その四 遭遇

 僕は目立たないように彼女から少し離れて、教えられたように少しでも自然に見えるように風景や店先を見ているふりをして後をついていった。彼女も建物の影から覗くなんてベタな仕草はしていない。お店を覗いたり、スマホを見ているふりをしながらさりげなくついていった。時々入れ替わったりしていた。


 僕らは忘れていた、こっちが覚えているってことは、相手もこっちを覚えている可能性を。それも窃盗のプロだとしたら、つたない尾行がバレないわけもなかった。


 男はゆっくりと歩いている。

 だんだん、駅前から離れていく。


 埋立地の工場の跡地にできた大規模商業施設から遠ざかる道を歩いている。昭和の香りの漂う、昔の賑やかさがしのばれる大規模アパートがある地域に向かって歩いていた。再開発から取り残された地域だ。建物の一階に入っている商店群もシャッターが降りているか、覗く店内も薄暗く棚に並ぶ商品の数も少なく閑散としている。泥棒がアジトにするには似合いすぎな雰囲気が立ち込める街並みだった。


 ここまで、尾行できた事は後から考えてみれば不自然だった、きっと誘導されていたんだと思う。でも、僕らは目標に気がつかれていない事に気が大きくなっていた。そこは素人の何というか浅はかさだったんだ。


『もう、諦めようよ。きっとこの辺りにアジトがあるんだよ。警察に調べてもらおう』


 メッセージを飛ばす。


『まだ、だめよ。もう少し先まで』


 ときどきメッセージをやり取りしていた。

 このあたりは人通りも少ない。先を歩く楠本さんを見失わないよう注意していた。はずなのに油断した。建て替え中と書かれたパネルに覆われた工事現場を過ぎたあたりで見失ってしまった。


「やばい、楠本さん、どこだ」


 慌てて探しに走る。慌てていたので歩行者数人とぶつかってしまった。


「なにすんだ! このやろう」

「ごめんなさい!」

「まて、逃げんな」


 追いかけてきたが、それどころではなかった。


「いた!」


 川縁かわぶちに沿った遊歩道を奥に入ったところにいた。駆け寄る。

 彼女は男に手首を掴まれていた。


「お嬢さん。どうして私の後をつけてくるんだ。

 ほう、どこかで見たことがあると思っていたら、やはり博物館にいた…… そこの彼もその時の。そうか……」


 その男は僕の背後に視線を投げ眉をひそめる。左手をポケットに入れたまま僕の方を向いた。


「彼女を離せ!」

「離してよ」

「離してもいいが、私の後をこれ以上ついて回られても困るのでね」


 左手をポケットから少し引いて持っているものが僕らだけに見えるようにした。そこには黒い金属の塊が見えた。僕らがわからないと見た男はもう少し手をポケットから引き出す。


「うっ」


 言葉が詰まる。それはまぎれもなくナイフだった。なんでもグッズ屋で見たことがある。目立たないように刀身が黒く処理されている奴だ。それがわかった瞬間、僕の背筋を怖気おぞけが這い上がる。黒い刀身が禍々しい光を放つ。頭の芯が痺れるようなめまいに似た感覚を覚えた。


 ナイフを持っている男に脅されるのが普通の高校生にはどれだけ怖いことか、それも生まれて初めての経験だった。

 不良たちが脅しのために振り回すナイフじゃない(それだって、十分怖いけど)。本当の犯罪者が冷静な顔で隠すように見せるナイフは比較にならない。


 彼女もショックを受けて、表情が固まっている。

「なんでもありません。この子があまりに失礼なことをしたので少し話をしていたんです。おさわがせして申し訳ない」


 にこやかでいて、それで冷酷な笑顔を浮かべて僕の背後についてきていた男性に挨拶する。


「その小僧も人にぶつかっておいて、おざなりな謝罪しかしなかったからな。今時のガキは礼儀も知らない。よく、言い聞かせてやってくれな」

「まったくその通りです」


 そういって会釈を返す。

 不穏なものを感じたものの、関わるのはまっぴらだという表情で、追いかけてきていた男性は歩き去っていく。


「わ、分かりました。

 僕たちは、このまま帰りますから彼女の手を離してください」


 ぼくはなんとか声を絞り出す。とにかくこの場から離れたかった。

 僕の声を聞いて彼女が決意の表情に変わる。途端、耳をつんざく甲高い音が辺りに響き渡った。防犯ブザーの音だ。

 男の顔色が変わる。


 なんでそんなことをしたのか後になっても思い出せなかった。


捺稀なつきさんの手を離せええ!」


 僕は泥棒の男に飛びかかっていた。それこそ頭から突撃した。男も油断していたのか、ぶつかったそのままの勢いで倒れこむ。そしてそのままひと塊りに川の中に落ちていく。一.五メータほど落下して水中に沈み込む。初夏の水は冷たかった。


