灰色男は夢を見るか
@kkkkaku
第1話
水面に反射して光を散らす波。浅瀬の底の砂が見えるほど透明度の高い海。美しい海中を泳ぐ色鮮やかな魚。美しい砂浜を歩く観光客らしき姿…。
平日でも人の姿が途切れることはなく、この土地がいかに恵まれているかがよく分かる。
海沿いの街道に立ち並ぶ露店には、この土地独特の文様が彫られた土産物がつりさげられている。
街道を歩く人々の人種は様々で、白い肌やあざ黒い肌は勿論、彫りの浅い顔立ち──東洋系と思われる人々の姿も見える。
今ではすっかり見慣れた光景だが、様々な人種乱れるこの光景を目にした時、やはり異国情緒あふれるなと感じたことを思い出した。
異国情緒溢れる、母国とは似ても似つかない景色。
照りつける太陽の熱は、布で覆われていない肌を容赦なく焼きつける。その暑さは、何処か母国の夏を思わせた。
そんな光景に目を細め、慎二は平和な空気に身を震わせた。
艶のある黒髪に、深い闇色の瞳。彫りの深い端正な顔立ち。
東洋の大和からの留学生、『新田 慎二』。
いかにも好青年と言った雰囲気を持つ東洋人の慎二は、
半年ほど前にこの豊かなエルレ国にやってきた。
美しい砂浜と歴史的建造物が立ち並ぶこの南国には、昔から住む先住民族の血を引く人間や、西欧からの人間が多く住んでおり、一昔前まで、東洋人という黒髪に黄色い肌を持つ人間は殆ど居なかった。
しかしそれも昔の話。
国際化の進んだ今においては、訪れる多くの人種の中に、東洋人が混じることは珍しくなかった。
よって、慎二の姿も、この国では物珍しいものではない。
母国である大和からの支援を得て、遠い異国へと留学してきた身だ。
ようやくこの国の文化や伝統、習慣に馴染み始め、
留学生として通う今では人間関係も順調に進んでいた。
美しい建造物と、人の手の加えられていない豊かな自然。
その景色に魅了されるものは少なくなく、観光業に生かして国の収入として成り立っているエルレ国。
街を歩けば、美しい建造物や自然の中に、観光客の姿がちらほら見える。
喫茶店やレストランには人が集まり、賑やかな雰囲気を漂わせていた。
幼い子供と親らしき人が遊んでいる姿も見られる。
とても他国のような、人が寄り付かない
荒れた地域──無法地帯があるようには見受けられない。
国全体の水準が高いのだろう、治安維持がしっかりなされているらしく、大した犯罪被害もないと聞く。
"南国の楽園"と謳われるこの国は、その名の通り平穏そのものだった。
そんな平和な国の日常に、慎二は眩しげに目を細めて笑った。
──こんな平和な風景を見て、
このご時世、世界的規模で戦争をしているとは。到底思えないな。
そんな皮肉げな笑みを浮かべて。
そう皮肉るほどに、この国は"平和"そのものだった。
戦争が始まったのは、もう随分と昔のように思える。
────19xx年、大国ロレンツと独立したハヴェル国との戦争が始まり。
局地的なモノでしかなかったその争いは、やがて周りの国々すら巻き込み、大規模な世界戦争へと発展していった。
それから1年。
戦争に参加している多くの国から、男達が街から刈られていき、女達は工場で駆り出される日々が続いている。新聞やラジオからは少しずつ娯楽の光が消え失せ、戦争の色へと染まりつつあった。
戦争に参加している多くの国から、男達が街から刈られていき、女達は工場へ駆り出される日々が続いている。新聞やラジオからは少しずつ娯楽の光が消え失せ、戦争の色へと染まりつつあった。
普及しつつある映画の作風も、日常やコメディーを求めるものから、戦争を賞賛するような政治的内容へと変わりつつある。
"世界大戦"と呼ばれるこの戦争は、遂には"この世の楽園"とまで謳われたエルレ国にまで及ぼうとしていた。
先ほどの平和そのものの風景を見た後では実感が湧かないかもしれない。
その気配は、確実にエルレ国に戦争の暗い影は落とし始めていた。
にも関わらず、この国は未だ"平和"の国を謳っていた。暗い現実から目を逸らすように。不安な影に見て見ぬ振りをして。
歪な形ながら、エルレ国は平和な国を謳っていた。
しかし少しずつ戦争の影が色濃くなり、新聞やラジオにも戦争の話題が出ることが多くなっていた。
市民への直接的な影響はまだないが、それでも戦争の色濃い雰囲気が、街を覆い始めてた。
そう遠くないうちに、他国と同じように兵士や軍需工場へと市民が借り出されていくだろう。
このご時世、未だに不参戦国は多いとはいえ、既にいくつかの大国が戦争中ということもあり、
参戦を発表した国の留学生達は、帰国命令が下され始めていた。
この国で出来た数人の友人達の元には、既に母国から帰国命令が送られてきている。
慎二の元へ来るのも、時間の問題だった。しかし彼には未だ果たすべき任務が残っている。
任務を放り出すことは、慎二のプライドが許さなかった──より正確には、『新田慎二』という人間として与えられた役割を、果たせないことが許せなかった。
表向きは留学生、裏では諜報員として、開戦する可能性の低いこの国へと送られた。
たとえ自分が、何者でもない──ただ与えられた任務を遂行するだけの諜報員としても。
──『新田 慎二』という名前を与えられていた諜報員の青年は、深く顔を覆った。
──慎二の平穏なーー例えそれが仮初めのものでも───保たれていた留学生活が、終わりを告げる。
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