その三 尾行
次の日なんだか気恥ずかしかったけど、それから教室でも楠本さんと話すようになった。
通学路も途中駅まで同じだったので、勢い一緒に帰ることが多くなった。
図書館に寄り道したり、本屋の歴史コーナーを散策して、付属の喫茶コーナーで読書と感想会とか、それまでの自分の生活からしたら考えられないくらい楽しい日々を過ごしていた。
僕としては少しでも仲良くなりたかったので、いろいろ調整して帰る時間を合わせていた。
図書室に探しに行って偶然を装って一緒に勉強したり。これは、彼女には気がつかれていたらしい。だいぶ後でからかわれた。いまじゃストーカーって言われるかもしれない。でも可愛いものだったよ、嫌われたくないから自宅まで誘われるまでついて行くことはなかったしね。
一緒に勉強するようになって知ったんだけど、彼女は本当に授業は聞いていなかった。授業中は教科書を興味の向くまま読み進めたり、数学の受験問題集をパズルがわりに説いていたりしていた。
同じことは僕には無理だったけど、勉強の仕方を教えてもらった。これは役に立った。授業じゃ勉強の仕方は教えてくれなかったからね。
ある休日に隣町の博物館に一緒に出かけた時だった。
——じつのところ楠本さんとの関係は友達以上になっていない。
『なぜ、あのとき僕を博物館に誘ったの?』と聞いてみたことがある。そのときの彼女の答えは『なんだかつまんなさそうだったから。世の中にはこんな面白いことがあるよって、教えてあげたかった』だそうだ。
僕は好意を意識し始めていたけど、好奇心なのか好意なのか自分の感情がまだよく判っていなかった。とても変わった子だったし、面倒くさい事は嫌いだと公言していたので、僕は臆病になっていたんだ。面倒くさいと思われたら、きっと嫌われる。良くても話しかけても答えてもらえなくなる、って思い込んでいたから、男女交際を申し込むとか考えてもいなかった。
だって、群れるのはいやだと言って、メッセージIDも交換してもらえていなかったもの。
その割には、振り回されていた。授業をサボって公立図書館に付き合ったり、このあいだみたいに博物館に誘われたりしていた。でも、コンサートや演劇に連れていかれたのはつらかった。
チケットは彼女のお母さんのもらい物でお金がかかる事はなかったけど、今までそういう催し物には参加した事がなかった。初めての雰囲気や、訳の判らない言葉とか…… でも、内容は彼女の解説もあって、だんだん判るようになった。判るようになると楽しくなる。最後には立ち上がって力いっぱい拍手をしていた。
もっと参加したかったけど、普通の高校生にはチケットの代金はちょっとね。うちはアルバイト禁止だったし。だったら、お小遣いもっと欲しかったなあ。——
「あ、あれ。
あの人、見覚えある!」
彼女が立ち止まって小さな声で叫ぶ。僕はすぐにわからなかった。とにかく周りを見回した。
彼女が教えてくれる。確かに見覚えがあった。もう夏も近いというのに薄手とはいえコートを着て特徴のあるハンチングキャップ、博物館で火事騒ぎがあったとき僕らの傍で展示品を見ていた男だ。
「うん。確かに見覚えがある。
あっ。楠本さん!」
僕が頷くのと彼女が駆け出すのは同時だった。僕は慌てて追いかけた。
「突然駆け出して、どうしたの」
追いついて声をかけると、振り向きざまに人差し指で唇を押さえ小声で返事をしてきた。いつもなら気になる事もないのだけど、人さし指に注意が行く事で、押し付けられその柔らかそうでいて、弾力に富んだ桜色の唇が意識に上る。一気に鼓動が激しくなり、それ以上見つめると僕の考えがばれてしまうのではと眼が泳いでしまった。
「しっ! 気がつかれちゃう」
彼女はそんな僕の意識に気がつくはずもなく
「えっ。あいつの後つけるつもり?」
先の事もあり思わず変な声が出てしまう。
「静かに! つもりもなにも、そんなのあたりまえじゃない。
博物館から展示品をそれもオーパーツを盗むなんて許せない。絶対つかまえてやる」
それはさすがに危ないよ。無駄な気はしたが一応諭してみる。
「楠本さん、それは危ないよ。むりだよ」
「わたしが捕まえるなんて言ってない。
隠れ家見つけて警察に通報する!」
思った通りだ。彼女は諦めなかった。
その男が歩いてくのに合わせて彼女は刑事ドラマのように体を隠しながら後をつけて行く。
どう考えても無理がある、尾行の訓練なんて受けていないふつうの高校生の男女が、真似事の尾行をするなんて。刑事ドラマの尾行なんて視聴者にわかり易く演出してるんだもの。それを真似しちゃだめだよね。
と思っていたら。
「
メッセージアプリのグループ作るから、これで連絡取り合おう。このIDは、他で使ってないから」
やっとID教えてもらえたって、こんな時? 嬉しいのか複雑な気持ちだった。
それから、移動しながら尾行の基本をレクチャーされた。この人はなんでこんなこと知ってるんだと驚いてしまう。考えてみれば、『
でも本物の犯罪者相手だよ、ただの高校生にはさすがに無理がある。
「止めようよ。
警察に通報すればいいんじゃない。ほら、調書を取られた時の担当だって刑事さんとか」
「もう、うるさい。
わたしだってバカじゃない。本当に危なそうだったら逃げるよ」
そう言われて、好意を感じている子を置いて帰れるわけがない。
ひと呼吸置いて答えた。本当なら止めるべきだけど、僕には止める手段がない。なら、付き合ってやる。
「わかった。僕はなにをすればいい?」
そう答える以外の選択肢はなかった。思いっきり不満顔を浮かべて僕は
「ありがとう。
そう言って笑う彼女の顔を見ると、抵抗も何もなかった。彼女に巻き込まれることは、なれないが諦めていた。
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