その十二 告白1
今日は土曜日。結局、捺稀さん、僕、上部の三人で博物館に来ている。
捺稀さんの言う通り博物館の特設展示は無茶苦茶混んでいて流れるように展示の前を通り過ぎるだけで終わってしまった。でも、常設展示はそこそこ空いていて、ゆっくり見る事ができた。
最寄りの博物館はもう何度も捺稀さんと来ているけど、常設展示も時々内容が入れ替わるのでそれなりに楽しむ事ができた。
とはいえ、今回は上部がついてきていたのでふたりでゆっくり、質問をしたり、説明をしてもらたりする余裕はなかった。上部がやたらに質問していて、捺稀さんがいちいち丁寧に説明している。博物館の事となると本当に楽しそうで、僕だけが特別なんじゃないと思い知らされて嫉妬心が湧き上がって落ち着かない。
といって、割り込むように質問したり、僕も知ってる事を答えていたら、迷惑そうな顔をされてしまい、途中からだまって不機嫌な顔をして後を付いていくしかなかった。
そういう意味では楽しんでいたとは言えなかった。
今は、博物館からの帰り、ファミレスで遅い昼食をとっているところだ。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
捺稀さんが席を立って充分離れたところで隣に座る上部がぐいっと近づいてきた。内緒話をするかのように耳元間近で話しかけてきた。
「なあ、聞くまでもないけど。東雲、お前楠本さんの事好きだよな。もちろん付き合ってないよな」
「な、な、何を突然」
慌てて噛んでしまう。と同時に自分でも判るくらい顔が赤くなった。鼓動が上がり冷房が効いた店内なのに汗が噴き出す。
「答えなくてもいいって、見てれば判るさ。なあ、思うけど、楠本さん、あれは相当に難しい
「えっ、難しいって。意味が判らない。確かに頭は良いけど、そういう意味じゃないよね」
「これだから、女を知らない奴は。俺の経験から言うと恋愛に関心がない、もしくは誰か心に決めた奴がいて、他の奴には全く関心がない様にも見える」
——心に決めた人がいる?——
その言葉に、上部のせいで跳ね上がっていた鼓動がさらに激しく波打つ。不安で目の前が暗くなる。口の中がカラカラに乾いてコップの水をひと息に飲み干した。
水を飲むと少し冷静になって、まさか心に決めた人って僕の事? だったら良いな。なんて虫の良い考えも浮かんだ。
「お前にはひと言断っておくのが礼儀だと思うから、言っておく。
俺は諦めないぞ。楠本さんは難しい娘だけど、あのタイプの娘は一度心を許した人は決して裏切らない。それに…… 俺は不思議なんだが、なんであんな美人の子がクラスで話題にならないんだ。あの眼鏡のせいかな。
とにかく、恋愛に関心が無い可能性もある、という訳で俺が諦める理由はない。互いにフェアに行こうな」
そう言って手を差し出してくる。上部が本当の意味でライバル宣言をしてきたのだ。
女子と親しく話せるようになったのが最近という彼女いない暦=年齢の自分と、リア充の上部でフェアってなんだ? という思いもあって嫌だったけど握手を返さないのはみっともない。しかたなしに握手を返した。
「どうしたの、握手なんかして、へんなの」
そこに捺稀さんが戻ってきた。
「互いに頑張ろうって……」
「ふーん。何にかな…… ところで真仁くん、顔色悪いよ。大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫。今日は久しぶりで疲れたんだ。休んでいれば直るよ。だって、特設展はすごい混んでいたでしょ」
突っ込んで聞いてこなかったので、胸をなで下ろし、話しを別の方向へ振った。
「そうだったね。ゆっくり見られなかったのが残念だったよ」
「でも、常設展の内容が入れ替わった物もあって楽しめたよ」
「そうだね。縄文期の日本の展示が変わってたよね。最近の研究を反映したって掲示があったけど、ここ数年で解明された新たな事実が判るように書いてあったの面白かった」
しばらく今日の博物館の展示の品評を交わして、その日はお開きになった。
上部とは途中駅で別れて、ふたりで歩いていく。彼女の家の方が遠い、いつもなら途中で別れてそれぞれの家を目指す。でも今日は別れるのが惜しかった。
