くんとで主に探そうと思っていたから、気にしておいてもらって、たまたまでも見つけたら報告してもらえればいいよ」

「俺は、大丈夫だぞ、声を掛けてくれれば出て行くからな」

「それにしても、楠本さん。あなた、自分の領分では随分と積極的で頭も口も回るわね。クラスの催しにももっと積極的に参加してもらえれば、クラスもにぎやかになると思うのよね」


 捺稀さんは、口の中に何か詰まったような表情で呟くような返事を返した。


「わたし、そう言うのだめなの。人の気持ちがよく判らないから、皆が楽しくなるようなことはうまくできないと思う。でも、自分が面白いと思う事を紹介するくらいならできると思う」


 堤野さんがなぜかちらっと僕の方を見て視線を戻した。


「ええ、そのようね。まあ、いいわ。クラスの催しをさぼらないでいてくれれば」

「おお、何だよ。俺にはクラスの催しに参加しろって言わないのかよ」

「そんなの、どうせ、ミーティングの時には好きな事しか言わないし、盛り上がってきたら勝手に参加して。騒ぐでしょう。私としては少し押さえて欲しいくらいよ」

「へいへい」


 上部が何か思い出したように、


「ああ、そうだ。なあ、捺稀ちゃん。俺の事も東雲のように下の名前で呼んでくれよ。名字だと何だかよそよそしいんだよな。もう同じクラブだし、いいだろう」


 ハラハラする。僕と捺稀さんの間に割り込まれるような気がしていい気がしない。


「いやです。上部君とはまだそこまで親しくなっていないから。もっと親しくなったら考えます」


 ほっとした。思わず息がもれたものの他の人には気がつかれないで済んだ。


「ちぇ、まあいいか。そのうち俺の魅力で名前で呼ぶようになるさ」

「そんな時が来ることはないと思うなあ」


 突如堤野さんが突っ込みを入れる。


「なんでだよ。お前はいつもおれに嫌みったらしいんだよ」

「それは、胸に手を置いてよく考える事ね。私は友達の相談を良く受けるからあなたの話は良く聞いているからね」

「ちぇ、何て言われてるか想像付くけど、それ皆嘘だから。俺は勝手にやっている訳じゃないからな。つき合い始めるのも別れるのも合意の上でのことだから」


 突然、ふたりの喧嘩が始まりそうだった。


「ふたりとも、辞めてよ。ここはクラブの部室なんだから、喧嘩ならよそでやってよ」


 ここは、僕と捺稀さんの安らぎの場所になる筈だったのに止めて欲しい。


「そうね、ここで話すような事じゃなかったわ。ごめんなさい」


 静かにしていた捺稀さんが突然立ち上がり声を上げた。


「よし! 皆で親睦を兼ねてこれから博物館に行こう! 最近この部屋の整理で全然時間とれなかったからね。博物館で楽しめばきっと仲よくできるわよ」


 スマホで検索するなり、


「えーっと今やってる企画展は…… 『東ローマの秘宝イコンの歴史』面白そうだよ。行こう、行こう」


 険悪な空気をやや収めつつあったふたりは、何事かと捺稀さんの方を見て、事態を把握すると同時に指摘した。


「そんな急に決めても無理です。もうこんな時間だよ。博物館締まるんじゃない」

「そんな急に決めても無理だって。もうこんな時間だし、博物館とかお終いだろ」


 指摘に気がついて気が抜けた顔をしたもののそこで諦める彼女ではない。


「それもそうね。こんな時間だった。特設展示は週末は混むし、明日の昼間ならゆっくりと見られるから、そうしよう!」


 さすがに捺稀さんは捺稀さんだった。


「なにを言ってるんです。学校さぼって行ける訳ないでしょ。まさか、楠本さん、あなた今までにもさぼってんじゃないでしょうね」


 堤野さんが立ち上がって捺稀さんに迫る。

 顔を背けて口の中だけで呟くような微かな声をたてる。


「しょうがないじゃない。授業は面白くないし、退屈だし、つまらないし」

「あなたね。学校をなんだと……」

「まあまあ、明日はちゃんと授業に出て、ちょっと我慢して週末博物館に行こうよ。僕もちゃんと付き合うから」

「おう、面白そうだから、俺も付き合うぞ」

「私は行かないわよ。週末は以前より予定が入っていたからね」


 うやむやになってちょっと思い直したのか表情も明るくなった捺稀さんが最後に

締めた。


「判った。博物館には土曜日に行ける人が行く事にして、今日はトマソンを探しながら帰りましょう」


 部会が険悪な雰囲気になりそうだったのが何とかなって安心したのだった。

 結局はその日はひとつもトマソンを見つけられなかったけど、皆と一緒に帰るのは新鮮で楽しかった。

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