「うわー」

「きゃあ」

「女の子が川に落ちたぞ」


 さっき立ち去りかけた男性が大声で助けを呼ぶ。案外いい人だった。


「警察呼んでください」


 水深はひざ上ぐらいでおぼれる事なく、難なく立ち上がる事ができた。

 くしゅん。くしゃみをしながらも訴える。


「お願いします。さっきのやつ泥棒なんです」


 彼女は助けられるや否や大声で訴える。僕も、負けじと声を上げた。

 博物館の展示物泥棒の男は、川に落ちた僕らが助け上げられる前に自力で這い上がり逃げ去っていた。



 僕らは駆けつけた警察官に説明した。白い自転車でやれやれとした表情を浮かべてやってきた警官に説明すると最初は疑っていたが、本署に問い合わせてくれた。しばらくすると表情を変え真剣な顔で通話機に向かって話し出した。


 だんだん辺りが騒がしくなってきた。

 その頃には、僕らは借りた毛布にくるまり救急車のストレッチャーにひとり分の隙間を空けて並んで座っていた。初夏の川の水は冷たくすっかり体が冷え切っていた。目の前には一斗缶を利用した焚き火が置いてある。近くの工事現場の人が気を聞かせて持ってきてくれたものだ。


 今日の冒険について興奮した声で話し合っていた。本当に懲りない人だ。付き合っている僕も変わり者だとこの時ばかりは痛感した。


「楠本さん、いつも防犯ブザー持っているの?」

「そうよ、東雲しののめくんに襲われた時のために」

「えっ」


 慌てて顔を見るといたずらっぽい顔をしてこっちを見ている。僕がふうっと力を抜くと同時ににこりと笑った。


「嘘だよー。君がそんなことしない事くらい判ってるし」


 ぺろっと舌を出す。


「ありがとうね。さっき助けてくれて。

 『捺稀なつきさんの手を離せええ!』ってかっこよかったよ」


 彼女は僕の顔を見てニヤニヤと笑っている。僕は自分の行動を理解できず、褒められた事が嬉しくて顔を真っ赤にして黙り込んだ。

 濡れた白のブラウスが肌に張り付いて下着が透けて見えている所為もあって顔が熱い。

 濡れて透けた下着は生まれて初めて見た。鼓動が跳ね上がり視線を外しても視野の端で意識してしまう。


「……」

「ふふっ」


 そういって彼女は正面に向き直り僕にくっつくくらい近くに寄ってきた。


東雲しののめくん。色々と振り回してごめんね。でも、ほんと楽しかった。これからも遊んでくれる?」


 彼女は僕を振り回している自覚はあったんだと判った。うん、楽しいから良いか。

 彼女の肩が僕の肩に触れる。さらに鼓動が跳ね上がる。泥川の匂いに彼女の甘い香りが混じる。僕の鼓動はいつもの二倍増しで顔も耳も熱くて真っ赤になっていたに違いない。


「もも、もちろん。もう泥棒の尾行はまっぴらだけど……」


 そのとき、風の向きが変わり、焚き火でくすぶるる木切れの鼻を刺激する煙っぽい匂いが漂ってきた。この匂いは印象深く記憶に染み込んだ。その後もくすぶるる木切れの匂いを嗅ぐと鼓動が速くなるようになってしまったからね。


 彼女はにこやかな笑顔で僕にとっては喜んでいいのか微妙な事を言い出した。


「わたし達親友だよね。そうだ、東雲しののめくんのこと真仁まひとくんて呼んでいい? わたしのこと捺稀なつきって呼んでいいよ」


 親友かぁ、微妙な心持ちな気もするが、より仲が近くなったし一緒にいられるものね。


「あ、じゃあ。捺稀さん。これからもよろしく」

「うん。わたしからも、よろしくね」


 ややあって、博物館窃盗事件の担当刑事のひとがやって来て、いろいろと質問された。ひとしきり、説明した後、覆面パトカーで家まで送ってくれた。


 二度目のことなので母さんに呆れられ、怒られるというより心配されてやたら根掘り葉掘り聞かれた。捺稀さんの事や今日あった事を聞き出した母さんに「その子と付き合っちゃだめ」と言われてカチンときた僕は強く言い返してしまった。

「付き合ってる訳じゃないし、友達の事を悪く言うな」と親子げんかになってしまったのだ。


 しばらく、母さんは話もしてもくれなくなって、ぼくもむかついたので謝まることはなく。

 捺稀さんに愚痴ったら「ご飯とかの面倒はちゃんと見てくれるんでしょ。感謝しなければダメだよ」とたしなめられた。


 彼女の口から常識的な言葉が出てきて吃驚びっくりしてしまったけど、彼女はある意味非常識だけど、悪意がある訳じゃない、言われた事はもっともな事だったので納得いかない面は残るものの頑張って母さんに謝った。

 僕から謝った事で母さんもいつもの様に優しい顔になってくれた。真剣な顔で僕を心配している事と危ない事だけはしないでくれと泣きそうな顔になりながら言われた。


 そんな母さんにとても悪い事をした気がして黙り込んでいたけど、どうしても引けない事だけは伝えた。これだけは折れる訳にはいかないから。

「心配させてごめん。でも、友人は自分で選ぶから」


 せっかく仲直りしたのに僕の言葉で一瞬のうちに表情が険しくなり怒り出しそうになる。でもここで引く訳にはいかない。ムキになったら同じ事の繰り返しだ。


「楠木さんはとても良い子だよ。『喧嘩はダメだよ、お母さんに感謝しなさいって』お説教されたんだから」


 捺稀さんに言われた事を伝えたら、母さんは黙り込んでしまった。それ以降何も言われない。

 認めてくれたのだろうか。

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