第十話 再会

 そのとき部屋の隅に倒れていた人たちの方から「ううん」という声が聞こえてくる。


 見ると、それまで彼らを拘束していた黒いロープ状のモヤのようなものが消えて、彼らは自由に身体を動かせるようだ。


 茜は彼らに呼びかける。


「この中に、料理屋さんのご主人はいらっしゃいませんか」


 すると、一人の男性が手をあげた。


「あの。私、ですが」


 四十前後とおぼしき、白いエプロンをつけた男性が手をあげていた。

 少し垂れ目がちの優しそうな男性だ。すぐさま茜は彼に訴える。


「レオ君という男の子があなたに会いに来ています!」


 その言葉を聞いて、彼は目を大きく見開いた。


「レオが……?」


 そのとき、キヨが茜の肩をポンと叩く。


「先に、レオんとこに彼を連れて行ってやってくれ」


「キヨはどうするの?」


 彼は部屋の隅で光に包まれて蹲っている『穢れた魂』と化した女をちらと見た。


「俺は、あの女をしかるべきところに連れてくよ」


「しかるべきって……もしかして、消してしまうの?」


「違うって。留置所みたいなとこ。そこで他の霊と接触できないように隔離するんだ。そのうち毒気が抜けて元の穏やかな霊に戻るやつもいるし、戻れなくて長い時間をかけて消滅するやつもいる。それはまぁ、本人次第だな」


「そっか……。うんっ、わかった。私、先に彼を連れてあの料理屋さんに戻ってるね」


 というわけで、後処理のあるキヨはその場に残し、茜はレオのパパさんを連れて料理屋さんへと戻ることにした。




 料理屋さんへ近づくにつれ、パパさんの足が速くなる。

 きっとレオに会えるのが待ちきれないのだろう。こういうところは、レオとパパさん、そっくりだなと茜は密かに微笑ましく思いながら茜も後に続いた。


 パパさんは料理屋さんの前まで駈けつけると、ドアの前で立ち止まる。


 そしてドアの前で深呼吸を一つしたあと、ゆっくりとドアを開けた。


 その向こうで待っていたのは……。


 ワン! ワンワンワン!!!


 金色の毛並みをした大きな犬が店の中から勢いよく飛び出してきて、パパさんに飛びついた。


 その犬をパパさんは両手を広げて受け止める。


「レオ! レオ、お前ずっと私のことを待っていてくれたんだね。……ごめんな。私が店で倒れたばっかりに、ただいまができなくて……」


 大きな犬……いや、きっとこれが本来の姿なのだろう。レオは人間ではなく、犬。それもゴールデンレトリバーという犬種だったようだ。


 レオは引きちぎれんばかりに尻尾を振って、パパさんの顔をぺろぺろと嘗めた。

 パパさんは満面の笑顔だったけれど、その双眸からはポロポロと涙が止まらない。


「レオ。お前と会えてうれしいよ。ありがとう。会いに来てくれて、本当にありがとう」


 パパさんはぎゅっと包み込むようにレオを抱きしめて長らく離さなかった。





 その後、レオとひとしきり抱き合って落ち着きを取り戻したパパさんは、茜たちにお礼をしたいと言いだした。茜たちに自慢の料理をごちそうさせて欲しいというのだ。


 そういえば茜はこの『たまゆらの街』に来てから何も口にはしていない。


 「さあ、どうぞ座って」と無事だった席に座らされて待っていると、目の前にどんどん大皿の料理が並べられていく。あつあつのラザニアや、魚介がたっぷりのったパエリア。ぱりぱりとした薄生地のピザ。具だくさんのアヒージョなどなど。


 ちなみにレオもエサ皿に犬用のごはんをもらっていた。すぐに食べ終えた彼はいまテーブルの下で安心しきった様子で眠っている。

 目の前の料理を睨みつつ、茜は迷っていた。


(私、生霊なんだけど。食べても大丈夫なのかな……食べたら現世に戻れなくなる、とかないよね)


 昔、そんな昔話を聞いたことがあった気がして、せっかく出してもらったものの口をつけていいものか悩んでいると、ちょうどキヨが店に戻ってくる。


「お! すげぇ料理だな。上手そうな匂いが漂ってるとおもった!」


 キヨはピザを一枚手に取ると、美味しそうに口に運ぶ。そして、まだ何も手をつけていない茜を見て不思議そうな顔をした。


「……お前、食わねぇの? もしかして、好き嫌い多いタイプ?」


「そんなんじゃないけど! 食べても、大丈夫なのかなって……」


 迷っている茜に、キヨは笑う。


「別に、大丈夫だってば。お前にとっちゃ、夢ん中で飯食ってるようなもんだろ」


「やった! 食べてもいいんだ! いただきます!!!」


 キヨがそう言うなら大丈夫だろう。どの料理も本当に美味しそうで、ずっと食べたくてしかたがなかったのだ。

 早速アヒージョをパンに載せて口に運ぶ。


「くーっ、めちゃめちゃ美味しい! 幸せ!」


 冷えた白ワインも料理の味をひきたててくれる。


 ニコニコ顔で料理をほおばっていると、向かいに座ったキヨと目があった。なんとも微笑ましいモノを見る目でキヨは茜を見ていた。同じ年頃の男性にそんな風に食べてるところを見られるのはちょっぴり恥ずかしくもあったけれど、それ以上に料理が美味しくて手が止まらないので気にしないことにした。


 そして二人でテーブルの料理を食べ終わったころ。


「そろそろ、次の電車が出るまで時間がなくなってきたな」


 キヨが腕時計を見ながら言う。


「そっか。もう、帰らなきゃいけない時間なんだ……」


 行きの電車でたまゆらの駅に着いたときは不安で仕方がなかったけど、キヨやパパさんに出会ったいまとなっては離れがたく想う気持ちも生まれ始めていた。


 だが、ここにずっといるわけにもいかない。茜の身体はまだ生きているのだから、身体と魂を繋ぐ輝く糸が切れる前に現世に戻らなければ。

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