その六 博物クラブ
泥棒を尾行するなんてことがあってから二日経った。
捺稀さんと休み時間に話をしているといろんな事を教えてくれる。どれも授業じゃ教えてくれないような事ばかりだ。まるで、百科事典みたいにいろんな事を知っている。ただ、ディープというか、僕が無知と言うか説明する言葉ひとつとっても判らない事が多々ある。
その言葉を教えてもらって、意味が判ると以前教えてもらっていた事が突然繋がるように理解できる事がある。あれは、嬉しい。自分の世界が広がったような喜びを覚える。そうして判ると見えてくる新たな疑問をぶつけると捺稀さんも喜んでもっと難しい事を教えてくれる。学校の成績には繋がらないけど知らなかった事を知るのは純粋に楽しい。
そうなんだ、捺稀さんはすごい人なのに皆は知らない。変わった子だと思われてクラスで浮いている。それはもったいないと思うんだよね。
「ねえ、捺稀さんて物知りだし説明はうまいし、なのになんで僕以外の人には話をしないの?」
「だって、面倒くさい。興味も持ってない人にわざわざ説明するなんて無駄よ」
「えー、もったいないな。だったら、興味を持ってもらうようにしたら?」
「それこそ、面倒くさい。相手だって好きでもないことを押し付けられたらいやでしょ」
「うーん。いいと思うんだ。世の中には面白い事がこんなにあるんだって、紹介するだけでも興味を持ってくれる人がいるかも知れないよ。捺稀さんが面白いって思う事を紹介すればいいじゃないかな」
「……そうか、わたしは好きな事をしていればいいのか。気に入ってくれた人がいれば話はひろがるよね。でもこのクラスの中じゃダメだね。でもそうか……」
捺稀さんは何か考えている風だった。それが判るのは数日後。
その日、捺稀さんはやたら機嫌が良かった。教室の隅の席でニコニコとしてたまに腕組みをしてブツブツと独り言を呟くのだ。同級生達も馴れたもので、もともとそうなのだけど近寄らず遠巻きにしていた。
僕と彼女がよく話しをしているのを知っている友人たちの中には何事かと僕に聞いてくるやつもいたが、僕もかぶりを振るばかりだった。
授業が始まる前、彼女は僕の席までやってきて仁王立ちになりのたまった。
「今日の放課後職員室までつきあって」
「え、何事?」
彼女のとっぴな行動には馴れてきていたけど、さすがに困惑してしまった。
「それは……」
「さあ、出席を取るよ……」
教室に入ってきた担任の声に開きかけた口を閉じて彼女は自分の席に戻っていった。
その日は放課後まで嬉しそうににまにまする彼女の顔を盗み見ては、だんだん不安な予感がしてくる。きっと面倒な事を考えているのだろうなとはその頃には判るようになっていた。
しり込みする僕を引きずるように、職員室まで連れて行く彼女が説明してくれた。
「博物クラブを作るわよ!」
「えー。なんですか、それ?」
「博物学ってあるじゃない。あれは、どのような性質のものが、自然界にどのように存在するかを明らかにし、世界を支配する法則を推理する学問なのよ。だから、世の中の面白そうな事を研究するクラブ! 元は真仁くんのアイデアだよ。面白そうでしょ」
「だからの理由は判らないけど、博物クラブが何をするモノかは判った。要は、捺稀さんが好きな事をするためのクラブだね」
「そう、それ!」
「だから、職員室ですか。こんな時期にクラブって作れるのかな?」
「そんなの、聞けば判るわ」
まずは担任に聞いてみた。幾つかの事が判った。まず、部員は四名以上必要ということと、顧問の教師がいなければダメらしい。
「うーん、部員を募集しなければダメね。あとふたり必要ね。それと顧問の先生か」
僕は最初から員数に入っているのか、入るかどうか聞かれてもいないんだけど。とはいえ、クラブを作れば一緒にいる理由にもなるし、こちらも断るつもりも無いのも確かだ。
信頼されているのかな、そうだといいな。まあ、最初から振り回されているんだ、いまさらだけど、ひと言くらい意見を聞いて欲しかった。
「先生。顧問になってくれそうな人、心当たりないですか?」
「ほとんどの人は何かしらの面倒を見ているからね。あ、そうだ、大岩根さん確かクラブの担当持ってなかったよね」
担任はそう言って斜め前の席に座る教師に声を掛けた。
「なんですか? 博物クラブ? また、変わったことを」
大岩根先生は面倒くさそうに返事をしてくる。
「俺は、そんな暇じゃないですよ」
「何言ってるんですか、先生の担当の地学は選択する生徒も殆どいないじゃないですか。私と違って」
僕らの方を振り返り、話しはここまでという気持ちを隠そうともしない声色で話しかけてくる。
「そんな訳だから、私は紹介はしたわよ。後はあなた達次第。熱意で大岩根先生を口説き落とす事ね」
そう言って机に向かい書類仕事に戻ってしまった。
捺稀さんとそろって、大岩根先生の机に移動する。僕は地学を選択していないので授業を受けた事がない、初めて会話する教師に緊張していた。
「面倒を押し付けてくれちゃって。地学の事を出されると確かに選択している生徒は僅かだからな、断り難い。だが、俺は顧問を引き受けるつもりはないからな。そんな面倒な事、手当てがつく訳でもないんだからな。やらずに済めばそれが一番だ。
しかし、なんでまた博物クラブなんだ?」
「博物学ってあるじゃないですか。博物学という学問は、元々大航海時代のヨーロッパで次々に発見される新たな事物を分類・整理する為に発展したと聞いています。でも、その本質は身の回りの自然の理解と背後に潜む法則を知りたいという人間の原初の欲求から沸き起こった学問だと思います。ある意味自然科学と同じで手法が違うだけです。
わたしは、自分の身の回りの面白いモノを研究して、誰かに興味を持ってもらって、その誰かとその『面白い』を共有したいんです。
先生の専門の地学も博物学の一分野の鉱物界の研究が大元なんじゃないですか」
彼女がどんな説明をするのかと思っていたら、一緒にいたいからと言う自分のゲスな考えが恥ずかしくなって俯いてしまった。大岩根先生の顔に驚きが浮かぶ。
「おお、これは意外だ。よく勉強している。こんな生徒がいるとは。
博物学か…… 俺も昔は志したものよ。現実の世界では何の役にも立たないがな。結局地学を専攻したが、所詮受験の役にたたないからと生徒も集まらず、現状を変えようともせずつまんねえ授業を繰り返してる俺が言う事でもないか。
そうか…… よし、面白い、二つの条件をクリアしたら顧問になってやるし、手続きなんかも全部やってやる」
「ありがとうございます」
捺稀さんの顔がこの上もなく明るくなる。
「喜ぶのは早い。まずは部員を四人以上勧誘してくる事、それから、俺が使っている地学準備室に置いてある物品の分類と整理と目録作りをする事。それができたら顧問の件は考えてやる。そんときゃ準備室は部室として使っても
彼女はすっかり有頂天になってにこにこの笑顔で頷いていたが、僕は大岩根先生の意味あり気な微笑みがちょっと気になった。
それは、思い過ごしではなかった事がその後判明するのだった。
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