第八話 穢れた魂
茜は、さらに言葉を加える。
「そうじゃなくて、パパの名前を教えてほしいんだ。私は久保茜。そんな風なパパの名前、覚えていないかな?」
男の子はしばらく「うーん」と首を傾げた。
「ママも、ミクちゃんも、パパのことはパパって呼んでたよ?」
その後も住んでいる場所や、ママの名前、通っている学校などを聞いてみたけれど、男の子は不思議そうに首をかしげるばかりだった。
この年齢で学校に通っていないどころか、学校について尋ねると「あ、しってる! ミクちゃんがランドセルもっていくところだ!」と返してきたときは驚いたけれど、考えてみれば見た目と実年齢が同じとは限らないので、もしかしたらこの子の実年齢はまだ学校にあがる前の年頃なのかもしれないと思い至った。
だとすると、住んでいる場所や、両親の名前がわからないことにも合点がいく。
「でも、これじゃあ、あまりに情報が少なすぎるな」
キヨが唸る。
「そうだよね。毎週火曜日が休みってことはサラリーマンや公務員なんかじゃないことは確かなんだろうけど」
「せめてパパとやらが、どういう仕事してたのかわかればな……」
とキヨが呟いたときだった。
男の子が、キヨの腕を掴んでぴょんぴょん飛び跳ねだす。
「そうだ! 思い出した! パパ、とっても料理するのが上手なんだよ。だからオシゴトでみんなにごはんをつくってるって言ってた。みんなパパのつくるごはんが大好きなんだって! パパの作ったごはんをたべると、みんな笑顔になるんだって! ママが言ってた!」
それを聞いて、キヨがパチンと指を鳴らす。
「料理人か。だったら、こっちでも料理人やってるかもしれないな。そういえば、最近、すげぇ上手い飯屋ができたって噂になってたんだ。そこ行ってみっか。そいつじゃなかったとしても、料理人同士の横のつながりでなんか知ってるかもしれねぇし」
というわけで、その男の子をつれて茜たちは噂の料理屋さんへと向かうことになった。
男の子の涙もすっかり止まり、茜に手を繋いでもらってご機嫌に歩いている。
「私は茜っていうの。そっちのお兄さんはキヨ。君は、なんて言うの?」
「僕はレオって言うんだよ。ミクちゃんがつけてくれたんだ!」
「レオ、レオか。かっこいい名前だね」
茜の言葉に、レオはパッとお日様みたいな笑顔になる。
「うんっ。僕も大好きっ」
噂の料理屋さんは『たまゆらの街』の繁華街の一角にあった。
五階建てのビル。というか、一軒家の上にさらに一軒家を増築したようなこの街独特の不思議な建物の一階部分が料理屋さんになっているようだ。
その店の庇には明かりの灯ったたくさんの提灯が下がっていて、周りと比べても一際あたたかな光に包まれている。
このお店の料理人は生前たくさんのひとに愛され、そして死後も多くの人が偲んでいることが一目瞭然だった。
その店を見た途端レオが、
「パパだ! パパの匂いがする!」
と言って、茜とつないでいた手を離すと店に向かって転がるように走り出した。
「あ、ちょっと待って!」
慌てて茜とキヨの二人もレオのあとを追う。
しかし、レオは勢いよく店の扉を開けたものの、中には入らず立ち止まった。
「どうしたの?」
小さなレオの上から頭を覗かせて店内を見た茜は、はっと息を呑む。
「なに、これ……」
店内に人の姿はなかった。そのうえ、店内は酷く荒らされている。真っ二つに折れ、横倒しや逆さまになったテーブルがあちこちに転がっていた。そのまわりには壊れた椅子が散乱している。
店内が煌々と明るい分、荒れた様子が余計に異様さを醸し出していた。
「ちょっとごめんよ」
異様な光景に固まる茜とレオを押しのけて、キヨが室内に入っていった。
キヨは店の中央まで歩いて行くと、ぐるっと店内を見渡す。
「『穢れた魂』に襲われたんだな。まだわずかに気配が残ってる。そんなに経っちゃいなさそうだ」
