博物クラブ／恋愛音痴の彼女が好きな僕はどうすればいい？

その二 博物館

　初めて訪れたそこは、博物館だった。

　近隣の街にひとつだけある県営の博物館。いままで来たことはなかった。

　いや、小学校の頃、授業で見学にきたことがあったはず。でも全然覚えてない。

「やった。やっぱり空いてる。休日だと混んでるんだよね。特設展。

　今週末で終わりなんだ」

「へー。ここ、小学校以来だ」

　入り口に大きな案内が出ていた。

『伝説の世界。古代ケルトとアステカの伝説と遺物展』

「見たかったんだ。

　ねえねえ、すごくない？　こんな地方にやってくるのなんて信じられない。

　でもね、週末は混み過ぎてぜんぜんだめなの。眺めるくらいしかできなくて、それじゃあ満足できないよね」

　物珍しそうに周りを見回す僕を無視して、彼女は馴れているのか順路を無視してドンドン歩いていく。歩きながら彼女は独り言のように説明を続ける。僕は遅れないように急ぎ足でついていきながら、知らないことにただ頷（うなず）いているだけだった。

　目的の展示の前に着くと彼女は僕を誘ったくせにすっかり忘れて、展示品に魅入っている。時々説明なのか感想なのかわからないことを呟（つぶや）いている。

　僕は手に残る彼女の手の感触を思い出していた。冷たくて細い指。でも力強く、僕の手を握る掌がだんだん暖かくなってくる感触。掌から視線を上げて彼女の横顔を見る。展示物を覗き込む彼女の瞳が眼鏡の隙間から覗く。

　好奇心でキラキラ光る瞳に長いまつ毛が印象的だった。早足で上がった鼓動と、初めて手をつないだ異性を意識して上がった鼓動の区別はできなかった。

　きっと僕はこの時にすっかり虜になっていたんだろう。

　でも、その時はわからなかった。ただ、いつにない動悸に戸惑いを覚えているだけだった。

「あった。

　これが一番見たかった」

　彼女は後をついていく僕を一顧（いっこ）もせず、お目当の展示物に駆け寄った。彼女の勢いにその展示を見ていた人が場所を開け、ハンチングに指をかけ会釈してきた。彼女も目を合わせ、微笑みと感謝の言葉を返した。

「ありがとうございます」

　彼女の頭上に目をやると特設展示のタイトルが掲示してあった。彼女が見たかったものだ。

『謎のオープス、ケルトとアステカの類似』

　僕はこの分野は知らないのでなんのことやら。

「これ、すごくない？

　時間も空間もすごく離れた場所で見つかった遺物。それもオープスに似たものがあるなんて」

「ウーぷす？」

　さっき場所を開けてくれた人が拳（こぶし）を口元に当て笑っているのが見えた。

　しかたない。恥ずかしながら、僕は歴史的なものは一切知らなかった。歴史の成績はお寒く、興味もなかった。でも、オープスなんで授業で習わないよね。

「ウープスじゃなくて、オープス。

　……オープスはね」

　彼女が浮かべた『知らないなんて？』という表情はすぐに笑顔に変わり教えてくれた。

「オーパーツとも言うわ。

　『場違いな工芸品』のこと。

　作るには、その時代の文明では考えられないレベルの技術や知識が必要な遺物のこと……」

　それからしばらく彼女はオープスの解説をしてくれた。

　先ほどの人が『ほう』と呟くのが聞こえた。そちらに視線を投げると、顔を隠すようにして僕たち、いや展示物からそそくさと歩き去っていった。

　それから、並んで展示物を見た。解説を読んでなんだか解った気持ちにもなれた。目玉は「水晶髑髏とネブラ・ディスク」と掲示されていた。

　ネブラ・ディスクは複製品らしいが、水晶髑髏は本物で神々しく光り輝いて見えた。解説を読んでみるとすごく興味深い事が書いてあった。ネブラ・ディスクは三六〇〇年前のもので太陽太陰暦の天文時計らしいとか。天文時計ってなんだろう。楠本さんに聞いたら教えてくれた。そうか、太陽や月の運行を計算する為のものだったんだ。なるほどなるほど、古代では農耕のタイミングを知る為にも太陽や月の運行はとても大事な事だったんだな。

