第162話 動乱後始末④

「どうしたのかね? 私の言葉がそれほど意外とは到底思えぬが?」


 ムルバイズの言葉にラフィーヌの頬に一筋の冷たい汗が流れた。


「い、いえ……」

「そうか。ならば続けよう。陛下は人族間で起こる戦争に介入するつもりは一切ないので安心してほしい」

「そ、そうですか」


 ラフィーヌはチラリと部下達を見やるとほとんどの者達が顔をこわばらせている。ラフィーヌだけでなくこの場に出席している面々はエルガルド帝国が追い詰められていることを認識しているのだ。


「あ、あの……よろしいでしょうか?」


 エルガルド帝国側から声が上げられた。声を上げたのは歳若い文官で名をエイトール=レベンズ。おずおずと手を上げた姿が弱々しくもあるが、どことなく油断ならない印象を与えた。


「魔王陛下が人族に介入しないという意向であると言うのはわかりました。しかし、それならばなぜ昨日我々を助けていただけたのですか?」


 レベンズの問いかけにムルバイズは全く調子を崩すことなく返答する。


「ふむ、どうやら誤解があるようじゃのう」

「誤解?」

「そう陛下は貴国を救援するために神族達を蹴散らしたのではない。救援したのは貴国が異世界より召喚した三人よ」

「レンヤ様達ですか?」


 レベンズが戸惑いの表情を浮かべた。


「そうじゃよ。あの三人は魔族と人族との戦争を回避することでエルガルド帝国を救おうとしたのじゃ。それは我ら魔族の利益に通じるものがある。魔族のため・・・・・に動いた者達を救わねば陛下の名に傷がつくと言うものじゃ。だからこそ助けた」

「……」

「我々は三人が殺されそうとなっている事を察知してやってきたわけじゃ。三人の相手は当然エルガルドかと思っておったが、神族であったことは流石に驚いたがなの」

「な、なぜ我々が救世主の方々を害すると? そのような事を我々がするはずはない!! あまりにも無礼だ!!」


 レベンズの言葉にエルガルド帝国側の出席者に憤る雰囲気が発せられた。それをムルバイズは全く意に介した様子はない。


「ふむ、誤解は未だ解けていないようじゃのぅ」

「え?」

「我々はエルガルド帝国ごとき・・・に何ら価値を見出してはおらぬ」

「な……」


 ムルバイズの発言にレベンズは絶句してしまう。ここまで国家間の交渉において公然と無価値であると言い放った事に絶句するのは当然であった。


あの程度・・・・の神族にいいようにやられる程度の国家など手を組むには値せぬ。だからこそ陛下は不干渉を望んでおるのじゃよ」

「く……」

「摂政閣下はどう思われる? そこの文官殿はエルガルド帝国が未だ・・大国であると言う認識のようであるがのう?」


 ここでムルバイズはラフィーヌへと矛先を変える。ムルバイズは出来の悪い生徒を試験監督しているかのような視線であった。

 元教務院のトップであったムルバイズは教え導く事を主目的とするところがあるのは事実である。このような問いかけをするのは決して珍しいことではない。ただ、ムルバイズの実力を知る者は身を固くするのが常であり、知らない者であっても威圧感は凄まじいものであり気後れしてしまうのだ。


「大国であるとは思っています……ですが追い詰められています」


 ラフィーヌの言葉にムルバイズはニヤリと笑う。


「ふむ、なかなかの回答じゃな。現時点ではまだ大国の地位にあるといえるが、それも先日の話が広がるまでじゃろうな。それを認識してさらに無価値であるといったことに反論する。言い換えれば今手を組めば我らにも利益はあると言いたいわけじゃな?」

「……はい」

「さらに言えば我々がエルガルドを助ける……いや、保護国・・・化する利益はどのようなものかを摂政閣下がどう提示するかが非常に楽しみにしておるよ」


 ムルバイズの保護国かという言葉にエルガルド帝国の面々は応えることができない。そこにムルバイズはさらにたたみ込むかのように話を続けていく。


「我々は人族と事を構える気などない。人族を奴隷にする利点など何もないからの。いつ逆らうかのような信頼を置けぬ者を魔族の領域フェインバイスに招く意味など何もない」

「我々を反乱予備軍と見做しているわけですか?」

「いや、そうは思っておらん。人族は神の奴隷であり、我々の奴隷ではない。我らの陣営ではない以上反乱も何もないだろう?」

「そのような言葉の上げ足取りをしても仕方ないのではありませんか?」

「上げ足取り程度に対応できない程度の能力で何を言っておるのじゃ? 人族は長い年月魔族の領域フェインバイスへ何度も侵略行為を行った。そちらの公式な謝罪をしていないのに信頼してくれなど虫の良すぎる話であろう?」

