第九話 浄化の光
二人で手分けして店の周りを探すと、厨房の裏口あたりにススのような残滓がわずかに漂っているのを茜がみつけた。そこから、二人で残滓のあとを追っていく。
残滓は数メートル、ときには十数メートル離れて、ぽっぽっと道に置き去りにされるように残っていた。何度か見失いそうになるたびに二人で周辺を探索し、つぎの残滓を見つけることを繰り返して、ようやく二人は町外れにある廃屋にたどり着く。
「ここで間違いなさそうだな」
玄関の前に、一際濃くススのような残滓がたまっているところがあった。キヨは長い足をあげると、それを上から踏みつけて地面でぐりぐりともみ消す。
「ここが……」
そこは今にも崩れそうな一軒家だった。庇につるされた提灯は一つも明りを灯すものはなく、破れて落ちているものもあった。
玄関のドアは鍵などかかっていないようで簡単に開く。キヨは胸ポケットから煙草を取り出して火をつけると一息吸った。そして煙草を指に挟んだまま、家の中へと入っていく。茜も彼のシャツの裾をひぱりながら、くっつくようにしてあとに続いた。
部屋の中も、外観と同じように荒れ果てている。あちこちに蜘蛛の巣がはり、床には虫がはっていた。室内にも明りはなく、唯一、キヨが指に挟んでもっている煙草だけがぼんやりとあたりを照らしていた。
単なる煙草の火にしては明るさが強い気がするが、いまはそのあたたかな光がありがたかった。
「現世で想う人がいなくなった霊の家って、こんなになっちゃうの?」
祖父の家とはまるで違う、寒々とした光景に寒くもないのに茜は身体を震わせる。
「いや、ここまでになるのは持ち主の心がよほどすさんでいるからだろうな。普通、霊が『たまゆらの街』からいなくなれば家は自然と消えるんだ。誠司の家は、本人はもうここにはいないけど、想う人がいるから残ってるパターンだな。本人はまだ『たまゆらの街』にいるのに、現世で誰も想う人がいなくなれば確かに提灯は消えちまうが」
「こんなになっちゃうなんて、なんか切ないね……」
茜もいまはまだ母がいるが、もし結婚もせず、ひっそりと誰にも看取られず死んだら『たまゆらの街』で過ごす家がこんなになってしまうのかなと、内心しんみりした気持ちになってしまう。
「どれだけ孤独なやつでも、普通はこうはならねぇよ。明りは買ってくることもできるし、分けてもらうこともできる。この家の持ち主はたぶん、そんなことにも気が回らないほど、恨みと現世への執着にとりつかれちまってんだろ」
廊下を進むと、その奥の床にぽっかりと四角く穴が空いていた。
キヨが煙草の火を穴の方へ向けると、穴の底は闇に染まってまったく見えない。それでも下へ延びるハシゴの上の部分だけが辛うじて見えた。
「地下室があるみたいだな」
「……ここ、行くの?」
「行かなきゃ話にならんだろう」
キヨは肩をすくめると、ためらいもせずハシゴを下りていく。茜は不安な気持ちで、ハシゴを下りていくキヨを見守った。少しずつ、彼の持っている煙草の火が遠くなっていく。
トンと軽い音がしたあと、キヨが下から煙草の火を振ってみせた。
「やっぱ地下室みたいだ。ここはなんともないから、降りてきてみろよ」
「う、うん……」
おそるおそる茜もハシゴを下りてみると、三メートルほど降りたところで足が床につく。ねっとりとした暗闇があたりを満たしていたが、キヨが煙草を持った手を振ると、その周辺だけが切り取られたように明るくなる。
どうやら、あのススのようなものがたまっていただけのようだ。そしてそうやってススのようなものを払えるあの煙草も、普通の煙草ではないようだった。
ススを払ってみると、そこは四畳半ほどの広さしかない小部屋だった。
さらにキヨの後ろにドアが一つ見える。ノブのさびついた、木製のドアだった。
「ここに、あの店を襲ったモノがいるの……?」
「かもな。危ないから、ちょっと避けてろ」
茜がドアとは反対側の隅に避けると、キヨは足を振り上げた。そして、思いっきりドアを蹴り開ける。
次の瞬間、ドアの向こうから何か大きなものが飛び出してキヨの足に襲いかかった。