キヨが空中に手をかざすと、そこに黒い粒子のようなモノが一瞬見えた気がした。それを彼はぎゅっと握りこむ。
「穢れた魂?」
茜はレオの手を引いて、慎重に店内に入る。
「ああ。すべての霊が、この『たまゆらの街』で来世に向かう覚悟ができるまでおとなしくしてるわけじゃない。特に現世に恨みを強く残してきたやつの中には、なんとかしてもう一度現世に戻って恨みを晴らそうとする連中がいるんだ。そういうやつらは、現世と来世の垣根を跳び越える霊力をつけるために、他の霊を喰おうとするんだよ。そういうのを『穢れた魂』と俺らは呼んでる。まぁ、それを見つけて捕縛するのが俺の一番の職務なんだけどさ」
「そんな……じゃ、じゃあ、もしかしたらこの店の人たちはその『穢れた魂』に……」
レオの手前、その先は口には出せずごくりと生唾を飲み込んだ。
シクシクとレオが泣き出す。
「ここには、パパの匂いがいっぱいだよ。パパ、ここにいたのに。どこに行っちゃったの……」
やっぱりこの店はレオのパパがやっていたもので間違いないようだ。せっかくここまでたどり着いたのに、と茜が居たたまれない気持ちでレオを見つめていると、レオの肩をキヨがぽんと叩く。
そして、姿勢を低くして彼と目線を合わせると、安心させるようににっこりと笑いかけた。
「襲われたのは、おそらくついさっきだ。もしかしたらまだ無事かもしれないから、俺たちが探してきてやるよ。だから、お前はここで待ってろ。な?」
涙の流れる目元を手でぬぐいながらも、レオはこくんと小さく頷いた。
「よしっ、良い子だ」
キヨはわしゃわしゃとレオの頭を撫でて、腰を起こす。そして、店内をざっと調べて歩くが、厨房にも裏口にも人っ子一人いないようだった。
「やっぱり、外に逃げたらしいな。店長と客も浚ってるとなると、まだそう遠くまでいってなさそうだが。とりあえず、探しに行くぞ」
レオを店においたまま、キヨは茜をつれて店の外に出る。
「ね、ねぇ。あんな小さい子を一人で置いておいて大丈夫かな。私も残った方が……」
「あいつは見た目はあんなだが、人間じゃねぇよ。十歳っていえば、もう充分大人だ。とはいえ人間よりも魂の形が小さくて『穢れた魂』にとりこまれやすいから、ここに置いていく方がいい」
「人間じゃない?」
それってどういうこと? と問いかけようとしたのだけど、それより早くキヨが茜の顔の前に手のひらをかざして見せた。
「お前、この手のひらについたものが、見えてるよな」
キヨの手の平は、黒いススのようなもので汚れていた。
どこでそんな汚れが付いたんだろうと思い返して、店に入ったばかりのときにキヨが空中を漂うススのようなモノを掴んでいたことを思い出す。
「そのススみたいなのって、さっき店内でただよってたやつ?」
茜が返すと、キヨはにやりと口端をあげた。
「やっぱり見えてたんだな。生霊の周りに漂う光の粒も見えたっていうから、これも見えるんじゃないかと思ったんだ。これは、『穢れた魂』の残滓だ。生霊の周りにある光の粒とは真逆の負のエネルギーだ」
キヨが汚れた手をズボンで拭うと、あっさりと汚れは落ちた。見た目だけでなく、実体もススのようなものらしい。
「ほかの霊を食らうと霊力自体は高まるが、同時に個々の魂が持っている穢れも積み重なっちまう。それが本人の持つ恨みと合わさるからどんどん負のエネルギーも強くなる。だから『穢れた魂』が通ったあとは、この残滓が残りやすいんだ。とりあえずいまのところ、この残滓をたよりに行き先を探すしかない。お前もこれが見えるヤツで助かったよ」
つまり、茜も一緒にその『穢れた魂』の残滓とやらを探せということらしい。
「じゃあ、早く探しましょう! レオのパパが危ないんでしょう?」
「ああ、そうだな」
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