——心に決めた人がいるのかも—— その言葉が頭の中で繰り返し響く。重い足はいつの間にか遅れてしまう。もうすぐ分かれ道だ。
彼女の家は緩やかな坂道の向こうにある。いつもなら僕は坂の手前で曲がる。先を歩く彼女の姿が坂の向こうへ沈む夕日に照らされシルエットが浮き上がっている。ポニテにまとめられた髪が揺れ夕日を浴びて輝く。
「どうしたの? 疲れたの? 情けないぞ」
振り向いた彼女の瞳が夕日に映え輝いた(僕にはそう見えた)。
彼女と別れたくなかった。
「ねえ、そこの公園でもう少し話をしない?」
思わず、傍の児童公園を指さし誘った。
「…… いいけど。へんなの」
そう言って児童公園のベンチに座る。
こんなところに児童公園があるなんて今まで知らなかった。僕が知らない事は沢山ある。彼女の気持ちも知らない事のひとつだ。
ひとり分の隙間を空けて隣に座る。
「それでどうしたの。今まで寄り道なんて誘った事なかったのに」
「……」
心が急いていた。上部にあんな話をされなければ、こんなタイミングで告白するなんて考えてもいなかった。 ——心に決めた人がいるのかも—— 頭の中で響くこの言葉に期待と焦りを感じ僕は言葉を絞り出さずにいられなかった。
「捺稀さん。僕は君の事が好きです」
「…… それって女の子としてってことだよね」
「う、うん」
「そうか……」
捺稀さんは怒ったような悲しいような顔になった。
「なんでそんな事言うかな。わたし誰か男の子を好きになった事ないの。好きって気持ちも判らない。そんな事言われても、気持ちを返せない。返せない気持ちは重荷だよ。それを意識したら、友達でいられなくなる」
振られた。瞬間すごく後悔した。取り返しがつかない。それも最悪な事に友達でもいられなくなる。今までのように気楽に話しかけることも、ふたりで部室にこもる事も、博物館や図書室に誘われる事もなくなる。
「あ、あ、ごめん。今の取り消す。聞かなかった事にしてください。もう二度と好きって言わないから」
思い出しても、最悪の返事をしてしまった。もう取り返しがつかない筈なのに。
「ほんとう? もう二度とこの話題を出す事はない? わたしも真仁くんと親友でいたいから。約束してくれる」
?? ありえない。彼女が聞かなかった事にしてくれるなんて。本当に元のように戻れるのだろうか。だが、僕に他の選択肢はなかった。
「約束する」
「判った」
にこっと笑いかけてくる。相変わらず笑顔が美しかわいい。
僕はワナに嵌まったような気持ちになっていた。約束を守るって事はこれから先、彼女に魅力を感じてどんなに好きって気持ちが高じても告白できないってことだ。苦行の始まりを予感させた。
「それで、さあ。結局聞き損ねたんだけど。上部くんと話していたって言う『互いに頑張ろう』ってなんのこと?」
「あ、それは内緒」
「ふーん、内緒なのか。まあいいよ。だれでも内緒って事あるよね」
「聞かないでいてくれると助かる」
これは内心焦っていた。本当の事を言えばさっきの約束を破る事になるし、黙っていても不自然だし。
「わたしは真仁くんに内緒の事はないけどね」
自慢そうな表情でベンチの背もたれにそっくり返って見せた。
その顔を見ながら、手に入らなかったものを、観賞する事だけは許されたモノに意識を傾けた。
夕日のオレンジに厚めの眼鏡の奥に光る緑がかった瞳、緩やかな円弧を描く形の良い眉、通る鼻筋に、ほのかな桜色の唇。そっくり返っているので制服がずり上がり、おへそが見えた。程よい膨らみの胸が呼吸に合わせてゆっくりと上下している。後数年もするとあのお母さんの娘なら、豊かな双丘となることだろう。ああ、どこをとっても好きだなぁ。
その彼女に気持ちを告白できないのだ。
「内緒の内容はいつか話してね」
「うん、いつかね」
そのいつかは決してやって来る事はないのだ。
ベンチに座る僕と彼女の間にはひとり分の隙間がある。この隙間が今の僕と彼女の距離だ、と思い知っていた。
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