「く……そ、それは……」

「先王陛下の寛大な心に感謝するべきではないのか? 先王陛下は何度も報復の具申を退けておったわ。先王陛下の寛大な心につけ込んだのが人族じゃよ。自分達を賢者と思い込んだ愚者、強者と思い込んだ惨めな存在……それが人族じゃよ」


 ムルバイズの言葉は強烈な刃となりラフィーヌ達に振り下ろされる。ムルバイズの言葉の刃に感情で反論したくなるが、論理的に反論することはできない。実際に、過去の侵略行為に対して何ら謝罪行為を行っていないし、報復行為を魔族が行なっていない以上正論であるのは間違いない。


「さて侵略された側が侵略者を助ける利点は何かな? 君達は魔族により既に罪を見逃してもらっただけで十分に利点を得ておると思うのじゃがな?」

「……利点はあります!!」

「ほう。まさかと思うが緩衝地帯として役に立つという意見ならさほど魅力は感じんぞ」

「つ……」

 

 ムルバイズの言葉にラフィーヌは二の句が告げなかった。提示しようとした利点はまさにそれであったからだ。


「もちろん、軍事力による相互貢献など不可能じゃ。我らとエルガルド帝国では軍事力に天と地ほども差があるしのぅ」

(まぁ、昨日見せた軍事力は確実に魔族の領域フェインバイスの最大戦力といえるがのう……それを知らぬエルガルドには脅威じゃろうて)


 ムルバイズは心の中でニヤリと笑う。軍事力を見せつけるというのは交渉の材料として悪手では決してないのだ。しかも、自分達が勝てなかった天使達を一掃した絶対的強者がここに二人来ているというのも限りなく大きい。


「エルガルドは確かに人族の中では強国なのじゃろうな。じゃが、今後の人族が魔族の領域フェインバイスへと侵攻してきても独力・・で蹴散らせば済むということじゃ」

「く……」

「わかったかの? エルガルドを助ける利点が我々には実益的にも心情的にもないのじゃよ。だからこそ、エルガルド帝国とは相互不干渉を条約として結ぼうというのじゃよ」

「しかし、我々が滅びれば新たな人族の国家が魔族の領域フェインバイスへと侵攻します。それでもよろしいのですか?」


 ラフィーヌは自分自身がこの論理は苦しいことを自覚している。しかし、ラフィーヌとすればこの旗色の悪すぎる状況を打破するためには何でもやってみるしかないのだ。


「そうじゃの……副使、オルビス王国が魔族の領域フェインバイスに侵攻したとしてどれほどの兵力が派遣される?」


 ムルバイズは直接ラフィーヌの言葉に答えずにジュリナへと問いかけた。


「そうですね。現在・・のオルビス王国を考えれば派遣される兵力は15,000というところでしょう。それを我々が迎え撃つとすれば……三個大隊であれば十分に敗走させることが可能です。もし、殲滅を求められるなら一軍団を派遣すれば殲滅させるには十分かと……」

「そうじゃろうな。さて、摂政閣下、我が軍のことは知らぬであろうから難しかろうが、オルビス王国が魔族の領域フェインバイスに派遣する兵力は15,000という我らの見込みに誤りはあるかの?」

「あります。オルビス王国ならば周辺国との関係を考えれば五万の軍を派兵することが可能です」

「そうか。副使は国王の性格を考えてからの発言じゃったのじゃがのう」

「う……」

「どうしたのかな? 現在のオルビス王であるレアンティルム3世は非常に慎重な男ゆえ五万のもの兵を派遣することはせぬであろうという判断を下したのじゃがな」

「く……」


 ムルバイズの言葉にラフィーヌは何度目の反論を封じ込められた。ムルバイズの言葉は人族の情報を把握している事を告げるものであり、その事に気づいたラフィーヌは唇を噛み締めてしまう。


「コービオル王国は、先王が崩御したばかりであり、王太子派と第二王子派が互いに反目しあっておるから魔族の領域フェインバイスへと軍の派兵は数年は無理じゃな。さて、エルガルド帝国が滅びても即座に魔族の領域フェインバイスに侵攻してくる国は思い至らんのう」

「そ、それは……」

「わかったかの? エルガルドの介入をする利点が魔族には全くない。エルガルドを助ける利点を提示してくれんかな? 小出しにしても仕方ないぞ」

「う……」


 ラフィーヌはムルバイズの言葉に唸るしかない。


(何を提示すれば……)


