その七 地学準備室

「なに、これ! ひどい、こんな状態だなんてだまされた」


 借りてきた鍵で地学準備室を開けた捺稀さんが可憐な女子高生には似つかわしくない怒号を上げた。


「ああ、どれだけ時間掛かるだろう……」


 彼女がそう言う気持ちも判る。僕も部屋の中を見て途方に暮れた。地学準備室は実習棟にあって、建物の端の階段を二階に上ってすぐの部屋だった。

 普通の教室の半分の広さの縦長の部屋で入り口側と運動場に面した壁側に窓がある。窓のない両側の壁は大きな棚でふさがっている。奥にもドアがあって、隣の講義室につながっていた。このドアにはこちら側から鍵がかかるようになっている。


 問題は部屋そのものではなく、その中に詰め込まれた物にあった。様々なモノが複数ある机の上に積み上げられ、足下にも所狭しと置かれ、少なくない棚に詰め込まれていた。なんだろう、博物館に置いてあるようなひと目では何なのか判らないような石や土器、電気部品、書類、人形、仮面、民芸品、など雑多なものが置いてあった。それらはだれがどう見ても我楽多ガラクタにしか見えない。


 なるほどこれが博物学を志したものの挫折した者の残骸かと感慨を持ったのは内緒だ。


「これを整理して、部員を勧誘して。よし、やりがいがあるわね!」


 彼女はあっという間に立ち直り計画を練り始めたらしい。

 いつもながら、僕は彼女の速度に追付けないでいた。


「大丈夫? 大変そうだよ」

「大丈夫、見た目は大変だけど、博物館通いで鍛えたこの目があればなんとかなる、と思う。

 さすがにこれを整理するのは大変だから手分けしよう。まずざっくりとこの部屋にあるものを調べちゃうから、それまで真仁くんは部員の勧誘の方をお願いしていい?」

「うん、了解」


 乗りかかった船だし、好意を持つ子に良いところを見せたいしね。


「まずは、クラブの活動内容が判るようなチラシを作った方が良いと思うんだ」


 入学時のクラブの勧誘で先輩達が配っていたものが頭に浮かんだ。


「そうだね。どこで配るかというのはあるけど、『これ読んどいて』って渡せるものがあったほうが良いよね」


 彼女はノートを片手に部屋の中を見て回っている。


「あ、これは…… なるほど、こんな物もあるんだ」


 すっかり我楽多ガラクタの山に取り憑かれた彼女はブツブツと独り言を呟いて、時折歓声を上げつつ、ノートに一所懸命何かを書き込んでいた。何かに夢中になると周りの事を気にしなくなる性格だと知ってはいたが、忘れられてしまうのはつまらない。


「捺稀さん。今後の事について打ち合わせしようよ? さっきざっくりと役割は決めたけど、この膨大な物の整理と分類、それと勧誘は計画を立てないと時間ばかり喰っちゃうよ?」


 夢中になっていた事に割り込まれて一瞬むっとした顔をしたものの、彼女はすぐに納得顔で隣の丸椅子に腰かける。感情に引きずられず、気持ちの切り替えが早いのは助かる。これは彼女の長所であると共に短所でもあるんだけどね。この頃には判っていなかった。


「ごめんね、色々と面白そうな物が結構あって、夢中になっちゃった」


 机の上の荷物をずらしてノートを置くスペースを空けて彼女は僕の方を向く。

 正面から見つめあうと、鼓動が跳ね上がる。眼鏡の奥の瞳が好奇心の色に光っている。いつものサラサラのポニーテールが振り向いた勢いで揺れていた。

 僕は苦しくなって視線をそらす。彼女の少し疑問の浮かんだ笑顔が意識を占める。この時には完全に好きになっていた。


「えっと、ここの物の整理は、もちろん捺稀さんが中心にやってもらうしかないんだけど。僕も手伝うよ、何をしたらいい? それから説明のチラシの説明文、僕が考えても良いんだけど、捺稀さんに考えてもらうしかないよね。だって、さっきの説明、あれは僕には書けないよ」


 良いところは見せたくても、さっきの先生への説明を聞いてしまっていては、チラシは僕が作るよと言い切る自信はない。絶対、後で出来上ったチラシを馬鹿にされる。いや、彼女の性格からして、馬鹿にはしないだろうけど、失望される気がする。そんなのはいやだ。だったら、先に相談したほうがダメージは少ない、と思う。