それは、大きな口に見えた。人間のモノとは思えないほどドアいっぱいに縦に広がる巨大な口。
「きゃ、きゃああ! キヨっ!?」
一瞬、キヨの足がかみちぎられたかと焦った。しかしキヨは、器用に寸でで後ろに下がって避けていた。キヨの足を噛み損なった口はガチンと歯を鳴らす。すかさず、キヨは振り上げていた右足でその巨大な口を顎ごと真横に勢いよく蹴り上げた。
『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
巨大な口は悲鳴のような声をあげると、しゅるしゅるとドアの向こう側へ引っ込んでいく。
キヨもすぐに後を追ってそちらへ行ってしまった。
ドアの向こう側も、やっぱりススのような『穢れた魂』の残滓で満たされているのか、真っ暗で中の様子はうかがえない。
そこに何がいるのか怖かったけれど、こんなところで一人取り残されるのもやっぱり怖い。
「ま、待って!」
意を決して茜も部屋に飛び込むと、真っ暗な闇の中にキヨだけが見えた。
その視線の先に『いたい……ひどい……いたい…』と呻きながらうごめく何かがいる。
「こんだけ残滓が堪っちまうと祓うのも一苦労だな。茜、ちょっとだけ霊力わけてくれねぇか?」
「え、ええっ!? 分けるって、分けたら私、どうなっちゃうんの!?」
「えーっと、現世で目覚めたときにちょっと気だるいかもな」
「それだけっ!?」
「肉体をもって生きてるってことは、それだけすげぇことなんだよ。寝て、飯食って、楽しいことしてりゃ肉体は霊力をどんどん回復させられる。ってわけで、借りるな」
キヨが茜の右腕を掴んだ。そのとたん、急なだるさが右腕を襲う。しかし体調の変化はそれだけだった。
よく見ると、茜の腕からキヨの手を伝って、キラキラと輝く光の粒子が移っているのがわかった。これが、キヨの言う霊力を貸すということなのだろう。
キヨが目の前に掲げた煙草の放つ光がぐんと光を増す。その光は部屋全体を包み込み、『穢れた魂』の残滓を綺麗に拭い去った。
明るく照らし出される室内。十畳ほどの部屋の隅に、黒いモヤでできたロープのようなもので縛られる十数人の人が転がっている。
その部屋の隅に、長い髪を振り乱して一人の女性がうずくまっていた。
『ひどい……ひどい……なんでこんなことをするの……』
女は泣いているようだった。しかし、そのすすり泣く声に地の底から響くような薄ら寒さを感じる。
キヨの煙草によって祓われたはずのススが、再び女の周りにもやもやと湧き出して女を包みはじめる。
『ひどい……こんなこと、ゆるさない……許さない……許されるはずがない!!!!』
女がガバッと勢いよく顔をあげる。乱れた髪の間から覗く顔は、全体が口になってしまったような異形の姿をしていた。その口からはびっしりと犬歯のような鋭い歯と真っ赤な舌が覗いている。
その口だらけの顔がみるみる巨大化していき再びキヨに襲いかかろうとする。
しかし、キヨは今度は避けなかった。
「さんきゅな。もう充分だ」
キヨは茜から手を離すと、煙草の火を女に向けた。
「撃て!」
キヨが声をあげると、煙草から光の玉のようなものが放たれる。光の玉は女に当たると一瞬にして全身を包み込んだ。
『ギャァァァァァァァァァァァァ』
女の断末魔が響き渡った。光の玉の中で女はもがくものの振り払うことはできず、その顔が元の大きさまでしゅるしゅると小さくなっていく。
そしてついに女はパタリと地面に倒れて動かなくなった。
「やっつけたの?」
「やっつけたっつか、捕らえただけだ。負のエネルギーに正のエネルギーをぶつけて無力化したって感じかな。茜のおかげで増幅できて助かった。俺一人じゃ逆に打ち負かされてたかもな……」
「正のエネルギー……。キヨの霊力が、そうだっていうこと?」
キヨは、早速手に持っていた煙草を吹かすと、やれやれといった様子で煙を吐き出した。
「いや、違うな。生前の俺を偲んでくれる現世のやつらの想いだよ」
そう言って笑うキヨは、どことなく寂しそうだった。
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