 ラフィーヌは頭を高速回転させてムルバイズへと提示する条件を考えていく。


(軍事力はダメ、経済力も及ばない……魔族にはなくて……我が国にしか・・ないもの……)


 ラフィーヌは今までの人生で最も頭を高速回転させたことであろう。


(あ……)


 その時、ラフィーヌの頭に一つの考えが浮かんだ。それはムルバイズのこれまでの言葉にあった。価値を見出していないという言葉である。現状でエルガルド帝国が提示できるものは魔族に提示することはできない。ならば作ってもらう・・・・・・しかない。


「あ、あります!! 神の情報です!! ディアンリア・・・・・・がこれまでエルガルドに現れてからの記録があります!!それを魔族の皆様方に提示いたします」

「ほう……」


 ラフィーヌの言葉にムルバイズが初めて興味を示した。そのことにラフィーヌはホッ・・と胸を撫で下ろした。


「なるほど……ディアンリアの情報か。面白い」


 ムルバイズの言葉をジュリナも頷いた。


「その情報料としてエルガルド帝国は何を求める?」


 ムルバイズの言葉にラフィーヌはゴクリと喉を鳴らした。いや、ラフィーヌだけでなくエルガルド側の面々もゴクリと喉を鳴らした。


「我々エルガルドと手を組んだと……宣言してくれれば十分です」

「ふむ、つまり陛下の威光を利用すると?」

「い、いえ……縋らせてもらうのです。現状のエルガルドは他国から神の敵として攻め滅ばされる運命となります。それに対抗するためには魔王キラト陛下の名に縋るしかないのです。実際に兵を出してもらって助ける必要はありません」

「しかし、実際に助けねば陛下の名に傷がつくと思っているのではないかな? そうなれば実際には助けると……な」

「い、いえ、それはありません」

「それに魔族と手を組むことはエルガルド帝国内で大きな論争を巻き起こすであろうな? そうなればエルガルド帝国はいくつかに分裂することであろうな」

「う……覚悟の上です」


 ムルバイズの言葉にラフィーヌは一瞬言葉に詰まるが絞り出すように言い放った。


「神の脅威に実際に晒された帝都の民は間違いなく、私の判断を支持することでしょう。ですが他の者達は間違いなく反発して分離するのは間違いないです」


 ラフィーヌの言葉にムルバイズが返答する。ラフィーヌがいかに追い詰められているかは言葉に表れている。


「陛下の名に縋るのは認めよう。だが、それには条件がある」

「条件……ですか?」

「この帝都にディアンリアを崇める教団がある。それを帝都から十日以内に完全に排除してもらう。それが条件じゃよ」

「わかりました」


 ラフィーヌの即答にエルガルドの面々が驚きの表情を浮かべた。ラフィーヌの言葉は内戦の勃発を辞さないという事を意味するものであったからだ。


「そうか。十日以内に帝都からディアンリアを崇める教団を排除したのを確認したら陛下は宣言を行う。十日を過ぎても成し遂げられぬというのならば、名すら貸すことはない。それについては一切の例外規定はないぞ」

「わかりました……」


 ムルバイズの言葉にラフィーヌはゴクリと喉を鳴らす。辛うじて首の皮一枚つながった状態であることを自覚しているラフィーヌは勝利の心境には全くない。


「それでは、交渉はここまでじゃな。十日後が楽しみじゃて」


 ムルバイズはそういうと一つ言うと立ち上がった。それに続くように魔族側が立ち上がった。


「それでは失礼しよう」


 ムルバイズはそういうと転移魔術を起動させると次の瞬間には魔族達は全員消えていた。


「摂政閣下……」


 エルガルド側の心配そうな声にラフィーヌは緊張を高めて口を開く。


「もう、引き返せないのよ……エルガルド帝国が生き残るにはこれしかないわ」

「し、しかし……」

「今更神に縋り付くことなどできないわ。ディアンリアはエルガルド帝国を滅ぼすために実力行使に及んだのよ? 何も反意など誰も表明していない段階でね」

「そ、それは」

「はっきり言って私達皇室を全員殺しても他国はエルガルドの民を見逃さないわよ」

「……」

「間違いなく民は蹂躙され生き残った者達は奴隷となるわね」

「……それを回避するためには……」

「そう、魔族に縋るしかないのよ……」


 ラフィーヌの苦渋の表情に部下達は反対の声を上げることはできない。実際に神がエルガルド帝国に攻撃をしている以上、魔族に縋るしかないのだ。


「わずか十日しかないわ……檄文をまず作る。エルティーユ将軍を呼びなさい。第四軍ならディアンリアを攻撃する事に戸惑いはないわ」

「はっ!!」


 ラフィーヌの命令に部下達は動き出した。

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