第7話
「…では、僕があなたの兄に似ていると? ……ご冗談を。あなたのいう兄という人と、僕はあまりに正反対だ。他人の空似ーーああ、世の中にはそっくりな人間が3人いると聞きますし。あなたの勘違いでしょう」
ユージンという青年は、蒼い眼を細めて笑った。
「それに、僕のような顔立ちの人間はいくらでもいますしね。…あなたの言う茶髪に蒼眼なんて、人種のるつぼと言われる此処じゃ、ありふれた容姿です。それに僕には、貴方のような妹なんていませんよ」
青年のその言葉に女が落胆した様子を見せる。
そう言って愛想笑いを浮かべて腕時計に目をやり、ハッとした。どうやら急ぎの用が迫っているようだ。
「すいません…用事があるので、僕はこれで」
──この国に来て早々、ちょっとしたアクシデントが起こるとは。
全く。とんだ女だった。
内心毒づきながら、一瞬だけ嘲笑の笑みを浮かべた。…知り合いと似ている? 馬鹿馬鹿しい。いきなり話しかけて来たかと思えば、身内ではないかと聞いて来た女。大方、先の大戦で亡くしたのだろう身内を探していたのか。戦後の混乱で、未だに戸籍不明の人間はごまんといる。死亡扱いされている人間もだ。藁を掴むような希望でも、縋りたいと願うのが人間の性だが――。
そんな希望を振り払うのは残酷だが、仕方ない。こちらも事情がある。
先程の会話で少し目立ってしまった。良くないことだが、幸い先程のような光景はいつもの事なのか、周囲の人間の興味はすぐに失せてくれた。
内心安堵するのもつかの間。
すぐに思考を切り替える。
こちらは仕事できているのだ。へたに注目を集めるのは――後で上に怒られるので勘弁してもらいたい。
脳内に自分のプロフィールを思い浮かべ、無意識に目を細める。
ユージン・ウィルソン
東洋人系の混血移民。暗い茶髪蒼眼に整った顔立ち。身分証通りに振る舞うことなど造作もない。ーー特徴のないありふれた顔立ち。身分証には愛想の良い笑顔を貼り付けた写真。
ユージンは新天地に希望を持った移民としてこの国にやって来た──。
それ自体は珍しくもなく、ましてや戦後まもない今、落ちぶれた祖国から脱し、他国から多くの移民がこの大陸国に流れ着いていた。
戦争の絶望から希望を。
まるで宝の島とでも言うように、移民の多くが希望と少ない資産を抱えて、新大陸のこの国に淡い夢を見てやって来ていた。
ユージンもその一人ではあるが──他の移民とは少し違う、特殊な事情がある。
この国へと渡ってきたばかりの移民の一人である彼に、移民相手の詐欺まがいの商売を吹っ掛ける悪質な売り手が近付いてくることは度々、いや移民ならば誰だって経験しているだろう。
何度断ってもしつこく付きまとう集団に、悪態を吐きそうになるのを抑えながら、笑みを浮かべて対応する。
そんな集団を撒いた頃には中心街へと足を踏み入れていた。
中世的な西洋の街並みと、近代的なビルディングが建ち並ぶ。旧大陸の古風な文化を残しつつも、最先端の化学が蔓延る──新時代を象徴するような奇妙な街の風景。
古びた石畳の街道は人々で埋め尽くされ、車道には馬車の他に、ここ数十年で普及した自動車のクラクションが鳴り響いている。売り子の呼び声、街ゆく人々のざわめき。
見るもの全てが鮮やかに見えるあまり、目眩がしそうだ。
雑多な街並みに目を細めながら、ユージンは歩みを進める。
途中、無愛想な新聞屋の店主に新聞を買いたいと声をかけ──告げられた値段通りに硬貨を渡す。
去り際に店主が告げた言葉に、───取り繕うような笑みを浮かべて、ありがとうと立ち去った。
去り際にかけられた店主の、
"旅人に幸運を"───と言う言葉。
ごく普通の、一般的な別れの挨拶。
違うのは、この国の公用語では無い所か──ごく限られた者しか学ばないであろう特殊な言葉で話されていた。
───同業者か。
姿が指定されていた訳では無かったにも関わらず、先程の店主の姿をした同業者は、ユージンを看破したらしい。相手の有能さに思わず舌を巻く。
新聞に紛れ込んでいた地図。それに書かれていたのは。
立ち寄った教会に鎮座する神の姿が模された像の祭壇。
何気なく席に座り、祈りを捧げることも無く、ユージンはただそこにいた。
ユージンは熱心な信徒という訳では無い、形式的な信徒だ。あくまでも、ユージンとしてだが。
そんな彼は待っていた。
とある相手を。
ふと気付けば、近くに気配を感じた。人の気配…とは違う、全く別のそれ。人間とは違う息遣い。生命の息吹を感じないソレ。常人がそれに気付いたのなら、無意識に恐怖を覚えるだろう異形の気配を。
だが、ユージンはその存在に怯えることもなく──それに振り向いて微笑んだ。
「……ようやくですか。
……今回の任務の詳細を、教えていただきたいのですが」
その相手は、15歳ほどの少年の姿をしていた。あくまでも幼いのは姿だけであり、実際は───ユージンよりも永く生きる化け物だと、彼は知っている。
周りに人はいない。ユージンが来た時にはいた人影がどこにも見当たらない。もしかすると、目の前のソレに危機感を感じ、去っていったのかもしれないが──。
そんな一般人にバレるようなヘマを、この少年の姿をした化け物がするとは思えないが。
その化け物が、笑った。
「久しぶりだね、───……ああ、今はユージンと呼んだ方が良いかな?」
不意に呼ばれた"本名"に、思わずハッとし───肌が粟立つ感覚。何よりも忌避すべきものに、いとも簡単に触れられた恐怖。無意識に身構えていた。───それが無意味だと理解していながらも。
そうだった。この化け物は、この異形の上司は、全てを理解している。全てを視ている。神のごとく。
自身の全てを握られているような、不気味な感覚。目の前の上司に対する嫌悪感は、久しぶりすぎて、あまりにもおぞましく───吐き気がした。
「卒業試練を無事終えてくれて良かったよ。まぁ、死んだらそこまでの人材だったと捨てるだけだったけどね」
「君の帰りを待っていたよ。おかえりユージン。」
そしてそんな化け物に身を任せた自身も、人ならざるものに堕ちた元人間だということを、何よりも理解していた。
灰色男は夢を見るか @kkkkaku
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