ディアーネの結婚話①
「ディアーネ、そこに座りなさい」
「はい」
ディアーネに着席を促したのはルアド=ギアム=ザイエルグラン。ディアーネの父であり、ザイエルグラン伯爵家の当主である。
ディアーネは父に戻ってこいと言われて久しぶりに実家に戻ってきたのである。
ディアーネが着席するとすぐに侍女達がディアーネと父ルアドに紅茶を淹れる。紅茶の芳しい香りが部屋に広がった。
ディアーネはヴェルティアの専属侍女ではあるのだが、実家のザイエルグラン伯爵家の一人娘であり、侍女たちにかしづかれる立場であるのだ。
「それでどうされたのです?」
ディアーネはルアドへ問いかけた。何も要件を告げずに戻ってくるように告げられれば当然の問いかけである。
「あ、ああ。そのな……ディアーネ」
「はい?」
やけに緊張しているルアドの姿を見てディアーネは首を傾げる。
ルアドは地方行政が適格に行われているかを監督する巡検使という役職についてる。このアインゼス竜皇国において汚職は限りなく少ない(理由は察してほしい)が、それに油断して監視をしないわけにはいかないのである。
巡検使というのは、場合によっては命を狙われるために戦闘力が高いものが選ばれる傾向にある。ルアドもその例に漏れず、戦闘力は非常に高い。ディアーネに
「そのな……ヴェルティア様がご結婚されたろう?」
「はい」
「それでな……お前もそろそろ婿をとってほしいと思ってな」
「あぁ、そのことですか」
言い出しづらい雰囲気を出していたために何かと思ったら婿どりの話であったということでディアーネとしては拍子抜けしてしまった。貴族令嬢であるため、いつまでも独身というわけにはいかないのであり、そのことをディアーネは当然のごとく理解していた。
「それでお見合いのお相手は?」
ディアーネの問いかけルアドは少し言い淀んだ。
「あのな……その……」
「?」
ルアドの様子にディアーネの疑念は深まるばかりであった。ディアーネにとって父は娘に少々甘いところはあるのだが、それでもきちんというべきことは言うという性格であり、ディアーネとすれば奇妙な反応でしかなかった。
(ひょっとして何かやらかしたというわけかしら? それとも上の家格からのお話で断れないということかしら?)
ディアーネはそう判断するとルアドの目をじっと見つめた。こういう時は、下手に声をかけることなくひたすらじっと見つめるというのがディアーネの対父に対する手段なのだ。
ディアーネの無言の圧力にルアドの額に汗が浮かんでくる。
「……あのな」
煮え切らない態度のルアドに対してディアーネはすくっと立ち上がるとそのままドアに向かって歩き出した。
「わーーー!! 待て待て!! 待ってくれ!! ディアーネ!!」
ディアーネの話の打ち切りを宣言するかのような行動にルアドは慌ててディアーネを呼び止める。しかし、ディアーネは歩を止めようとはしない。
「言う言うから!! 待ってくれ!!」
ルアドの言葉を受けてディアーナへ立ち止まりくるっと振り返るとニッコリと笑った。その笑顔は非常に美しいものであるのだが、目が笑っていないことにルアドは気づいた。
まるで「早く要件を言えよ!!」という圧力をかけているようである。
「あのな、お前の
「……は?」
ルアドの思いがけない言葉にディアーネの声が一段階下がる。同時にディアーネから放たれる威圧感がグンと増し、遠くで鳥たちが一斉に飛び立った。
「お父様……いえ……伯爵閣下。もう一度おっしゃっていただけますか?」
ディアーネの伯爵閣下という呼びかけは宣戦布告に等しいものであり、相当怒っているのがありありとわかる。
「ま、待て!! 落ち着けディアーネ!! これには深いワケがあるのだ!!」
「ではその深いワケというのを聞かせてもらいましょうか? 当然誰をも納得させることのできる正当性と合理性があると信じております」
ディアーネの問いかけは中々意地の悪いものである。もし、誰をも納得させることのできる理由があるならルアドはそこまで言い出しづらいという雰囲気を出すことはしないだろう。
「も、もちろんだ……あるぞ……誰をも納得させることのできる……」
「周りくどいですよ? 伯爵閣下? 早くその理由とやらを話していただけませんかね? 私もそんなに暇ではないんですよ?」
ディアーネは空間に手を突っ込みながら告げる。ディアーネが取り出そうとしているのは
「そのな……私の部下がお前に惚れててな。どうしても……と言ってきてな」
「ほう……それでは聞きますがまだ話してないことがあるでしょう?」
「う……」
「まさかと思いますが……伯爵閣下は私をどこぞの金持ちの後妻にして金を得ようと思っているわけではないですよね?」
「そ、そんなことするか!!」
「ですよね? ですけどそう言われても不思議ではない主張をされている自覚は伯爵閣下にはおありですか?」
「わ、わかったから、その伯爵閣下と呼ぶのは止めろ!!」
ルアドはそういうとため息をつく。流石に愛娘に伯爵閣下などと呼ばれるのは心に重いものが来るというものである。
「それは話の内容次第です」
ニッコリと笑ってディアーネがいうと観念したようにルアドは口を開く。
「実はさっきも言ったように私の部下がお前に惚れていてな。私自身は軟弱者にお前の婿にさせるつもりはなかったから。私と戦って勝ったら結婚を認めるという条件を出したんだ」
「なるほど……娘の意思など関係ないのは貴族としてあり得る話ですが……よくもまぁ。私を景品にしてくれましたね?」
「その辺はすまなかったと思うよ。しかし、初めての勝負から十年だぞ?」
「え?」
ディアーネはあまりの予想外の言葉についつい芸のない返答をおこなってしまった。
「十年ほど前にお前に一目惚れしてから婚約を申し込んできた。さっきも言ったが、私としてはお前と結婚するということはこのザイエルグラン伯爵家をお前と共に支えることになるんだ。うちの家業は巡検使だ。生半可な実力では無理だろ」
「それで勝負を……というわけですか?」
「ああ、十年も私と勝負し続けてついに私は敗れたというわけだ。流石に十年も勝負を挑み続けてくるような相手を今更なかったことにはできないだろう」
ルアドの言葉の端々に申し訳なさが滲んでいる。
「……重いですね」
「ああ……」
ディアーネの言葉にルアドの声にはさらに申し訳なさが加わった。
「でも、それだけの努力を重ねて
「え?」
ディアーネの言葉にルアドは少しばかりびっくりした表情を浮かべた。お父様呼びになっていることはある種峠を越えた感覚になったのも事実である。
「さて……お父様に勝つほどの修練をしたというお方のことを少し教えていただきますか?」
ディアーネはニッコリと笑った。
「ああ……年齢はお前と同じ19歳、ヒイロ=リーラワルト男爵だ」
ルアドの言葉にディアーネはまたも嗤った。
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