第89話 救世主にならされた者達④

「ゴブリン……の子供……」


 レンヤの目に映ったゴブリンの子供は人間で言えば三歳児未満の体格をしていた。体が少し大きい方がより小さいゴブリンを背に庇っている。


「兄弟……か?」


 レンヤの困惑が大きくなっていく。


 先程ヴィルガルドから「ゴブリンに容赦はするな。必ず皆殺しにしろ」と言われた時、自分もそのつもりであった。実際にゴブリンを逃せば再びその繁殖力により大きな集団となり、人々が危険にさらされる。頭では殺すのが正しいと言うことは理解している。だが、現時点で危険性は皆無なこのゴブリンの幼児を殺すことが果たして本当に正しいのか?

 レンヤは一度生じさせてしまったこの迷いに動くことが出来なくなる。


(どうしよう……見逃してやるか? いや……それでは……くそ)


 レンヤの心の中では激しい葛藤が生じていた。これはレンヤが命の危険を感じる事無く生きてきた故の葛藤であるといえるかも知れない。

 これがヴィルガルドやエルナであれば考えるまでもなく即座に命を奪っていたことであろう。これは二人がゴブリンという魔物を明確に敵と認識するに足る実体験があるからであり、レンヤはそれを知識としてしか知らないといういわば環境の違いといえるだろう。


 ちなみにシルヴィスならばゴブリンを殺さずに駒として使い潰すという選択をするだろうし、ヴェルティアに至っては気づかないうちにゴブリン達は為す術無く踏みつぶされてしまうだろう。


『グラグ!! グラグ、ミュルスザンブデ!!』


 ゴブリンがレンヤに怒鳴りつけてきた。その言葉を受けてレンヤは動揺した。もちろんゴブリンの言語をレンヤは解しない。だが、何を言われたかは解る。子供達の親や友達、親しい者達を殺した事を責めているのだろう事は容易に想像がつく。


「く……うるさい」


 レンヤは鋒をゴブリンの子供に向けると兄は弟をかばった。その姿にレンヤの動揺はさらに高まった。その姿は人間とまったく変わらないものであり、それがレンヤのさらなる動揺を誘う。


 戦いの中で一切かかなかった冷や汗がレンヤの額に浮かんでいた。


(こいつらにも家族がいた……それを俺たちが壊した)


 レンヤの心に罪悪感が芽吹いたのが自分でもわかる。それは秒単位で大きくなりレンヤの心で急速に花となり、種をとばし、新たな花が芽吹いた。


「いけ……」


 レンヤの口からポツリとした言葉が発せられていた。心に芽吹いた新たな花による行動だ。新しい花の名を「罪滅ぼし」「謝罪」というべきか、それとも「弱さ」と呼ぶべきかはわからない。

 だが、レンヤはゴブリンの子供達を見逃すという選択を執ったのだ。


 ゴブリンの子供達はレンヤの意図を察し、後ずさりながら少しずつ離れていく。ある程度離れたところで後ろを向き一気にかけ出した。


 だがゴブリン達が駆け出して数秒後にゴブリンの子供達が突然両断された。


「な……」


 レンヤの口から呆然とした響きが発せられ、斬撃を放った相手を見る。いや、常人なら決して捉えることは出来ないだろうが、レンヤの動体視力であればはっきりと認識していた。


「ヴィルガルド……!!」


 レンヤの口から両断した者の名が紡がれた。


「レンヤ……お前は一体何をしているんだ!!」


 ヴィルガルドからの叱咤の言葉が発せられるとレンヤは唇を噛んだ。自分がヴィルガルドとの約束を破った事に思い至ったのだ。


「レンヤ、俺は言ったな。ゴブリンを逃がせば後に多くの人達が死ぬと」

「わかってる……わかってるんだ」

「ではなぜあいつ等を見逃した?」

「やつらは子供だ!! 戦う術のない子供を殺すことなんて出来ない!!」

「ではあのゴブリン達が大人になって群れを再生し、どこかの村が滅ぼされたらどうするつもりだ!!」

「その時は俺が斃す!!」


 レンヤの返答にヴィルガルドは悲しげに頭を振った。


「お前はゴブリンを甘く見ている!! ゴブリンに滅ぼされた村は酷いもんだ。男は殺され、女はゴブリンの苗床にされる。そんな地獄を避けるためには数を増やす前に始末するしかないんだ」

「違う!! それでも子供を殺すのは間違ってる!!」

「だから子供を見逃そうとした訳か?」

「そうだ」

「人間に憎しみを持つゴブリンは確実に人間に復讐するとは考えないのか?」

「……っ」

「お前が助けたから人間に感謝するとでも思っているのか? 憎悪の感情で行動し人間を襲う!! そうなった時に今度は人間の子供が親を亡くす。いいかレンヤ、俺たちがいかに強くなろうとも限界はある。今、この瞬間にもどこかで誰かの助けを求めて泣き叫んでいる者がいる。俺たちの助けがいつも間に合うわけじゃない」


 ヴィルガルドの言葉にレンヤは反論することが出来ない。


「レンヤ、俺たちが戦うのは魔王だ。それはおとぎ話のような英雄譚じゃない。これから斃す魔王や魔族にも子供がいるかも知れない。妻がいるかも知れない。年老いた両親がいるかも知れない」

「う……」

「それでも俺たちは人間の側に立ち魔王を討ち、この世界の人間を救うと決めたのだろう。ならおとぎ話の中ではなく、現実の中に生きるべきだ」

「現実……?」

「そうだ。俺たちがこれから魔族と戦うというのは現実だ。あいつらにも知性があり、感情もある。親しい者が殺されれば悲しいし、憎しみを持つ」


 ヴィルガルドの言葉にレンヤはそのことに思い至ったような表情を浮かべた。


「レンヤ、俺の言っている事が理解出来ないのなら、間違いなくお前は戦いで生き残れない。その時はこの戦いから降りろ」


 ヴィルガルドはそう言い残すとそのまま歩き去った。

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