第2話

  慣習。定期的な同業者からの通達、情報の引き継ぎ。

 それらを含めた慣習として、ベンチに座って新聞を広げていた所に、現れた男。

 帽子の影で表情を伺うことはできない。ポケットに入れられたタバコの箱の印から、

 同業者​──恐らくは同じ組織員の男からの接触だと瞬時に察し、内心訝しむ。

  それは、予定されていたものではない。

  変更​───緊急を要するものだと理解すると同時に、渡されたタバコの箱から煙草を抜き出し、接触を終える。部屋に戻って巧妙に隠された情報を読み込む。

    

  ​───"エルレ国……領にアルトゥール軍が侵攻する"‬

   

 その文章の意味を理解した瞬間、

 ‪無意識に浮かべていた、苦虫を噛み潰したような

 苦しげな表情を打ち消し、その文章に目を細めた。‬


  ‪…どうやら彼の国は、宣戦布告なしの侵攻するという。‬

 彼の国側に潜んでいた組織員からと。

 たった数時間で戦況が変わるこの戦争で、その情報は確かな証拠があった。

 彼の国はここ数十年国力を増強し大国となった国であり、一世紀ほど昔から、他の大国と同じように、このエルレ国の地下に眠る豊かな資源を狙っていた。

 何度も戦争沙汰に成りかけては、済んでのところで交渉が功を成し事なきを得てきた。

 …温厚派だった首相が代替わりし、野心家の男になってから、戦争に備えて増強してきたのか。おまけに彼の国は、慎二の母国と同盟条約を結んでいた。開戦すれば条約に伴い、母国の兵士も送られることだろう…。

 

 ‪恐らく、彼の国は徹底的にこの国を潰す​────植民地にするつもりかもしれない。

 今や大国となった彼の国に、抵抗できるような軍事力など無いに等しい。

 情勢から見るに、杞憂が現実になってしまう。この国は平和ボケをしすぎた。‬観光業で財を成す為に金をつぎ込み、軍事力を疎かにした代償だろうか。


 表向きは留学生、裏では諜報員として、開戦する可能性の低いこの国へと送られたが、まさか、踏み切るつもりだとは。​───やられたと顔を顰める。‬


 ‪机に広げれられた新聞には、ここ最近の各国の大々的な開戦記事と、周辺国との関係性を説いた文章が書かれている。‬


 ‪もう少し、この国での情報網は使えるかと思ったが。‬

 ‪主な情報源だった提供者達も、開戦すれば不本意な探りを受ける。

 ‪国内で使っていた情報網は、開戦の影響から一斉摘発が行われるだろう​──。


 小国でしかないエルレ国は、降伏する可能性が高い。

 ‪主な都市部は占拠され、敵国の人間や混血人達は拘束するため、収容所が活躍することだろう。諜報員である己のプライドと、諜報員としての任務の重要性。戦争が始まるとなれば、留学生として引き上げることになる。


 ‪だが、この国に潜む諜報員は一人だけではない。自分と同じ所属員が既に潜んでいる。

 自分が扱っていた情報網は使えなくなるだろう。……引き継ぎを行い、慎二は新たな任務遂行のために帰還せざるおえなくなった。‬

 ‪全ては上司の命だ。‬致し方ない。


 ‪…思わずため息をつく。いくら毒付いても現状は変わらない。‬

 ‪つい数時間前に同じ所属から渡された指令にも、早々に切り上げて帰国してこいと書かれていた。‬

 ‪ 慎二は深いため息をつくと、帰国のために荷物をまとめ始めた。‬


 ‪ーー戦争中ということを考慮し、遠回りとはいえ安全なルートの列車へと乗り込む。‬

 ‪乗車前にーー必要な新聞記事を買い、指定の席へと座り込み、列車が揺れ始める。‬

 ‪いくつかの駅をすぎると、鮮やかな風景から土色の風景へと変わっていく。‬

 ‪風が入り込んでくる。‬

 ‪列車の車窓から見る景色は、なんとも味気ないものだった。‬

 ‪既にエルレ国を出発し、母国大和へと帰り着くには、あと数時間列車に揺られた後、大型船を経由しなければいけない。‬

 ‪比較的都会だったエルレ国と違い、今通っている周辺国は、‬

 ‪そもそもここ周辺の地域は、殆どが作物畑で生計立てて暮らしている。しかもこの時期は丁度刈り時なのか、土色の中に疎らな作物が植えられたままだ。‬

 ‪列車の車窓から見る景色は、なんとも味気ないものだった。‬

 ‪既にエルレ国を出発し、母国大和へと帰り着くには、あとーー時間列車に揺られた後、大型船を経由しなければいけない。‬

 

 

 

 気付けば土気色の景色から、雪が激しく舞い散る雪山の鉄道を走っていた。

 窓から見える景色は、激しい吹雪が降り続けている。

 ‪​───外の景色に向いていた意識を車内へと戻し、渡された書類の内容を脳内に浮かべる。‬

 ‪今回の件は陸路​──この列車内での、情報の引き渡しを指示されていた。‬

 ‪遂行中だった任務の引き継ぎは既に済ませていた。‬

 

 二つ前の駅で降りていった、先程まで相席だった男の手に、引き継ぎの情報が握られている。

 

 ‪後は先の駅で接触する乗客から次の指示を受け取るだけだ。‬

 ‪その指定駅までは数時間ほど残っていた。‬


 瞳を閉じてしばらくした後、浅い眠りへと落ちようとした直前、車内に強い衝撃が走った。

 視界がぐるりと回転すると同時に、意識が途切れた。

 

 暗転。


 ​─────遠くで誰かの声が聞こえる。

熱い。痛い。苦しい。脳に酸素が足りない。助けてくれ、と喚く誰か。

 …ぼんやりと霞んだ視界に映ったのは、色の淀んだ血溜まり。圧迫感。

 痛みに動かした視界に、あり得ない方向に曲がった右腕が映る。

 床に散らばったガラス片。直後に感じた、針で突き刺されたような痛み。

 …おそらく、身体の何処かにガラス片が突き刺さっているのだろう。

 脇腹辺りを貫くようにして、何かが縫い付けている。呼吸をする度に、引き攣るような感覚。

 …全身が痛い。

 そして何よりの異変は寒気。

 身体から流れ出る血は未だ止まっていない。

 寒気がする。熱いはずなのに、ひどく寒い。寒くて寒くて堪らない​───ああ、死ぬのか。

 走馬灯。

 …脳裏に死が過ると同時に、蘇える

 諜報員として叩き込まれ刻まれた記憶。

 

 

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