　水晶髑髏についても、水晶の塊から髑髏の形に削り出すのはとんでもなく時間が掛かる。遺跡から発見され、製作時期が判明していない、などなど……

　誰かと、なんだかんだと感想を言い合うのがこんなに楽しいことだとは思わなかった。

「しかし、意外だなぁ。

　楠本さんがこんなキャラだったなんて」

「そう？　うん、学校で群れるの嫌いなの。

　だって、つまんないじゃない。世の中には面白いことが沢山（たっくさん）あるのに、自分が面白いと思えないことに時間使うなんて。

　授業だってそう。うちの学校の先生の授業はつまんない。だったら、図書館や博物館で勉強した方が絶対（ぜぇったい）面白いし、好きなことを好きなだけ勉強できるよ」

「えー、だって。試験は？」

「試験は教科書を読めばそこそこの点数取れるから、大丈夫。出席数が足りて、単位が取れて、高校の卒業資格が取れれば、学校なんてそれで十分よ」

　僕はびっくりしてしまった。そんな考え方があるんだ。大学受験とか不安じゃないんだろうか。僕には絶対無理だ。

「でもでも、親は大丈夫なの？　受験は？　内申点とか……」

　話しているうちに馬鹿らしくなった。

　彼女はそんなことどう見ても気にしているように思えない。

「もー、面倒くさいわね。

　東雲（しののめ）くんには関係ないことでしょ。それともわたしと《●》付き合ってくれるの？」

「えっ！　え、えーっと。それは？」

　僕は絶句してしまった。まさか、突然の告白……　いくらなんでも脈絡も何もないでしょ。

「あ。

　ちがうから、『わたしに』だから。図書館とか博物館とかでの勉強のことだからね！」

　彼女は慌てて説明をした。その頬がほんのりと赤みを帯びていたことはそのときは気がつかなかった。彼女も気がついて本当に焦ったと、教えてもらったのはずいぶん後のことだった。

「ああ、そう言う意味？

　だったら、もう巻き込まれてるよ。ここ、博物館だし」

　そう言って僕は笑った。

　彼女は、ペロっと舌をだして自分の頭に手をやる。その仕草が自然ですごく可愛く感じた。

　すごく楽しくて、デートなんてしたこともなかったけど、もしかしたらこれはデートなのか？ と考えていた時だった。

『Zoop《ズープ》、Zoop《ズープ》』

　けたたましい音が鳴り響いた。

「なんだ、警報？」

　警報は鳴り続けている。

『火災発生。館内から直ちに退去してください。

　火災発生。これは訓練ではありません。館員は入場者を誘導して直ちに退去してください』

　耳を劈（つんざ）く大音響とともにアナウンスが流れる。

　僕は彼女の手を握り走り出そうとする。

「火事だ！　逃げよう」

　観客たちが一斉に出口に向かう。

「どうしたの？　逃げないと危ないよ」

　彼女は動こうとしない。

「展示物が！」

「そんなことより。早く！　逃げないと」

　焦った僕は、彼女を引きずるようにしてその場から離れた。

　彼女はずっと展示物のほうを見ていた。

　その日はその後も大変だった。

　博物館の外で様子を見ていると、消防車とパトカーの集団が集まってきて大騒ぎになった。

　パトカーの台数が異様に多く、走り回る警官の数もやたら多かった。

　それはそうと、火事はボヤだったんだろうか。煙も見当たらない。

　１時間近く現場を観察している。現場検証しているのだろうか青い制服を来た人たちが出入りしている。

「そろそろ、帰ろうか？」

　なぜか睨むように博物館の方をずっと見ている彼女に声をかける。渋々と僕を見ると困ったような顔をした後に駅に向かって歩き始めた。

「どおしたの？」

「うん、ちょっと気になったことがあったの。でもなんでもない。きっと気のせい。

　もう帰ろ」

　そう言って彼女は笑顔になる。

「そこのキミ達。ちょっとまって」

　何事かと振り向くと警官が走り寄ってきた。

「まずい、補導される？」

　こんな時間に制服姿の高校生は不信だよね。さっきの駅での件もあり嫌な予感がした。

　でも、僕の予感は当たらなかった。制服姿の警官が話しかけてきた。

「博物館で盗難事件が発生しました。

　これは博物館に入場されていた方、皆さんにお聞きしているんです。いくつかお伺いしたいことがあります……」

「割り込んですまん。ちょっと話を聞かせてもらえるかな？」

　そう言って、スーツの刑事が割り込むように声をかけてくる。

　僕らが見ていた展示物が盗まれたらしい。盗まれる直前に見ていたのが僕らだと監視システムで判ったので声を掛けてきたと教えられた。

　僕はすっかり忘れていた。いや気がついてもいなかった。でも彼女はそうじゃなかった。

「わたし見ました。怪しい人……」

　刑事の目の色が変わる。それからが面倒だった。パトカーで警察署まで連れて行かれ、状況や不審者の特徴など微に入り細にわたり質問された。犯人は有名な窃盗団だったということだけ教えてくれた。

　僕は先に聴取が終わったけど、彼女はもっと掛かったらしい。モンタージュの作成にも協力したって、次の日彼女はとても嬉しそうに僕に語るのだった。

　母さんが警察署まで迎えにきてくれ、結局、うちに帰り着いたのは午後八時を回っていた。

　当然のように、学校をサボったこと母さんにえらく怒られた。

　今度さぼったらお小遣いを減らすと言い渡されてしまった。

　とばっちりだ。