 僕の葛藤に気がつきもしないのだろう、あっさりと返事をくれた。


「うん、チラシの文章は今日帰ってから考えてみるよ。あとでメールするね」


 下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。


「今日はこれくらいにしよう。明日までにここの整理に役立ちそうな物を準備しておくね」


 ふたりで並んで教室まで戻ると。女子がひとりつかつかと険悪な顔で近寄ってくる。あまり話したことない、クラス委員の堤野つつみのさんだ。口を開くなり糾弾してきた。


「ちょっと、楠本さん。今日掃除当番だったでしょ。勝手にさぼって困るんだよね」


 捺稀さんの顔が曇る。

 僕にだけ聞こえるような小さな声で「めんどうくさい」と呟いてそっぽを向く。


「なに、その態度。あったまくるわね。いっつもクラスの行事ブッチするくせに! 決められた掃除ぐらいちゃんとやりなさいよ!」

「何それ、わざわざそれを言うため下校時間まで教室に残っていたわけ……」

「そうよ。クラス委員の責任だからね。私だって、早く帰りたかったのに、アナタの好き勝ってに振り回されるのは一度や二度じゃないのよ。いい加減団体生活に馴れなさいよ。子供じゃないんだから」


 まずい。ふたりの間に割り込む。捺稀さん、孤立気味なのにこれ以上孤立したらまずいよ。


「堤野さん、ごめん。今日は僕が無理やり職員室まで誘ったせいなんだ。責任取って僕がやっておくから今日はね。許してあげて」

「それ嘘でしょ? いつも東雲君が振り回されているように見えるけど、本当に?」


 口を開こうとする捺稀さんに後ろ掌で合図して目線を送る。『ここは話を合わせて』通じろと念じるがだめだった。


「真仁くん、何言ってんの? 誘ったのはわたしでしょ。 なぜ嘘をつくの?」


 あー、やっぱり。彼女に空気を読む事を期待するのが無理だった。


「やっぱり嘘なんだ。最低!」


 まずい。僕の評判が下がる。って、無いような評判だけど。


「あ、いや。でも、先生に会いに職員室に行ったのは本当だよ」

「それ、掃除当番さぼる理由があったの?」

「いや、それは……」


 返事できない。こんなことなら黙っていたほうがましだった。

 もう既に面倒な事になっている、これ以上面倒な事にならないようにか、捺稀さんが謝る。


「判ったわ。わたしが悪かった。掃除の事すっかり忘れていたのは確かだから。

 ごめんなさい。明日はちゃんとやるから」

「ふーん。楠本さん。東雲君を下の名で呼ぶんだ。随分仲が良いんだ。もしかして、付き合ってる?」

「な、それは……」

「付き合ってる訳ないでしょ。わたし達は親友よ。親しい友達●●●●●を名前で呼ぶの変じゃないでしょ!」


 僕は動きを止める。鼓動が跳ね上がる。目の前が暗くなる。次の言葉が出なかった。

 そうなんだ。随分親しくなれた。もしやという僕の気持ちは一方的な思い込みと痛感する。確かにこの間「親友」と言っていた。苦しい。

 告白して「交際」なんて手順を踏んだ訳じゃないから付き合っている訳じゃない。振り向いて捺稀さんの表情を読みたい。でも確定するのが怖い。

 堤野さんは、僕の顔と捺稀さんの顔を交互に見比べていた。何かを察したのか口を開く。


「そうなの?」


 堤野さんが意味あり気な視線を僕に投げてきた。この視線はなんだ。人生経験の浅い僕には判らない。


「判ったわ、力抜けちゃった。そういう事なら、今日は許してあげる。明日はちゃんとしてよね」


 頷く僕らを尻目に堤野さんは教室から出ていこうとする。僕の横を通る時に僕にだけ聞こえる小さい声で「かわいそう」と呟いた。


「え、なに?」


 その時には堤野さんの姿は教室から消えていた。


「なんだったんだろう? 変なの。

 さあ、帰ろう。遅くなっちゃったね。明日は掃除もあるし忙しくなるわよ」


 僕に笑いかけてくる彼女の微笑みは変わらない。なのに僕にとってはさっきまでとは違う。締め付けるような苦しさを感じていた。

 好きになっていなければ、「親友」という言葉を聞いていなければ、僕に向けられた可愛くて魅力的な笑顔に楽しい気持ちになっただけで済んだのに。



 自分の部屋で机に座り、彼女からのメールを眺めている。博物学の魅力と博物クラブの活動内容をまとめた文章が書いてある。

 今日の教室での事にはひと言も触れられていない。彼女にとって当たり前の事であえて触れるようなものでもないのだろうか。


 ぼーっとしてしまう。集中できない。さっきから思考の堂々巡りだ。博物クラブの募集チラシを作らなければならないのに。作れなかったら、怒られるだろうか、呆れられるだろうか、嫌われるだろうか。


 博物クラブ、面白いかな。参加するのどうしよう…… 意味あるのかな。

 ああ、でも、参加していればそばにいられる。同じ物を見て、感動して、意見を交わせる。それは楽しい。といって想いが届かないとしたら悲しい。


 うん。まだ告白もしていないんだ。「親友」の向こうにどんな気持ちがあるかわからない。彼女が僕にどんな感情を抱いているか聞いて失望するのは怖い。だからいまはこのままでいよう。


 「親友」でいいから。

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