博物クラブ/恋愛音痴の彼女が好きな僕はどうすればいい?

灰色 洋鳥

その一 出会い

 その日、僕はいつもより遅い時間に駅で電車を待っていた。腹痛でうちを出るのが遅くなってしまった。季節は初夏、そろそろ暑くなってきたせいか布団を蹴飛ばしてお腹を冷やしてしまったのだ。トイレにこもる事三十分、やっと落ち着いたお腹をさすりながら家から出てきた。学校には遅刻することは連絡してある。

 一限目には間に合わないのでのんびりと電車を待っていた。


 僕は、東雲真仁しののめまひと、高校一年の男子、彼女いない歴一五年。本人はフツメンと思っているがモテた試しがない。別に男子が好きだとか、自分しか愛せないとか、そんなことは全くなく普通のつもりだ。ただ、地味で女の子とうまく話せないので会話が続かないのだ。

 興味を持ってくれる子もいたけど、少し話しするといつの間にか話しかけられることがなくなっていた。男子とは普通に話せたのでそんなコミュ障ということは無い筈なんだけどなあ。まあ、おかげでクラスでハブられることはなかったけど、クラスの周辺で目立たず話題にもなることのない空気のようなポジションになったのも当たり前の事だと思う。


 遅刻といっても登校時間が違うだけ。自宅と学校を往復するだけの当たり前の日のはずだった。

 ホームの際に立っていたのがいけなかった。いじっていたスマホから目を上げ、勢いよく振り向いた。飲み物を買おうと自販機に目をやる。周りが見えていなかった。振り向いた瞬間リュックに衝撃を感じ悲鳴が聞こえた。


「きゃあ!」


 続けて怒号が聞こえた。あんな焦った声を聞いたのは生まれて初めてだった。


「女の子が落ちたぞ」


 最寄りの駅はホームドアがついていなかった。


「いやまだ落ちてない。急げ。引きあげろ」

「助けて、だれか!」

「じゃまだ! どけ」


 誰かに突き飛ばされた。助けに駆け寄ったサラリーマンにだ。転びそうになりながら慌てて振り向くと女の子がホームにしがみついている。周りでは数人のスーツ姿の人たちが女の子に手をかけて引き上げていた。僕も慌てて駆け寄ったが、スーツの人たちがじゃまでそばで見ているしかなかった。

 自分の不注意で事故を起こしかけたんだ、タイミングが悪ければ大変な事になっていたと考えると鼓動が跳ね上がる。急いで電車の発車時刻掲示板を見ると電車が来るまでに時間はある。そうかといっても気持ちは焦るばかり。


「早く、早く」


 小声で呟いていると、女の子は数人の屈強なスーツの人たちに引き上げられた。まだ電車が来るまでに時間はあったというものの見ていた人々の間に安堵の空気が流れた。僕も安堵のため息をつく。自分のリュックに当たって線路に落ちかかったのだから当たり前だ。


 わざとじゃないけど、僕の所為せい…… になるよね。ここは謝らないと。


「ごめんなさい」


 僕の謝罪に女の子を助けてくれた人たちたちの厳しい表情が少しゆるむ。もちろん睨まれたから謝罪したんじゃない。本当に申し訳ないと思ったんだ。焦って、何度も詫びの言葉を述べていた。


 その頃になってようやく駅員が数名走ってきた。

 女の子に声をかけて無事を確認している。怪我もなかったようだ。

 僕はその時にやっと気がついた、女の子の制服が自分が通う高校の制服だということに。


「事情はわかりました。事故だということですね。記録を取るから、事務所まで来てください。

 君、学校は?」

「あ、あの、授業に遅れちゃいます」


 僕の抵抗は虚しかった。女の子と事務所に連れて行かれ、氏名や高校の名前、なぜ通学時間が終わっているのに、ホームにいたのかとか。色々尋ねられる。

 注意しなければダメだとか、何度もお説教をされた。

 理由を説明してもダメだった。授業をサボる素行不良生徒のような扱いを受け、学校にまで問い合わせされた。学校からの返事と僕の説明が違ってなかったので、やっと言葉遣いが丁寧になって解放された。

 そのときには、一時間以上経っていた。

 僕はなんだかすっかり疲れ切ってしまった。

 女の子は被害者なので名前ぐらいしか聞かれていない、扱いの違いに仕方ないとはいえさすがにムカついていたが、やつ当たりする訳にもいかずムスッとしていた。


東雲しののめくん。

 ごめんなさい、わたしもホームのギリギリを走っていたから。

 でも、貸しひとつ!」

「えっ」


 僕はびっくりした、僕の名前を知っていることに。

 慌てて女の子の顔をよく見るとなんとなく見覚えがあった。栗色の長い髪をポニテに留めて眼鏡の奥の緑掛かった茶色の瞳にいたずらっぽい光がある。眉が白い肌に描く緩やかな曲線は意志の強さを感じさせる。


「えーと、ごめん。

 同じクラス?

 名前覚えてないけど……楠本……さん? だっけ」


 駅員に答えていた名前を頑張って思い出した。


「うん、わたしクラスじゃ目立たないから」


 そう言って微笑む笑顔は屈託がなかった。


「すっかり遅れちゃったな」

東雲しののめくん。これから予定ある?

 暇なら付き合って!」


 僕の答えも聞かず手を引っ張り走り出した。


「えっ、えっ。どこ行くの学校は?」

「いいから、良いところ」


 ホームをさっき落ちかけた場所を過ぎ先へ駆けていく。彼女は止まらない。クラスで全然目立たない子とは思えないくらい積極的で元気だった。


 乗り込んだ電車はいつもの降車駅を過ぎ、知らない駅で降り立った。

僕は断ることができなかった。女の子と手をつなぐ! 学校と自宅の往復じゃない! ワクワクしていたんだ。


 学校を休むなんて僕の当たり前じゃない。いつもの毎日じゃない!


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